一章:悪魔の街
痴話喧嘩
「大馬鹿野郎っ‼︎」
盗賊退治から戻ったクロは叫んだ。
ここは城塞都市の一角で、クロの自宅。
リビングにいる彼の傍にはひとりの女性がうずくまっていた。
普段から豪奢な服装の彼女は、ドレスが汚れることも厭わず裾を赤い大輪のように広げている。
華やかさの一方で、ぷるぷると頭頂部を押さえながら痛みに打ち震えていた。
「リアのせいで大惨事だ! 馬上で仁王立ちしたかと思えば、中途半端な体勢で詠唱したあげく最後の最後で詠唱自体を間違えるやつがあるかぁ! 魔術師を名乗るなら少しは練習しろ、練習を!」
リアと呼ばれた女性は目尻をきつくあげ、上目遣いの先にいるクロを睨めつけた。
「何よ! だからってなにも、
「自業自得だ! 少しはやられた側の気持ちを思い知れ。だからヴァンに任せておけって言ったんだよ! ヴァンと黒騎士たちだけでも十分に追い詰められたんだ。それなのにお前ときたら――」
クロは手の中の本を強く握り込む。装丁の立派な革張りは本来召喚に使用される書物だが、先ほどその道理から外れて物理的な破壊力をリアへ示したばかりだった。
「だって、ただ黙って見てるなんてできなかったんだもの! 今日はなんだか調子がいい気もしたし!」
睨みあげる瞳はルビーのように赤く、眦には大きな涙粒が滲んでいる。
「調子が良い奴が地面に大穴を開けるわけないだろが! それに、作戦を始める前にヴァンだって言ってただろ――」
「『ご一緒頂きたいのは山々なのですが、今回はわざわざリア殿が郊外まで出向かれる必要はありません。――どうしてもと言われるならどうぞ高みの見物に興じてください。リア殿にお手を煩わせるまでもありません。決して、決して手出しはされぬように――』って言っていたこと? そんなの私に対する気遣いに決まって――」
「お前の魔力暴走を恐れて丁重に断っていたに決まってるだろうがっ!」
予想外に達者なヴァンのモノマネを披露するリア。それがやたら業腹に触ってクロは再度鉄槌を下した。
――今朝、リアが盗賊に向けて放った魔法は周囲を爆発四散させた。
彼女が自身でも持て余す魔力の持ち主であることが理由で、この手の失敗は珍しくない。
「予想外な魔力量を放出しやがって! 城壁門よりもデカイ魔法陣を見た瞬間のお前の『えっ?』っていう間抜け面、一生忘れられそうにねぇよっ!」
「何よ! おかげでヴァンが追っていた盗賊団も揃って頭を下げて降伏したじゃない!」
「経緯を捏造すんな! それにあれは『降伏』じゃなくてただの『殲滅』って言うんだよ」
リアが放った魔法で、地面は大きく陥没した。盗賊たちに降伏する猶予などなく、大穴には白目を剥いた彼らの肢体が山積していた。
「本当に死人が出なかったのが不思議なぐらいだよ」
「フコウチュウノサイワイネ」
「お前が言うな‼︎」
「何よ! 盗賊なんて悪い奴らなんでしょ⁈ そんな人間どうなったっていいじゃない!」
立ち上がっていたリアが、激昂に任せてクロの鼻先までに顔を近づける。
「おまえ、言うに事欠いてまたそんなことを……だから誤解されるんだよ。仮にも貴族の端くれならもう少し淑女のような慎みを持ったらどうなんだ」
詰め寄ってきたリアの距離感に、冷える頭を自覚するクロ。対するリアはまだ感情の矛先を収められないように言い募ってきた。
「何よ。クロが馬に酔ってゲロゲロ吐いてたから少しでも助けになればと思って――」
「べ、別に、吐いてなんかねぇよ! て、適当なこと言うな!」
「ちょっと胸にこみ上げるものがあっただけだ」とぶつぶつと呟いていると、リアは何かを思い出すように目を伏せ、頬が興奮とは別種の赤みに染まっていく。
「私は、クロの役に立ちたかっただけなの……。それなのに、そんな言い方ないじゃない……」
「これはいつものまずい流れだ」と、クロは内心で舌打ちをする。
「それに……ううん。だってクロが言ったんだよ? クロが、前に……」
言い合いで形勢が不利になるとリアはいつもこれだ。
理屈ではなく感情に訴えてくるうえ、この後の展開は容易に想像ができる。クロにとっては苦手な流れだった。
クロはまだ、明確に返せるだけの答えを持ち合わせていない――。
「『そばにいてほしい』って……告白してきたのはクロのほうじゃない……」
やっぱりか、と思わず言葉に詰まるクロ。
「……だから、前から言ってるだろ。あれは、その、なんていうか、言葉の綾というか、お前の勘違いなわけで――」
「――最っ低! クロのバカっ! もう知らない!」
食い気味に叫び玄関へと走っていくリア。彼女の返す踵に合わせて瞳の水分が宙を舞う。
「おーい、クロ。さっきの山賊の件だが……………………って、おわっ!」
突如として開けられた玄関扉に現れたのはヴァンだった。
紙に目を落としながらもさすがは一介の騎士で、鎧ながら突進してきたリアを辛うじて躱す。
ヴァンは瞠目しながら彼女の行く末を見つめ、薄い笑みを浮かべながら後ろ手に扉を閉めた。
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