Ⅲ 素晴らしき世界-3


  タナトス兄さんが地上に置き去りに、リオスが後を追うように地上へ降り立ち、セレネが楽園を追放された。そしてレイアとの大喧嘩まで繰り広げてしまった俺もお父様への不信感が拭えず、地上で生きていくことを決めた。

 自分勝手な行いだというのに、生き残っていた地上の三人は俺を迎え入れてくれた。そうして新たに四人で始めることとなった暮らしは初めての"共同生活"になった。


  始めは躓くことも多かった。翼を失くしたタナトス兄さんとリオスは大きく生体が変わってしまい動物に近いものになっていた。空腹や疲労、病や怪我、あらゆる未知の難題に直面した時、俺達は手探りで解決するしかなかった。

  生活において誰よりも頼りになったのが末弟であるセレネだった。物を作るという才は彼がズバ抜けた器用さを見せ、しばらくは彼無しでは料理は成り立たなかった。身体よりも大きなものや力を要するものならば俺も作れ、リオスは習えば多少は作れたし、タナトス兄さんも不格好ではあるが形にはできた。それでも手法が複雑なものほど、出来の良い物を作れるセレネに頼りきりであった。彼が居なければ到底文化的な生活を送ることはできなかっただろう。すっかり俺達三人は誰もセレネに頭が上がらない。

  行動を共にすることで連帯感は生まれ、話すことで相手の知らない部分を多く知れた。共に生活することの豊かさを、共に過ごすことの温もりを、共に生きることの素晴らしさを。皆と暮らして初めて体感した。レイアやウラノス兄様、お父様ともこうして暮らせたならば、どれだけ良かっただろうか。


  共同生活が安定し長い時が流れた。タナトス兄さんとリオスは子宝に恵まれ、子が更に子を授かり俺達は随分と大家族になった。互いの幸せを願って暮らす日々は穏やかで幸福だった。

  しかし、幸せだけがいつまでも続くことはなかった。時の流れが俺達に残酷を報せる。永遠の時を生きる有翼人が味わうこともなかった死の恐怖だ。

 新たに生まれた子供達には翼が無かった、それは寿命が生じた証となった。翼を失くしたタナトス兄さんとリオスは語る、力や肉体の衰えを感じると。

 同じように彼らの子孫達も時が経過し成長するとやがて衰えを体感し目に見えて老化していくのだ。力が弱まり、肌に皺が生じ、体調を崩しやすい。俺達よりも若い子供達が儚く衰退する。そして悲しいことに彼らの子供達が先に最期を迎える。

 初めて目の当たりにする人の死という永遠の別れに酷く胸が痛んだ。この深い悲しみを幾度も繰り返すのかと思うと気が狂いそうだ。


  いつかはタナトス兄さんとリオスも同じように最期を迎える。それは想像を絶する恐怖だというのに、リオスは未来の…自分が居なくなった後の話を始めた。

 自分達の子孫、遥か先の未来であろうとこの大地に生きる人々へ天と地の心を繋ぐようなものを遺したいと。リオスはまだ空に住まう家族のことを想っていたのだ。

 途方もない発想に俺とセレネは度肝を抜かれてしまう。

  リオスの想いを汲み取ったタナトス兄さんは一緒に"もしも"の時の為になる物も遺そうと提案する。俺とレイアが世界を崩壊させるほどの壮絶な喧嘩をした以降、お父様をはじめ空の家族は地上に顔を出すことはなく俺達に干渉してくることもなかった。だがそれがいつまでも続くとは限らない。

 大きな争いが起き、再び世界が崩壊するような事態となれば自分達よりも劣る力の子供達では身を守ることすらも難しい。だから守る力を遺したい、タナトス兄さんはそんな"もしも"に備えようというのだ。俺とセレネも二人の想いに賛同し、四人で未来への贈り物を用意することにした。



  世界の危機は不意に襲い掛かることとなった。

 未来への贈り物の話が出てから日も浅い時、天より"制裁"の宣告を受けた。

 "もしも"の時など訪れなければ良いと誰もが願っていたのに、お父様の怒りは鎮まることはなかった。

 情けだと言い、制裁まで日の猶予を与えられたが甘んじて受けるつもりはない。

 俺達にはもう世界と比べものにならないほど大切な守るべき家族が居る。

  未来への贈り物と並行して今を守る対策を俺達は連日話し合った。辛い選択ばかりを迫られる話に心が疲弊していくが、家族を守るためには避けられない。

 対立することの苦しさからは逃れられない。俺達はお父様の庇護を拒み、望んで地上で生きているのだから。


  制裁前夜、四人での最終確認を終え住処に戻ると少女の美しい歌声が聞こえてきた。無邪気に歌っている娘と嬉しそうに歌に耳を傾ける母親の姿を見ると宝物のように思えた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

  帰ってきた俺に気づくとつがいである彼女が微笑んで出迎えてくれる。

「おかえりなさい」の言葉ひとつで幸せになることがあるなど昔の自分は知らなかった。自分の帰る場所がある、帰ってきたことを喜んでもらえる。それがどれだけ幸福なことか。

  小さい頃は飛びついて来る勢いで出迎えてくれた娘は傍にすら来てくれない。

 母親と同じように「おかえりなさい」と声をかけ笑顔を見せてはくれる。それでも近寄ってこないのはわざわざ父親に甘える必要もなくなったからだろう、娘の自立が嬉しくも少し寂しい。


「初めて聞く歌だな」

「セレネから新しく教わりました」

「またセレネのところに行ったのか」

「はい」

「…歌なら俺だって教えられるぞ」

「お父さんのお歌よりもセレネのお歌のほうが綺麗です」

  子供とは素直で残酷だ。事実を容赦なく突き付けてくる。俺も歌は下手ではないと思うのだが、どんなに子孫が増えようとセレネより歌の上手い者は未だ現れないのも事実だ。正確に言うならば唯一無二の魅力がセレネの歌声にはある。

 客観的に聞いても誰の歌も上手い下手に大きな差はないのだが、セレネの歌声が圧倒的に響き清らかだ。その彼を比較対象に出されてしまえば勝ち目はない。

  娘のディオーネはセレネに懐いている。

 俺の子供にしては感情的ではなくクセのある性格をしているせいかあまり他人と関わろうとしない。そんな中でも性格が合ったのか憧れなのか昔からセレネへは心を許しているようだった。

 自分の弟を慕ってくれているのは喜ばしい反面、娘が父親である自分よりも弟に懐いているのかと思うと複雑である。父親の立場というか尊厳というか…とにかく寂しい。

  近年のディオーネはあまり俺を頼らず甘えない。幼い頃は俺の後ろを付いて回り、遊んで欲しいとせがみ、可愛い声で何度も呼んでくれたのに。

 親離れはここから始まるのかと、この話をタナトス兄さんにしたら笑われたのを思い出し必要以上に娘を問い詰めるのを堪える。

 ディオーネは子供に変わりないがもう幼子ではない。

 俺が娘の行動や意思を制限ばかりすることはしたくない。


「あなたにも聞かせるって言って、ずっと歌って待っていたのよ」

  複雑な思いで娘を見ていると隣に居た母親が耳打ちでこっそりと教えてくれる。歌っていたのは自分の為かと思うと途端に嬉しさでいっぱいになるのだから、俺はつくづく単純だ。

「ディオーネは歌うのが好きか?」

「はい!もっと上手になって人の心を癒せるくらいになりたいのです。綺麗な歌は心が洗われますから」

「そうか。ディオーネなら必ずできるさ」

  理想や願いがあることはいいことだ。それだけで生きる糧になる。

 この無垢な夢を見届けられないのが本当に残念だ。

「もう夜も遅い、おやすみなさい」 

  娘が床につくのを二人で見守り、長い眠りへと誘うべく子守唄に乗せて魔法をかける。次に彼女が目覚める時、世界がなるべく優しいものであるよう願いを込めて。

「…ごめんな」

  安らかに眠る娘の頭をそっと撫でる。

 娘のディオーネが地上で新たに誕生した生命の中で唯一翼を持ち、最も魔力を有していた。だから彼女が未来の地上を託す者として選ばれてしまった。娘を危険に晒す必要がなくなったことに安堵している自分も居る。目が覚めたら恨まれてしまうだろうか。 


「なあ…君も一緒に――」

  娘と同様に眠るかと再度問おうとしたがディオーネの母はすぐに首を横に振った。最初に提案した時も彼女は迷うことなく断った。

 ディオーネと共に眠り、未来でも娘と共に暮らしてほしい。何より彼女にも生きていてほしい、そう思ったのだが彼女の必ず娘を守りきるという決意は固いようだった。

  俺達四人が居なくなろうとも彼女達には生き延びてもらい、これからも生き続ける。今よりもずっと過酷な環境になるかもしれない。それでも家族皆で力を合わせて生き抜いてほしい。

「…ごめん」

「もう謝らないでください。私は充分幸せにしてもらいましたよ」

  俺は彼女の傍に居てやることもできなければ、最悪の場合、彼女にも娘と一生の別れをさせてしまう。辛い思いを押し付けてしまうというのに彼女は俺の番として、ディオーネの母親として毅然と振舞い続けた。俺には勿体ないくらい出来た人。他の番のように俺だって彼女と娘にこれからも幸せな暮らしをさせてやりたかった。

  皆を守る為に自分が先陣を切ることに不満はない。けれど、彼女と娘を想うとどうしても申し訳なさが募る。強く気高い彼女は俺が死の覚悟を伝えてから一度も弱音を見せはせず、決断を尊重し支え続けてくれた。大切な人に無理をさせてしまう…俺は昔から進歩していないのかもしれないな。


  天より降りてくる有翼人が地上を一掃する、制裁。

 明日は戦いになる。どうあっても分かり合えない悲しさが胸を虚しくさせる。

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