Ⅲ 素晴らしき世界-2

「――そこまでです!」

  上空より飛んで来たウラノス兄様はレイアと俺の間に留まった。

 兄様の哀しい瞳がレイアを見据えていた。

「邪魔をしないで!」

「お父様が二人の勝手に失望されていますよ」

  ウラノス兄様が「お父様」と口にすると暴走していたレイアが嘘のように大人しくなった。ようやく彼女に理性が戻ったようだった。

「…よく御覧なさい、これが貴女の望んだ世界の姿ですか?」

  レイアは地上の惨状を見下ろし愕然とした。地上の大地は浮上した陸部の跡地が空洞になっていたが、ひとつながりの大きな陸地として残っていた。しかし、俺達の魔法の応酬により大地は分断され海に散り散りとなっていた。そして彼女が慈しみ育んだ緑は水没により絶え、数多の動物の生命が力尽きた。彼女の愛した美しい世界はどこにもなかった。

「違う…私は…こんなことがしたかったわけじゃ…」

「きちんと反省してください…そして自覚なさい、私達の力は容易に世界の姿を変えられてしまう。扱いには充分に気を付けなさい」

  言葉を失ったレイアは泣き崩れてしまった。

 俺がもっと早くにレイアを鎮められていれば…彼女がこんなに傷つくことはなかったのだろうか。世界は今も変わらず美しかっただろうか。己の無力さに後悔の念が生まれる。


「アレス」

「…はい」

「対である貴方が居ながら何故止められなかったのですか…」

「……申し訳ございません」

  こちらにだって言い分はある。対であるとはいえレイアのことを制御できるわけじゃない。俺だって出来る限り彼女を鎮めようと努力はした。それでも俺にだって限界がある。だけど、この取り返しのつかない惨状を招いた原因は自分にもある。その負い目から俺は何も反論ができなかった。

「時は戻せません。豊かな自然を蘇らせるまで二人は帰ることを許しません。いいですね」

「…はい」

  ―― どうすりゃよかったんだよ。

 強い怒りの鎮め方も、深い悲しみの慰め方も、自分のやりきれない靄の払い方も分からない。大きな感情の対処の仕方を誰も教えちゃくれない。

 …どうしてお父様はご自身でレイアを止めに来てくれなかったんだ。大切な愛する子供なんじゃないのかよ…。



  やり場のない感情から逃げるようにボロボロになったレイアとは距離を取り、一人で黙々と自然の修復作業を始める。

 まずは海水に飲まれてしまった大地を救い出し、バラバラになった大地同士を繋ぎ合わせる。裂かれてしまった大地は綺麗に元通りとはいかなかったが、いくつかの大陸になるまでは戻せた。

  タナトス兄様やリオス、セレネは無事だっただろうか、巻き込まれていなければいいが…。彼らの安否を確認したい気持ちになったが、きっとお父様はそれを快くは思わないのだろう。これ以上お父様の反感を買うのが躊躇われて俺は衝動を抑え込んだ。

  次は森や草原など植物の再生か。蘇らすことは不可能だ、新たに芽吹かせる必要がある。潰えてしまった動物達や自然に詫びながら彼らの散らせた生命の魔力を使って土を耕し均していく。しかしどれだけ集中し魔力を尽くしても草原がせいぜいで木々や花々といった美しい緑には到底辿り着かなかった。

 やはり俺には水や土の扱いは難しく上手くいかない。火と風を起こし変形や造形は容易く出来るが、生み出し育むことはできない。この広大な大地をレイアがいかに苦労し、大切に守り育てていたかを今更痛感する。長い時間一緒に生きたって分からないことのほうが多い。


  突如いくつかの水滴が頭上から降ってきて俺の身体を伝った。

 顔を上げれば雲が空を覆っており、たちまちに大量の霧雨が降ってきた。

「…相変わらず雑ね。恵みが充分に行き渡っていないわ」

「仕方ないだろ…苦手なんだから」

  降りしきる雨は柔らかく、罅割れ傷ついた大地を癒していく。

 レイアが詠唱を始めると一気に植物が芽吹き、見る見るうちに緑の恵みが広がる。

 俺も重ねるように詠い、緑に活力を与え成長を促した。二人での共同作業など何時ぶりだろうか。リオスとセレネの為に見本でやってみせた時が最後だったか。

  大地に木々や花、実といった彩りを再び添えることができたが元気に駆け回る動物達は戻らない。静かな大地に降り立ち俺達は自らの過ちの大きさを改めて気づかされる。生命の息づく音とはいかに尊かったかを思い知らされる。

  祈るように両の手を握り、地に膝を着いたレイアは黙祷していた。

 俺も同じように謝罪の想いを世界へ捧げた。自らの役目に反する行いを猛省する。

 もう二度と、こんな痛みを繰り返してはならない―――。


  やがてレイアは翼を広げ空へと飛び上がる。

 だけど俺の足は地に着いたまま離れられなかった。

「…帰るのか?」

「当たり前でしょう。私達の帰る場所はお父様のいらっしゃる所よ」

「…ああ…そうだよな」

  それが当たり前だ。俺だってずっとそう思っていた。

 だけど、俺の中の迷いが帰りたくないという気持ちにさせる。

  タナトス兄様やリオス、セレネに対する罰は本当に正しかったのか。あんな惨たらしく傷つける必要があったのか。何故子供の気持ちを理解しようとはなさらなかったのか。挙句、乱暴に捨てられてしまうなんて…俺はお父様の判断を受け入れきれなかった。

「……俺は帰らない。地上に残る」

  俺の言葉に目を丸くし驚いた様子のレイア。彼女は少し考え込むと俺の目を真っすぐと見た。察したのかもしれない、これは今生の別れになるかもしれないと。

「…そう、それじゃあお別れね」

「そうだな」

  引き止めることはしないか。薄々気づいていたのかもしれない、俺達兄弟が同じ方向を向けていないことを。まとまっていなかったものが致命的にバラバラになってしまったことを。

「…ごめんなさい。一方的に感情をぶつけるようなことをして」

「俺も無神経だった。悪かったよ」

  お互い謝罪し和解できているのに、それでも俺はもう今までと同じにはできない。レイアのこともお父様のことも決して嫌いではない、変わらず大切に思えている。だけど、俺は諦めてしまった。どうにもできない心の溝の埋め方が分からなかったんだ。

「…さようなら、アレス。あなたの未来が健やかでありますよう」

「おう、元気でな、レイア」


  レイアは俺を置いてお父様の居る空の楽園へと飛んで行った。

 一生の別れにしてはあまりに簡素だ。けれど不思議と多くを語らずとも互いの意図が理解できた。これがたった一人の対の相手だからこその感覚なのだろうか。

  俺達はよく反発しあっていた、互いの考えが分かるからこそ譲れないことが多かった。分かり合えるならリオスとセレネのように仲良くやれそうなものなのに。

 相手の善さを理解しながらも自我の強い俺達は自己を貫いてばかりだった。

 似た者同士だと言ったらレイアは怒るかもしれないけれど、やっぱり俺達は根っこは似ていると思う。



  この先、会おうと思えば俺達は何度でも会えたはずだ。

 だけど直接顔を合わせることはもう二度となかった―――


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