挿話 Ⅱ

少し先の未来

 過去の悪夢に目が覚めた――。


 目覚めてから数瞬の後、汗で張り付く服の感覚を覚える。

 現実と見紛う夢ながら、それでも夢だと自覚できたのは幾度も見た悪夢だったからだ。


 模糊とした思考で自身の置かれた状況を理解しようとし、上下する尻の感触が居場所を教えてくれた。

 緩慢な振動で体が前後に揺れており、つまりは馬に跨っていた。


 長い眠りと思ったが、どうやらわずかな時間だったよう。


「大丈夫か、クロ?」


 声を掛けられ、現実へと引き戻される。

 「そういえば」と、行軍中だったことを思い出すようにクロは欠伸を漏らした。


「ふあぁっ……。あぁ問題ない。ちょっと悪い夢を見ていただけだ。ヴァン」


 前後に揺れる馬首を眺める。毛並みは綺麗な栗色。

 夜を迎えるまでにはまだいくらか時間があり、太陽がその毛並を白く反射させていた。

 そっとひと撫でしてみる。


「――こいつ、きっと雌だな。馬が苦手な俺でも酔わない。先日の山賊退治とは大違いだ」


 凝り固まった首と肩をぐるりと回す。

 顔を隠すためのフードの生成りが危うく揺れた。


 目端に映る隣人は騎士で、白銀の鎧はこのアストリア国の騎士の証だった。

 第三騎士団長、名はヴァンフリートといった。


「思ったより落ち着いているようで何よりだ。それにして悪夢を見て『問題ない』か……。まだ見るのか? あの昔の夢を」


 クロは顎を縦に振る。


「昔って……まだ一年ぐらいだろ。夢に見なくなるのに一年は短すぎる」

「ま、不眠よりはマシか。なにせ今日は体調が良さそうだ。魔力が戻ってくるとそんなにも顔色がよくなるものなのだな」

「当たり前だ。誰かさんのおかげで俺はこの国の召喚術師としての大命を果たそうとしているんだ。体調ぐらい戻ってくれないと困る」


 クロは馬首の向こうへと視線を向ける。

 眼前には、進軍する兵士たちの後ろ姿で、ヴァンとクロはその軍列の殿を務めていた。

 

「大命、ね。クロはもっと肩の力を抜くことを覚えたほうがいいな。色々と背負い過ぎなんだよ」

「お褒めに預かり光栄だ。――あれ、この前どっかの召喚術師にも言われたな」


 鼻を鳴らすとヴァンが苦笑する。


 しばしの無言から、「それにしても」とヴァンが続けた。


「あの『馬酔いのクロ』が馬の背で居眠りするとはな」

「――ちょっと待て。そんな不名誉なあだ名があるなんて知らなかったぞ。犯人はお前か?」


 ヴァンは皮肉げに口の端を曲げたが、すぐさま過去を懐かしむような表情に張り替えて肩をすくめた。


 それだけで、クロには何が言いたいかが理解できた。


「リアか……」


 クロの呟きに、ヴァンが頷く。


「以前にな。『クロの二つ名は、悪魔の召喚術師には格好よすぎるから』と。二人で」


 だったらお前も共犯だろう、という言葉は喉元で消えた。

 今、彼女リアの姿はクロの隣にはない。


 クロは彼女の笑顔や爛漫な立ち振る舞いを思い出す。目端のヴァンは無言のままに遠くを眺めるばかりだったが、やがて口を動かした。


「向こうの世界でどうしているのだろうな」

「リアがか? きっと貞操観念の無いクソ親父と喧嘩三昧だろうな。父親は唯一の愛娘に頭が上がらないから、リアが一方的に父親を追い詰めている可能性も想像に難くはない」

「違いない。彼女にはもう一度会いたいものだ」


 ヴァンの肩が小刻みに揺れている。笑いを押し殺しているようだ。


「それよりも。こんな有事にまでお前は女の尻を追いかけるのかよ」

「有事のときだからだよ。辛い境遇は好きな女を思い出させる。……ん? どうした?」

「お前、そんな小っ恥ずかしいことを堂々と……」


 クロの向けた半眼に、ヴァンがとぼけたように首を傾ける。


「クロ。美しい花に虫が群がるのは必然なんだよ」

「俺まで一緒にするな。羽虫はお前だけだよ。しかもよく働く蟻のな」

「さしずめリア殿が女王蟻か。望むところ」

「うぜぇ」

「何せ彼女の美しさたるや天上の大天使ミカエルか――クロ、お前の専門分野の悪魔に例えるなら、えぇっと……なんだったか?」

「言い出しといて聞くな。サキュバスと言いたいのか?」

「サキュバスぐらいは俺も知っている。……が、そんな淫乱な性格ではなかろうに」

「性格のほうは意外とまじめだよな。だけど蠱惑的な魅力があることは間違いないし、身体は間違いなくエロい部類だった。ま、こんな話、国の騎士様の前で喋るようなことじゃない――」

「同意」

「同意するな。そこは騎士道に準じろ」

「俺も彼女の前ではひとりの男に過ぎないのさ」


 呆れるべきか苦笑すべきかもわからず、結局ひとまとめにしてクロは舌を鳴らした。


「……半分はクロ、お前を焚きつけるために言っているんだ。怒ってくれていいんだぞ?」

「それだと半分は本気ってことになるじゃないか。怒る気も失せる」


 クロは深くため息を吐く。

 言葉の接ぎ穂を失い、代わりに黙々と馬を進めた。


 なだらかな下りに差し掛かっており、自陣の軍勢を眺めると総数を思い知らされるようだった。

 多寡の両方の意味で。


 多勢という意味では、先日の山賊退治の比では総数であることを。

 寡勢という意味では、敵に対しては明らかに少数で、戦略上不利であることを。

 

 だからこそ自分がいると、クロは自身に言い聞かせる。  


「――もう間もなく外壁の外に出る。そうなればいよいよだ、クロ。体調のほうはどうだ?」

「ふんっ。残念ながら快調だ。絶好調と、言ってもいい」

「おぉ、それは頼もしい限りだな。召喚術師様」


 街道の脇、住民が不安を募らせながらこの隊列を見送っていた。


 ここアストリアは決して兵士の少ない国ではなかった。

 過去形であることにクロは虚無感を覚える。去来する寂寥と懺悔の念がクロの心臓を鷲掴みにするようだった。


「頼りはクロ、お前だけだ。償いのため、国を守るためなんて考えなくていい。ただいつも通りに頼む」

「いつも通りっていうのが一番難しいんだよなぁ。言う方は勝手でいいが、頼りにされるほうの身にもなってみろよ」

「全く頼りにされないのもそれはそれで寂しいものだろ?」


 クロは反駁に唇を歪めかけたが、先日とある召喚術師が無聊ぶりょうかこっていたことを思い出し、口をつぐむ。


 行軍を進める街は、教会の慣れ果てをはじめ破壊された跡が残っている。

 それは敵国が召喚した暴竜による爪痕だった。


 凄惨な現場を復旧するにはまだ日が浅過ぎて、だからこそ隣国は軍事侵攻を行なってきた。

 それもこれもが悪夢にある一年前の関係悪化に端を発しており、対してこの国の軍備は十分とは言えなかった。


「その点、国王様も国王様だな。いくらここにクロという偉大な召喚術師がいるとはいえ、ここ一年は俺たち騎士配下、兵士の増員は見送られっぱなしだからな」

「見送りたくて見送っていたわけでもないだろ。西国との仲が壊滅的だったとはいえ、軍事行動に出るとは誰も思ってなかったわけだ。平和な証拠さ」

「そういうのは平和な証拠ではなく平和ぼけっていうんだよ」

「お? いつになく騎士殿の辛辣な政治的発言」

「当たり前だ。こんな事態にならなければリア殿は……」

「なんだよ、私怨かよ」

「今となっては詮無きことだな。こんな私情ばかりの人間が隣にいては不安か?」

「……いや」


 クロは背筋を正して前方の光景を眺める。


 悲観する一方で、凄惨な姿だった街並みには現在進行形で多くの修繕の手が加えられていた。軍列を見送る民衆が少ないのもそのせいで、これから戦時に入るというのに、人々のエネルギーは街中へと注がれているのだ。


「やっぱり、平和な証拠さ」


 クロは素顔を隠す目的だったフードをゆっくりと剥ぎ取る。

 自らの行く末――外壁門とその先にある未来を見据えながら、今日に至るまでのリアとの日々を思い出していた。

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