Ⅲ 素晴らしき世界-1


  豊かな自然に満ちた世界は今日も壮観だった。

 空を翔けて世界を眺めるのは最高に気持ちが良い。

  創造主たる神より生まれた俺達兄弟の使命は星を守護すること。星を育み、世界を豊かにすることが俺の役目だ。この世界と役目は俺の誇りだった。

 永い時が経とうと美しさを損なわない、愛すべき世界。共に役目を務める兄弟と過ごす日々は平穏。恐れるものなんて何もない。俺達家族が居ればいつまでもこの世界は保たれる。

  皆も自分と同じ思いだと信じて疑わなかった。

 永い時を掛けて育み守り続けた世界と親愛なる家族がいとも容易く壊れてしまうなんて、馬鹿な俺にはちっとも想像ができなかった。

 俺達は脆く造られた幸せに酔いしれていただけだったのかもしれない。



  豊穣を司るレイアは育み守る緑と向き合う時、いつだって慈愛に満ちた表情をしていた。俺と違い自然との接し方が丁寧で心から愛情を注ぐ彼女の姿は双生でありながらも真似ができないなと尊敬していた。

  だが最近のレイアは明らかに様子がおかしい。自らが最も世話していた宮殿周りの庭園を暗い瞳でぼんやりと眺めている。庭園に居る彼女は誇らしいような幸せな表情をしていることが多かったのに。気に入った場所である筈の美しい庭園を何故だか不意に険しい目つきで見ている姿もある。

「なあ、レイア。お前変だよ」

「変?私のどこが?」

「どこがっていうと…とにかく、今までと違うんだよ」

「何よそれ。いい加減なこと言わないでくれる?」

  俺の直感的な心配はレイアに冷たく一蹴されてしまった。こちらの言い分が素直に受け入れられたことなんてないが、突っぱねるように拒絶されたことはあまりない。

 対の子である俺に対しては少々ムキになる強気さはあったものの、彼女は基本穏やかな気性だ。兄であるウラノス兄様には敬意を持ち、率先して役に立とうと役目にも協力的であった。妹弟であるリオスとセレネには優しく魔法の扱いを諭す姉でもいた。俺と違い、品の良いレイアとは意見がぶつかることはよくあったが、大体俺が大雑把な性格がゆえに彼女の機嫌を損ねていたせいだ。

  それなのに最近は俺が関わらずともピリピリと苛立っていることが多くなった。

 たしかに違和感を感じていたのだが、時が経てば収まるだろう。最初は軽くそう思っていた。


  しかし、レイアの苛立ちは収まることがなかった。

 タナトス兄様にリオス、セレネが続くようにお父様へ反発し楽園を離れた。

 心境が穏やかになるような状況ではないとはいえ、凄惨な追放に悲しみや恐れを抱き胸を痛めようとも、苛立ちという感情を持ち続けている彼女の様子が俺には理解ができなかった。何が彼女の心をそんなに蝕んでいるのだろう。

「悩みがあるならさ、ウラノス兄様に話してみたらどうだ?」

  本当ならお父様と言いたいところだが、お父様は度重なる子供達の反抗に深く哀しみ創生の間へと引き籠ってしまった。新たな子供を生み出していないのだから今は眠る必要なんてないのに…残った俺達へは何も言葉をかけてはくださらない。

  レイアは俺のことなど頼りにしていないだろう、ウラノス兄様ならば彼女の悩みや苛立ちを解決してくれるかもしれない。そう思ったのだがレイアは俺の提案すら耳を傾けず、自分の姿が映る泉を無言で見つめていた。

  宮殿を中心に大陸を切り離し浮上させられたこの地はレイアが特に手入れをしていた区画で美しい景観が保たれている。浮上したことにより俺達は限られた大陸内で暮らしている。そして庭園は今やレイアの定位置にもなっていた。

  庭園にある泉の澄んだ水面に彼女の求めるものでも映るのだろうか。

 俺が見る限りではゆらゆらと揺れる水草と伸び伸びと泳ぐ小魚、それと険しい顔をしたレイアしか見えない。


「…私だってこんな思いは嫌…捨ててしまいたいのに私の心を焦がすように疼きがずっとあるの…」

  しばらく共に泉を眺めているとレイアが弱々しく吐露し始めた。

 彼女の心を映し出すかのように雲がどんよりと暗くなり、少し肌寒さすら感じたがようやく話してくれそうだ。俺は静かに彼女の言葉を待った。

「私以外の兄弟の話をするお父様を見ると羨ましくなるの…特にリオスを可愛がる姿を思い返すと胸が痛んで苦しくなる。そんな自分に嫌気が差して腹が立って…どうしようもなくなるの…」

  ぽつりぽつりと零れだすレイアの内心に俺は戸惑ってしまう。たしかに妹であるリオスは兄弟の誰にもない愛嬌があり、お父様が少し甘い扱いをしていた気はするが…そんな感情に襲われたことなど俺にはない。お父様は子供達皆に愛情を与えている、不満に感じたことなどない。


「いつまで経っても疼きが止まらないのよ!どうしたらいいの!?ねえ、教えてよ!!」

  突然大声を上げ、俺の胸倉を乱暴に掴むレイアは見知らぬ人に見えた。痛々しい姿に圧倒されてしまう。こんなにも感情的に取り乱す彼女を初めて見た俺は思考が働かなくなっていた。

  レイアは俺に対しては少し棘があるものの気立ても良くしっかり者だ。

 魔法の扱いも上手く、自立できており誰かに迷惑を掛けるようなことはせず、我儘も言わない手間のかからない子だ。そんな彼女の良さが彼女自身を苦しめていたなんて想像もしなかった。

  きっと行き場のない感情が膨れ上がりとうとう爆発してしまったのだろう。

 その感情の処理方法など俺にだって分からない。彼女のような苦しみを感じたことも見たこともないのだから。

「アレス、答えてよ…私はおかしいの…?」

「…分からない…」

  乱れていく彼女を直視できず、馬鹿な俺は素直に答えてしまった。

 正しい答えでも彼女の求める答えでもなかった。

 恐らく俺では彼女の欲するものは与えてやれないし、癒す術も持ち合わせていない。俺の無知さではレイアを救えなかった。


「…そうよね…分かるはずない…能天気なアレスなんかに私の気持ちなんて…」

「あのな、俺だっていつも考え無しで行動してるわけじゃ…」 

「いつも好き勝手にやってるでしょ!あなたの度の超えた火起こしや大地の隆起、強風で荒れた緑を誰が整えてると思ってるの!?妹達への指導も大雑把だし私が大切に育てた花を散らした時だって悪びれもしなかった!…あなたには…心がないのよ!」

「はあ!?お前自分が腹立ってるからって俺を悪く言う必要はないだろ!?」

  捲し立てるように不満を吐き出したレイアは怒りに身を任せることにしたようだった。俺を攻撃対象にして鬱憤を晴らそうとでも言うのか、冗談じゃない。

  レイアの言い分に思い当たる節はある。でも俺だって悪気があった訳ではない。

 雑な部分があったのは認めるが全部善いと思ってしたことだ。

 妹達への指導も長ったらしく講釈するよりは簡潔にしたほうがいいと思い短くまとめただけだ。花を散らしてしまった時は雑草を刈ろうとし魔法の匙加減を誤り広範囲に突風を吹かせてしまったのが原因だ。悪気がなかったとはいえレイアが花を大切にしていたことは知っていたので謝罪もした。…それなのに心がないとまで言われる謂れはない。


「もう堪えるのはウンザリよ!我慢したって良いことは何もない!結局、皆自分の感情を優先してるじゃない!どんなに良い子で居てもお父様が私を見てくださらないなら意味なんてない!」

「レイア…?」

  ただの怒りでは収まらない、彼女の尋常ではない様子に俺は困惑してしまう。

 俺への文句をぶつけてきた時は怒りながらもいつものレイアが垣間見え、少し油断してしまった。感情が己で制御できないほど暴走し歯止めがきかなくなっている。一度しっかり冷静にさせないと駄目だ。

「だったら…私だって好きにしてもいいわよね…?」

「ちょっと落ち着けって、な?」

「煩い!」

  昂る感情が一向に収まらないレイアは俺を力強く突き飛ばした。

 どんなに機嫌を悪くしても人に危害を加えるようなことはしなかったのに。

「もう放っておいてよ!アレスには私の気持ちなんて分からないのだから!」

  レイアの周囲を荒々しく水が舞った。少しでも彼女の意にそぐわない行動をしようものなら攻撃するという圧がある。

 彼女が冷静でないことは確かだ。いつもの彼女ならばこんなことはしない。だが、これほどまでに膨れ上がった強い怒りを鎮める方法など分かりやしない。

 少々強引だが魔法を使って力づくで抑え込むか…?レイアを傷つけるやり方はしたくはないが…。


  俺の意思を先読みしたかのように無数の水は鋭さを増し、鋭利に尖った先端が俺に向けられる。こんな攻撃を無抵抗で受けるわけにはいかない。防御態勢を取るべく魔力を練り上げ自身の周囲に火を生成し待機させる。

「…そうやって力任せで解決しようとするのね」

「違う!誤解だ!」

  レイアは敵意を剥き出しにして俺を睨んだ。こちらが攻撃を仕掛けると思ったのだろう、俺の行動はいつもレイアに悪くとられてしまう。

「いいわ。あなたのやり方に合わせてあげる…!」

  その言葉を合図に水達は凄まじい勢いで突撃してきた。

 宮殿周りを始め、浮遊した大陸はレイアの手が行き届いた緑と水に愛された土地だ。大陸内にある泉と滝からいくらでも水の増援は来る。とてもじゃないが全てを消化しきれない。自らの身を守るので精一杯だった俺は堪らず大陸を飛び出した。


  溜めに溜め込んだ鬱憤を晴らすようにレイアは次々に魔力を解き放っていく。

 天候は荒れ狂い、大地は怒りで震え、穏やかさを失った海が世界へ襲い掛かろうとする。海面が空高く上がり大陸全てをすっぽり飲み込んでしまいそうなほど膨れ上がる。あんな巨大な津波が押し寄せたら生き物は全滅だ。

  レイアは感情任せに自身の魔力を使っていて制御する気など更々ない。

 あまりの異常さに本能が恐怖を訴えかけてくる。

 俺は意図してこの魔力に匹敵する魔力を引き出し扱わなければならない。それが出来なければ…世界を守れない…!


「こんの馬鹿野郎ぉぉぉぉっ!!」

  自身を力任せに奮い立たせありったけの魔力を漲らせる。

 強過ぎる力は俺の意思から離れてしまいそうになるが踏ん張って堪える。

 自分にはこんなに魔力が秘められていたのかと驚いたが感心している暇などない。

  巨大な津波を爆散させ海水を遠くへ追いやり、同時に大陸全土を飛散した海水から守るように風の障壁を作る。続けて荒れ狂う気候を台風で相殺し、太陽の光を通さぬほど厚い雲を吹き払い晴天へと戻す。

 しかし押し寄せる津波全てを処理しきることはできなかった。風の障壁の隙間から海水が流れ込み、たちまちに大陸を飲み込んでいく。更に津波の激流は強い振動となり大地を裂いた。轟音の合間、微かに聞こえる動物達の悲鳴に気が狂いそうになる。

 結局、俺が守れたのは山や崖上など高所の場所だけで低地部は全て水が喰らった。


「はあ…はあ…」  

  上手く呼吸が出来ず胸が苦しい。少しでも気を抜けば意識が飛びそうだ。

 だがレイアは同じように消耗しているというのに魔力の解放を止めようとはしない。まだ破壊衝動が治まらないのか…!? 

「レイア!自分が何をしているか分かってるのか!?」

  兄弟で守り続け豊かにした美しい世界が僅かな時間で様変わりしていく。

 誰よりも調和のとれた自然を愛していたレイアが自らそれを壊していくなんて、今でも信じられない。

「…もう嫌なのよ、こんな思いは!全部、全部、無くなってしまえばいい!」

  彼女の悲痛な叫びに俺は戸惑うことしかできなかった。

 思えば俺はレイアの内心を聞いたことは一度もなかったかもしれない。無神経な俺は自分で思っているよりもずっと彼女を深く傷つけていたのだろうか。俺はあらゆる場面で配慮が足りていなかった。もっと兄弟の心に耳を傾けるべきだった。

 そうしたら…もしかしたらきっと…今とは違う未来になっていただろうか…

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