Ⅲ 素晴らしき世界-4
世界の崩壊が訪れるかもしれない日であろうと時間は変わらずに流れていく。
俺は昇る朝日を横目に集落を離れ、世界を見渡せる高地に一人で待機する。ここならば天から飛来してくるものを真っ先に見つけることができる。
長く待つ時間もなかった。朝の訪れを告げるかのように二つの強い魔力の集合体は飛んで来た。視認するよりも先に魔力で察知し身体が反応したので、すぐさま自身の魔力を放ってわざと存在を主張する。二人が制裁をしにやって来たのならば障害になり得る強い力は無視できない筈だ。予想通り二つの力はこちらに向かって来た。
天からやって来た二人の有翼人は初めて見る顔だった。俺達が地上で暮らすようになった後にお父様は新しい子供を生み出したのだろう。大きな翼を羽ばたかせ上空から俺を見降ろしている。これが地から見上げる神々の姿か。
「本当に居るぞ、俺達以外に有翼人が!」
青い髪をした少年が俺を指さし嘲笑うように声を上げた。これまた生意気そうな奴が役目を担ったもんだな。
「驚くことでもない、話に聞かされていた俺達の兄だろう」
紫の髪をした少年は淡々と喋る。やはり二人は俺達の後釜として生み出された弟で間違いなさそうだ。
「兄ったってよ、こいつはお父様に反逆したから捨てられたんだろ?だったら地を這う虫と変わらない」
俺達兄弟の中でも物腰が柔らかで品のある二人が楽園に居ながら随分な弟が育ったものだ。敬意を向けてほしいとは露とも思わないが、守護する立場に居ながら荒々しい言動が目立つ奴だ。
「おいおい、随分な言葉遣いをするな。教育はどうなってるんだ?」
「言葉遣いなんてどうだっていいだろ、どうせ殺すんだからな!」
挨拶代わりだといわんばかりに海水から巻き起こした竜巻を使って俺を攻撃してきた。すかさず俺は突風を生み出し竜巻を追い返し海へと還す。
「へえ、一応"お兄様"ってだけあるんだな」
「攻撃魔法で俺を負かせると思わないことだ。何なら俺がお前達を躾てやってもいい」
「調子に乗るな、ぶっ潰す!」
短気な少年は容赦なく海水を操り攻撃を続けてくる。これじゃあ話し合いにならないな…交渉なんて俺は得意じゃない。リオスかタナトス兄さんに居てもらうべきだったか?仕方ない、ちょっと疲れてもらうか。
「遠慮せず受けてけよ、"お兄様"の有難い教えをさあ!」
「お前みたいに捨てられた奴を兄だと思うわけないだろ!」
こいつの得意魔法は水属性か、相性悪ぃな。俺の得意な炎は水には弱いし、風は相殺する形になる。負かそうと思うならこちらは相手以上の魔力を必要とする。
一発強い魔法を放とうとタイミングを見計らいつつ次々に襲い掛かって来る海水の竜巻を全て掻い潜る。しかし避け切った先で闇が大きな口を開けて俺を待ち構えていた。
「…っと!」
急いで掌に火球を生み出し大口にぶち込むと闇は飛散した。逃げ切った先で俺を食い殺そうとでもしたのか。大人しくしている様子だったもう一人も確実なチャンスを狙っていたようだ。
「エレボス、てめえ横入りするな!仕留め損ねただろうが!」
「ポセイドン、お前は口も攻撃も無駄が多い」
「なんだと!」
「おいおい、兄弟喧嘩か?」
地上に来た俺達四人はすれ違いがあろうとも言い争うような兄弟喧嘩をすることはなかった。なんだか懐かしい光景に呆れよりも笑みが零れてしまう。
ポセイドンとエレボスか。どうやらポセイドンが水属性、エレボスが闇属性の魔法が得意なようだ。それにしても新たな弟達は魔法の応酬をはじめ、協力することも初めてみたいな様子じゃないか。俺達の時のように兄達が弟達に教えるということをしていないのだろうか。故郷を捨ててしまった身分で大きなことは言えないが心配になる。
「二人掛りで俺一人負かせないようじゃ、制裁なんて諦めたほうがいいんじゃないか?」
「偉そうに指図するな!すぐにその口きけないようにしてやる!」
本当に諦めてほしくて投げかけた言葉だったが挑発になってしまった。
やはりそう簡単にお父様のご意向には背かないか。
ポセイドンの攻撃が再び襲いくると、今度はエレボスも容赦なく攻撃を重ねてきた。突き刺すような激流と追尾してくる高速の靄の猛攻を防ぐのは神経も魔力も要した。未熟な弟達とはいえ、さすがに有翼人二人相手は楽にはいかないな。
それにしても攻撃とはいえ荒々しい、周囲の環境破壊を意にも介さない。俺も苦手だけど力の扱い方はもっと丁寧にしろよな。お前達は星を守ることが役目だろうが。
守ることを意識すると次第に手数が足らなくなる。皆が居る集落から遠ざかるよう飛び回る余裕もなくなっていく。
とうとう二人の怒濤の勢いに押され始めてしまう。俺はまた―――嫌な記憶が脳裏を過る、もう世界を壊すことだけは…!
突如、強烈な光が俺を包み襲い掛かって来た攻撃を全て吹き飛ばす。光が静まり眼を開けるとこの場に居ない筈の二人の背が見えた。
「リオス、タナトス兄さん!?」
二人はもう昔ほどの魔力はない。セレネと共に家族を守ることに徹し前線には来るなと言ったのに。それでも俺を庇うように立つ二人は頼もしく見えた。
「可愛い弟達の顔を私も一目見ておこうかと思いまして」
リオスが得意げに笑うと彼女に同調するかのようにタナトス兄さんが頷いて見せる。…本っ当に…この二人はお人好しというか…優し過ぎるというか…。
突然現れた二人にポセイドンとエレボスも驚いていたようだが、すぐに邪魔が増えたことを理解すると敵意を剥き出しにした。二人が加勢にきてくれたことは嬉しいが、果たして怒りが高まっている弟達を諫められるだろうか。
「正しい力の使い方を教えよう」
タナトス兄さんの周囲から溢れ出る濃密な闇が一瞬で静けさと肌寒さを齎す。思えば彼の本気を俺は見たことがない。
最期は恐怖と孤独が付きまとうとタナトス兄さんは言っていたが、彼の周りには多くの精霊達が慕うように寄り添っている。見送ってきた魂の数が比例するかのように、たちまちエレボスの闇を喰らう勢いでタナトス兄さんの闇が勢いづく。
悍ましい闇を前にエレボスが怖気づいている。力の強さで押し負けるなど経験したことがないのだろう。
「…何故だ…!?」
「まだ君は若いようだ」
思い通りに闇を従わせることができずに苦悶するエレボスを見てタナトス兄さんは安堵したような笑みを浮かべた。そんな余裕のあるタナトス兄さんの様子に平静を貫いていたエレボスも苛立ちを覚えたようだ。
「おい、エレボス!何してるんだよ!」
「分かっている…!だが…俺のいうことをきかない…!」
魔力の総量ならば確実にエレボスが勝っている筈なのにここまで圧倒できるのはどうしてだ。エレボスの動揺がどんどん酷くなる、まるで正気を奪われているような…。
…幻術か!相手の感覚を惑わすことでタナトス兄さんは魔力の総量による力差を埋めている。兄弟一の魔法使いであるウラノス兄様と対の人だ。魔法の扱いならば俺ら弟達より群を抜いて優れている。
「さあ、ポセイドン君も乱暴はここまでにしようか!」
「ああああああっ!」
リオスがパチンと指を鳴らすとポセイドンの眼前に光がフラッシュする。
眩しい光を連続で浴びたポセイドンは苦しみ、魔法を全て解いてしまう。
すると海は静かになり、この場の闇と水属性の主導権はタナトス兄さんが握ることとなった。二つともタナトス兄さんの得意とする属性とはいえ、二人もその属性に特化した有翼人だ。恐らく冷静さを取り戻し、上手く魔力を扱えば形勢は逆転するだろう。だが二人は未熟だった、乱された精神をすぐに戻すのは難しそうだ。
畳み掛けるようにタナトス兄さんは闇の
「ありえない…光と闇が反発しないなんて…」
本来ならば相反する属性は対峙すれば一方の威力が弱まり、強い魔力を秘めた属性に追いやられてしまうというのに。それなのに二つが互いを高め合っているなど…考えられない。俺はその光景を信じられず凝視してしまう。
「光と闇は相反しているが表裏一体だ」
「仲が良いってことですね!」
「…そういうことにしておこう」
この光と闇はリオスとタナトス兄さんそのものみたいだ。魔法も協力することで更なる強い力へ成り得るということか。こんなに永く生きたというのに、まだ新しく知ることがあるなんてな。まったく、二人にはいつも気付きを与えられる。
拘束した二人を地に座らせ改めて顔を見るとまだ幼さが残る、生まれてから100年は経っていないか。お父様も若輩者を寄越したものだ。
自由を奪われた二人は不貞腐れたような表情で俺達から視線を逸らす。
「お前達をどうにかしようとは思わない。頼むから何もせず帰ってくれないか?」
「制裁しろっていうお父様のご指示だ、何もせず帰れるか」
「考えを改めてもらうよう話し合いにできないか?」
「…できません。お父様は俺達の提案など聞きはしませんよ」
どれだけ時が経とうと問題の先延ばしにしかならず、何も解決してはくれなかった。俺達家族がお父様の心を変えない限り、争いは必ず起こるということか。
残念だが未来への贈り物は理にかなっていることになってしまったな。
「私達は一緒に生きられないのかな」
「無理だろ。お前達は簡単に死ぬ」
「だからこそ支え合って協力して…」
「無駄な労力だ。弱者にかまけて何の得があるんだ」
その弱者に捕まっているというのにポセイドンはずっと大口をたたく。
リオスの願いは彼にはまるで響かないようだ。
「…君はまだ心から守りたいと思うモノに出会えていないんだね」
「ああ!?捨てられた無能のくせに、分かったようなことを言うな!」
悲しそうにリオスが呟くとポセイドンは馬鹿にされたとでも感じたのか怒りを露わにした。怒りは最も理性を奪う。少しでいいから冷静さを取り戻してもらえないだろうか。
「私達は捨てられたんじゃない。自ら選んで地上で生きているんだよ」
「黙れ!口答えするな!」
ポセイドンは短気と表現するのも躊躇われるほどに平静がない少年だ。
まるで常に苛立ちを抱えているみたいだった。怒りという感情はエネルギーを要する。それがずっとあるなんて苦痛にさえ思える。彼の怒りは些細な切っ掛けで簡単に燃え上がる。
「落ち着けって、な」
荒ぶる怒りを前に俺は胸がざわつく。激情の鎮め方が未だに分からない。頼む、同じように暴走しないでくれ。努めて優しく声を掛けたのにポセイドンの眼光は鋭さを増す。
「俺は…誰かに行動を縛られるのが大嫌いなんだよ!!」
ポセイドンが怒声を上げると呼応するかのように海が荒れだす。
強力な魔力の動きに空気が震える。まさかコイツ強引に拘束を解こうとしているのか。
タナトス兄さんとリオスも異変に気がつき拘束魔法へ魔力を集中させる。
しかし爆発したかのように膨れ上がる魔力にとうとう闇の腕が破壊された。
ポセイドンは隣のエレボスの拘束も壊すと空へと舞い上がった。エレボスは解放されたのにその場を動かず、リオスをじっと見た。
もしかしたら彼には多少なりともリオスの言葉が響いていたのかもしれない。ポセイドンには難しくともエレボスなら話をしてくれるだろうか。
「虫の羽音に耳を傾ける必要なんてない、とっとと制裁するぞ!」
「待ってくれ!」
一縷の望みを掛けようとしたがすぐさまポセイドンが言葉を投げかけるとエレボスも同じように空へと舞い上がってしまう。
エレボスの中に新しい感情が芽生えていたように感じたが、彼は最初と同じ無感動な目に戻ってしまう。外部からの情報を遮断するかのようにその瞳すら閉じ、魔力を高め集約していく。繰り出されるであろう強大な魔法は自然を傷つける攻撃だ。
「エレボス!止めろ!お前達の役目は星を守ることの筈だ!」
「…お父様は正しい。俺達は従うだけだ」
俺の叫びに一瞬躊躇いを見せたがエレボスはたちまち魔力を天に放ち、空を厚い暗雲で埋め尽くし陽を隠してしまう。天候を操るということは広範囲に影響を及ぼす魔法を使う気だ。ポセイドンも自身の魔力を放ち、暗雲に不気味な力を足した。
風が吹き荒れ暗雲は慌ただしく蠢く、空気が急激に冷えたちまち大量の氷の粒が落下してくる。二人の魔力が天候を操り吹雪となり世界を凍てつかせ始めた。
緑や大地が白銀へと色を変えていく様が死を予感させる。
もう主導権を奪うのは無理だ。ポセイドンとエレボスは自身の出せる限界近くに魔力を高めている。強引に魔力を放つ二人の力はまさに神の如く凄まじい。
急激な冷えにタナトス兄さんとリオスは凍えて満足に動けなくなっている。
対抗できるとするならば…有翼人である俺だけだ…!!
「うおおおおおお!」
自分を壊す意気で力を絞り出し、地上に秘められた火と風の魔力を呼び起こす。
地上を崩壊させてしまったレイアとの喧嘩の時以上の力を感じる。
魔力は強すぎるほど扱いは難しい。俺は強い力を引き出すことは上手くても繊細なコントロールはできない。だけど加減なんて考える余裕がない、俺の力が及ばない遠くの地が凍土と化していくのが分かる。
大切に育んだ自然が変貌し嘆くレイアの顔を、多くの友達を失ったセレネの悲しむ顔が今も忘れられない。同じ過ちは御免だ!それに今はこの大地には俺にとっても守るべき大切な者達が居る!家族を失うのは…命に代えたって嫌なんだよ!!
俺に陽を操るほどの力はない、ならば力づくであろうと吹雪をぶっ飛ばす!
吹き荒れる雪と凍土を溶かしつつ自然を焦がさぬよう灼熱を世界中に走らせる。
弱い火力では吹雪に消されてしまうが、強過ぎれば炎がたちまちに緑を焼き尽くしてしまう。かつてない程の集中に神経が擦り切れてしまいそうだ。
魔力の繊細なコントロールを得意とする奴はどうかしてるぜ…!
俺は破壊をしたいのではない、守りたいんだ!
「いけええええええ!」
世界を駆け巡った炎を一気にまとめて風に乗せ空へ突き上げる。吹雪を齎す暗雲を烈火の風が貫く。暗雲に穴を開けることはできたが、全てを吹き飛ばすことはできておらず天候を元に戻すには至っていない。焼き切れそうな意識が一瞬途切れると俺の魔法は飛散した。
――― …ちくしょう…まだだってのに… ————
「アレス!」
「アレス兄さん!」
タナトス兄さんとリオスの呼び声にぼんやりとした意識が呼び起こされる。
まだ辛うじて生きられていたか。良かった…ならば約束通り魔石を遺すことはできるな。
「…あいつらは…?」
「制裁を果たしたのだろう。かなりの魔力を消耗したのもあってか帰ったよ」
「…そうか…」
薄暗い空の下に粉雪が舞っている。豪雪は回避できたが、陽は姿を現さないままだった。皆の吐く息が白くぼやけて見えるのは外気が冷たいからか、それとも俺の視界がぼやけているせいか。その判断もまともにできない。
俺一人の力じゃこれが限界だったか…一人ができることなんて大したことねえな…。
リオスが俺の身体を起こしてくれるが自分では身動き一つできなかった。
身体が重い…自由がきかないのは疲れが原因ではない。
冷たい…これは寒さだけのせいではない。
次第に感覚すら薄れていく…そうか、俺はここまでなんだな。
「悪い…守りきれなかったな」
「そんなことはありません、家族は皆無事です!あとはアレス兄さんが…!」
俺の身体へ懸命に魔力を送るリオスの手をなけなしの力で制す、もう手遅れだ。
有翼人である俺のほうが先に逝っちまうとはな。後悔はないが、嫌な役割をセレネに押し付けることになるのが気掛かりだった。兄弟を見送る役目は俺がするつもりだったのにな…平穏を尊む弟に辛い思いをさせてしまう。
「っ…アレス兄さん…!」
急いで翔けてきたのだろう息を切らした弟の申し訳なさそうに声が聞こえた。
視線だけ動かすと今にも泣き出しそうな顔が近づいて来る。
ああ、また自分を責めているな。お前は地上の家族を俺達の戦闘から生じる被害から守るという大役を果たしたんだ。戦いが怖いという弟は前線に立てないことを悔やんでいるようだが、何も恥じることはない。お前はきちんと俺達の家族を守り抜いたんだ、胸を張れ。
鼓舞の言葉一つかけてやりたいのにもう口を動かすこともままならない。
最期ってこんな感覚なんだな…初めてだというのに不思議と恐怖はない。
「…あとは、任せた」
兄弟に惜しまれ見守られて逝くのならば悪くない。
楽園では決して得られなかった幸福を俺は手にしたのだから。
永い時を掛けた根比べだ。
俺達は神様に守られた明日ではなく、共に歩む明日を信じている。
レイアにもウラノス兄様にもお父様にも、
いつか理解してもらえるといいな ――
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