Ⅳ 転変の訪れ-2
タナトス兄様も私との時間を同じように幸福を感じてくれていると、そう思っていたのに。ある日突然、彼から拒絶された。
「俺はリオスと居ると役目が全うできない。これ以上情が生まれてしまうと辛くなる。だから…もう二度と来ないでほしい」
初めての拒絶は胸が苦しくなり呼吸ができなくなるかと思えた。
「…私は邪魔ですか?」
「そういうわけでは…」
「はっきり仰ってください!」
タナトス兄様は優しいから。他者を傷つけるような物言いをしない。
けれど言葉にされなくては、私は諦めきれない。
「これは俺の我儘で、リオスは悪くないんだ。優しさで俺を気に掛けたんだろうが、もういいんだ。他の兄弟と幸せに過ごしてほしい」
「違う!私は…私は――!!」
優しさなんかではない。私があなたに会いかった。
あなたに受け入れられると安心した。
あなたの笑顔がもっと見たかった。
あなたが居るから暗闇だって優しく見えた。
こんなに幸せに満ちた時間は他になかった。
だから、私があなたの傍に居たいだけだ。
声にして伝えたいのに喉が詰まったみたいに喋れなかった。
「…すまない。そんな顔をさせるつもりはなかったのだが…言葉が見つからない」
私の目から溢れ出す雫をタナトス兄様はそっと掬ってくれる。
大きな掌から伝わる温もりを手放してくなくなってしまい両手で包む。
すると兄様は目を伏せ悩み込んでしまう。そして真っすぐで誠実な瞳で私を見た。
「どんな生き物もいつかは
兄弟の誰かが、自分が
生まれる生命があれば潰える生命もある。始まりはウラノス兄様、終わりはタナトス兄様。彼は幾度と最期に立ち会っている。
もしも兄弟の誰かが最期を迎えてしまう時が来たら…私だって受け入れられない。だけど、タナトス兄様は受け入れることが役目だ。拒絶を認めてはもらえないどころか刈り取る側だ。
私達兄弟は星の守護者。役目からは逃れられない。
そんな私達にも等しく生命の最期がやって来るのだろう。それでも私は―――
「たとえいつか
今日は初めてタナトス兄様を地上へと連れ出した。太陽の光が降り注ぐ昼の時間に彼は少し居心地が悪そうだった。眩しそうに眼を細める彼の手を引いて地上を巡り歩いた。
レイア姉様が育てた美しい花々や色とりどりの実りをはじめとする豊かな自然。
アレス兄様が築いた見晴らしの良い丘や雄大な山々、息を呑む絶景の数々。
セレネと仲の良い動物達は陸にも空にも海にも居て、皆が私達の訪問を歓迎してくれた。
どれもゆっくり見るのは初めてだったのか、最初は乗り気ではなかったタナトス兄様も感心したり嬉しそうな表情を浮かべたりと、次第に散歩を楽しんでくれた。
木にある巣の中で幸せそうに寄り添う鳥達を見つける。親鳥と雛鳥、それは家族だ。
「そう、家族!私達も子供が欲しくないですか?」
私の言葉にタナトス兄様は石みたいに固まってしまった。
不快だったのだろうか。不安になって恐る恐るもう一度声を掛ける。
「…嫌、ですか?」
「あ、いや…想像もしたことがなかった。生命を奪う自分が生命を授かることなんて…リオスはいつも突飛なことを言う」
「そうですか?だって素敵じゃないですか。誰かと共に居て幸せを分かち合えるなんて。私はお父様や兄弟の皆から沢山の幸せを頂きました。だから幸せがもっと広がればいいなって」
「…そうだな」
「タナトス兄様がお父さんで私がお母さんです」
「…そうか…」
どうにもタナトス兄様の歯切れが悪い。
タナトス兄様のことだ、また何かに遠慮しているのだろう。
「私が
「そういうわけでは…」
「じゃあ何が不服なのですか?さっきからずっと返事がおざなりです。私に遠慮をするのは無しにしてくださいと約束したじゃないですか」
するとタナトス兄様は黙り込んでしまった。こうなれば根比べだ、私は彼の服をぎゅっと掴み無言で目をじっと見つめる。彼の口から返事が聞けるまでは動かない。
意地悪な方法だが優しい彼は私が求めれば応えようとしてくれる。私は彼の本心が知りたかった。
やがて観念したのか深いため息が零れたが目を逸らされてしまう。
視線が外れただけで拒絶されたような気持ちになり胸が痛む。
「…リオスが…」
「…私が?」
どのような言葉が続くのか怖くなり鼓動が途端に早くなる。私には強引なところがあるとセレネに叱られる。もし、嫌われていたなら…どうしよう。
「…当たり前のように俺を選ぶから…本当にそれでいいのかと…」
「タナトス兄様がいいから、このような話をしたのではないですか」
「俺は…君が思っているほど優しくない。俺では君を幸せにできない、だから俺は君さえ幸せならそれで…」
「…私だけですか?」
私はこんなにもあなたを愛しているというのに。
感情を大きく揺さぶるのはあなただけだというのに。
留まることなく溢れ出す思いが涙になって零れた。
「私だけが共に幸せになりたいと願っているのですか…嫌です、私はどちらか一方だけが幸せなんて…」
もう手遅れだ。私はタナトス兄様が幸せでなければ幸せになれない。
彼が私だけの幸せを願おうと、それは叶わない。
だから、お願いだから…一緒に幸せになってほしい。
彼の手が私の手にそっと重ねられる。最初は少し遠慮がちに指を絡める。
私が握り返すとようやく彼はギュッと握った。
「…ありがとう。俺を選んでくれて」
その一言だけで私は幸せで満ち足りた思いになった。
「子を欲しいと願っても俺達に生命を生み出す能力はない」
「お父様にお願いをするしかないですかね」
人型の生命を創り出すのはお父様にしか成し得ない。
植物などの自然はレイア姉様とアレス兄様が大切に育んでいるから生存し続けている。動物達は死を迎えるが子供を産み種の存続は途絶えていない。
動物が子供を産む方法が分かれば私達でも可能なのではないだろうか。
「お父様はリオスとセレネを生み出してからもう長い時間新たな生命を生み出していないとはいえ、生命を、特に俺達と同じような者を生み出すとなると相当な力が必要になる。簡単に了承はしてもらえないだろう」
「そうですよね…でも動物に子供を生み出す力があるのですから方法がありそうな気もしますが…ウラノス兄様に相談してみましょう。聡明なウラノス兄様なら何かご存知かも!」
この時が切っ掛けだったのかもしれない。私達家族の歯車が狂い出した。
私が過ぎた幸せを求めたせいで ―― 家族を壊してしまった。
「…二人とも本気ですか…?」
私達の質問に、ウラノス兄様は掠れた声を零した。
いつも穏やかで微笑んでいるような細目が驚きを隠せないように見開いていた。
「おかしいですか?」
「また、どうして急に子供が欲しいのですか」
「急でもないのですが…幸せそうな動物の家族を見ていたら羨ましくなって、いけないことでしたか?」
「…"家族"は私達兄弟とお父様だけでは満足できませんか」
「不満があるわけではないのです。ただ私達も子が欲しいと思ったので」
自分の本心を正直に伝えているが、どうにもウラノス兄様の様子がおかしい。
私達の望みを快く思ってもらえないのだろうか。ウラノス兄様なら知恵を貸し協力してくれるとばかり考えていたので少し寂しい。
「もうよそう。あまりウラノスを困らせるな」
「ごめんなさい、ウラノス兄様」
「…いえ…私は構いませんが…この話はお父様にはしないほうがいいでしょう」
「どうしてです?」
私が問い返す度にウラノス兄様は苦しい表情をなさる。思えば私とタナトス兄様が揃って宮殿に顔を出した時からウラノス兄様はどこか辛そうなご様子だった。
気づかぬうちに私はウラノス兄様を悲しませることをしていたのかもしれない。
そんなつもりはないのだけど…原因が分からない。
「とにかく、この話は他言しないようにしてください…それがあなたがたの幸せになります」
結局、子を成す術は分からなかった。
それでも確かな幸せを感じている私にはそれは些細な悩みに留まった。
今の生活に不満があるわけではない。
大切な兄弟が穏やかに暮らしていて、世界は今日も変わらずに美しい。
いつお父様がお目覚めになっても安心なさるに違いない。
家族皆で笑って日々を過ごせる、そんな未来が訪れる。
新しい家族が増える夢はきっといつか叶う、そう悠長に思っていた。
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