Ⅰ 星の守護者-2


  タナトスが隣に居ない日々は酷く空しかった。

 自分の行いのせいで彼を海の底に閉じ込めてしまうなんて。

 私が創造魔法を一切使わなくなった事に気づいたお父様が私を諭しにやって来た。

 例え私が魔法を使わなくたって世界は今日も生きている。しかし最期を迎えるものだけが増え続ければ星を保つ魔力のバランスが崩れるのだろう。

「ウラノス、お前の役目は星と生命を守ること。しかしどんな生命もやがては終わる。星より生み出す生命をウラノスが守り、タナトスは終えた生命を星へ還えし始まりに繋げ生命を循環させている、お前達は二人でひとつなんだ。どちらが欠けてもならない、大切な役目なんだよ。分かるね?」

「…はい」

  お父様は私の頭を愛おしそうに撫でた。

 とても優しいのに悲しいほど冷たい。お父様が覗かせる御心は複雑だ。

 理解はできても納得ができなくて。私は生まれて初めて心に靄を抱えた。


  ――独りは寂しい。

 多くの動物に囲まれようと、隣にタナトスが居ないのは寂しくて。いつだってタナトスをつい探してしまう。何をしても楽しさも嬉しさもない。二人で居たから幸せだったのだと痛感した。心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったみたいだ。

  ずっと会えないわけではない。私が海の底に行けば会えるし、彼が地上に出てこれば会える。けれど、彼はいつも辛そうで心から笑えている様子はない。

 きっとタナトスは笑えなくなってしまったんだ。私がどんな話をしても、懸命に作った笑みを浮かべるばかりだった。

  次第に私達は互いに顔を合わせることがなくなった。

 会えば気を遣い、気遣わせる。そんな関係に疲れ苦しくなってしまった。

 どれだけ高位の魔法が扱えるようになろうと他者を癒す力はない。私に彼を元気づける力があれば良かったのに。そう何度も願っては時が過ぎていった。



  私が落ち込んでいるとお父様は新たに子供を二人生み出した。

 今日から私が二人の兄になるのだと。二人は共に私の生命を育む役目の手伝いをしてくれるそうだ。

  ではタナトスは。彼にも同じように役目を補助してくれる者がいるのだろうか。

 そう問えば、タナトスは変わらず独りだとお父様は言った。

 あの暗闇の中、彼は独りきりで役目を続けなくてはならないのか。

  私の寂しさは代わりでは埋まらない。タナトスが独りなことが辛いのに。

 お父様には少しも理解してもらえない。

 けれど、私には分からなかった。どう伝えれば、自分の気持ちを正しく理解してもらえるのだろうか。お父様との会話の仕方がまったく思いつかなかった。

 新たな二人の子供に役目を教えるとお父様は長い眠りについてしまった。


  新しく生まれた妹のレイアは要領が良く気も遣える少女で、水と土の魔法でたちまちに地上を豊かにした。

 弟のアレスは少々大雑把な節は見られたが兄弟で誰よりも元気が良く、火と風の魔法で地上を活発に開拓した。

  こちらの双子は私達とは違い、よく些細な言い合いをしていた。

 性別の違いからか、はたまた根本的な性格の違いか。こうするべきだと自身の主張をぶつけあっていた。二人は対立するが負けず嫌いで頑固なところはよく似ていた。


  穏やかなレイアと元気の塊のようなアレス。二人は事あるごとにどちらが凄いかを比べていた。そうして兄である私に優劣の判断をせがんだ。きっと褒めてほしい、認めてほしい。そういった願望からだろう。私は決まって二人の良いところと悪いところ両方を指摘してから二人を褒めた。二人が拗ねたり、喜んだりと変わる表情や成長していく姿は素直に愛おしいと思えた。

  地上には滝や湖、山に森、果実が次々と創造されると気候も変化が生じ、様々な景色に移り変わった。競い合っているようだが、二人は良い方向で互いに刺激を与えていた。そんな二人の姿を見ると、どうして自分の隣にはタナトスが居ないのかと考えてしまう。私達だってやろうと思えば二人と同じことが出来た、なのにどうして。尽きない疑問が私の心を蝕んでいく。


  環境の変化で動物や植物の生態系も変わり知らないものが増えてきた。

 レイアとアレスは未知との遭遇に心を躍らせ、自らの成果で生まれたものに喜んでいたが、私は少しの困惑を覚え始めた。

  世界の安寧を守るとは何だろうか。世界が変わっていくことは安寧で良いのだろうか。タナトスと二人きりで過ごした頃から地上は随分と変わってしまった。

  では安寧を脅かすものとは何なのだろうか。私が生まれて長い時が経ったが害は生じていない。世界が発展していくことは善で良いならばどこまで発展は許されるのか。

 すっかり今の自分のしていることはレイアとアレス、そして世界を見守るだけだ。私の手が離れても新たな生命は誕生し続ける。

 ならば私の役目とは一体何なのだ。自分の役目が分からなくなってきていた。



  やがてレイアとアレスを生み出し長い眠りについていたお父様が目を覚ました。

 様変わりした地上を見てお父様は何と言うのか、期待よりも不安が勝った。

 お父様がお怒りになった姿は見たことがない。だからこそ怒りがより怖かった。

  けれど、そんな心配は杞憂に終わった。地上を見てお父様は満足げに微笑んだ。

 お父様はよくやったとレイアとアレスを大いに褒めた。無邪気に喜ぶ妹弟を見て疎外感を初めて知った。

「ウラノスもよくやってくれたね。星は以前に比べてとても魔力に溢れている、上出来だよ」

「…はい」

  私は何もしていない。ただ傍観していただけだ。

 自分の存在意義とは一体なんなのだろうか、長い時間の経過で心が擦り切れてしまいそうだ。お父様のお考えや役目の意義を正しく理解出来ている自信が無くなっていたことに気がついた。

「元気がないね。休息は取れているかい?」

「お心遣いありがとうございます、大丈夫ですよ」

  気にかけて貰えたことは素直に嬉しかった。私がそう答えるとお父様は「そうか」と頭を撫でてくれた。

  お父様は私達子供を愛している。昔からずっとそう感じられるのに何故だか違和感も感じてしまう。まるで大きな壁に阻まれているような。手の届く距離に居るというのに決して相容れることのない遠くに居るような。どうしてそう感じてしまうのか、私には分からなかった。



  お父様は更に二人の子供を生み出した。まだ世界には足りないものがあるのか。

 生きる意義を見失い始めている自分は新たな妹弟を受け入れられるのだろうか。幼い生命は眩くも恐ろしくも思えた。

  新たな双子も同じようにお父様から私達兄弟の役目について教わっている。

 大きな瞳を輝かせながら父親と交流する姿は平和そのものなのに、私は悲しくも見えてしまった。純粋無垢な二人の心が今のまま保たれ霞まないでいて。

 四人ともどうか私のようにならないでほしいと願うばかりだ。

「私の分も星と家族を頼むよ」

  私に言い残すとお父様は再び深い眠りについてしまった。

 そうか、私は星と家族を守るのか。星と兄弟が居る限り私は生きなくてはならない。意義なんてそれだけで十分だ、自分にそう課して生き続ける。それが役目なのだから。

 

  新たな双子は世界に昼夜を齎した。

 天真爛漫な少女、リオスは太陽そのもののように辺りを温かく照らし世界に輝きを振り撒いていく。人懐こい彼女は兄弟ともすぐに馴染み、空気も心も明るくしてくれる。空に陽を上らせる彼女の楽し気な歌は朝を迎える喜びを感じさせてくれた。

  一方引っ込み思案な少年、セレネはリオスと居るか一人で居ることが多かった。

 未熟で他の兄弟と比べると魔法の威力が劣る彼は自分に自信がないようだった。けれど透き通るように綺麗な歌声は家族で誰よりも美しかった。私は彼の心に響く歌が好きだった。動物達と心を通わせ自然に艶を添え、世界に夜と安穏を与えてくれた。

  夜を司るセレネが詠えば空は暗く染まり月と星が現れ夜が訪れる。

 初めて見る空の闇は暗いのに安らぎを感じた。暗闇は恐ろしいだけではないと知った。星々が瞬く闇夜の美しく穏やかな時を兄弟五人で迎えたことは一生忘れない。


  時間と太陽と月の移り変わりは四季を生んだ。世界はますます鮮やかにその景色を変えた。至る所も魔力で満ち、精霊達が飛び交った。

  タナトスは…知っているでしょうか。

 地上はあの頃の私達から想像もできないほど別世界になりましたよ。彼にもこの美しい地上を見せてあげたい。

 兄弟も賑やかになった。しかし、私の埋まらない寂しさは募る一方だった。兄弟は六人居るというのに顔を合わせるのは五人だけなんて。貴方を想う時間ばかり増えていくのに、会いに行けない私は意気地のない臆病者だった。




  豊かになっていく地上が、心を通わせる兄弟の姿が、幸せを感じる度により強い罪悪感に苛まれ、孤独を呼び起こす。相反する感情の行き場は今も見つからない。

  妹弟も成長し兄である私の手を必要としなくなった。皆が役目を全うし、気の赴くまま生活をしている。私はまた、世界を見ているだけの存在になっていた。


  夜の浜辺を当てもなく一人で歩く、月の淡い光が心地良い。

 最近は昼間に出歩く機会が減った、太陽の光を眩しく感じるようなったからだ。

  陽の光が注がない海面は暗く黒い。こうして底の見えない海を何度眺めただろうか。浜辺にまで足を運ぶのに、どうしても次の一歩が踏み出せない。冷たい水の中へ行くのがこんなにも怖いなんて…自分は随分と情けない生き物だと痛感させられる。

  多くの動物達は夜になると活動を止め眠りにつく。視界の悪くなる暗闇がそうさせるのか、静けさが眠気を誘うのか。それに従ってか妹弟達も夜になると大人しくしている。ただ一人、夜を司る末弟は昼よりも夜に出歩くことが多い。知ってはいたがこの広大な大地で意図せず兄弟に出会える確率は決して高くない。だからこそ自分の歩く先に佇む末弟を見つけた時は少し驚いた。


  月光の色に近い白銀の髪色と白い肌を持つセレネは今にも月夜に溶けて消えてしまいそうなほど儚く見えたが、暗き海をじっと眺める表情は穏やかだった。

 私は海を見ることすら怖い、特に夜の海は。自分の愚かさに苛まれるからだ。

「ウラノス兄様も聞きに来られたのですか?」

  私に気がついたセレネはそっと尋ねてきた。しかし私には彼の問いの意味が理解できなかった。弟には何が聞こえているのだろうか。

「何か聞こえるのですか?」

「時々深海から聞こえてくるのです。微かだけれど優しく切ない音が。静寂に包まれる夜の時だけ波に乗って…ほら、今も」

  セレネが耳を傾ける仕草をするので私も注意深く海へ耳をそばだてる。

 すると波の音にかき消されてしまいそうなくらい小さいが、男性の歌声が聞こえた。あんなにも喜びを分かち合った声なのに今まで気づきもしなかった。

  歌はお父様が私達子供に歌ってくれる子守唄に思えたが所々言葉や音色が異なっている。きっと聞かせる相手が最期おわりを迎えたものだからだ。この歌は彼の優しさが詰まった鎮魂歌だ。

「…僕はあまり兄様を存じ上げていませんが…好きです。寄り添ってくれるような優しいこの歌が」

  セレネは彼との面識はほぼないだろう。話にだけ聞く兄をどう思っているかは知らない。それでも貴方の優しさが伝わり、歌を好きだと言ってもらえている。それが自分のことのように嬉しかった。


  衝動だけで私は海へと飛び込んだ。罵倒されたって構わない、ただ一目彼に会いたいという欲だけが私を動かした。恐怖を煽る暗い海中も、身体を縮こまらせる冷たさも気にも止まらなかった。探し求めた彼を見つけた途端、抱えていた様々な感情がどこかへ飛んでいく。

「タナトス!」

  久方振りに彼の名を呼ぶ声は震えていた気がする。ゆっくりと振り返った男は懐かしさの残る微笑みを浮かべた。髪は随分と伸び、物腰の落ち着いた青年になっていた。自分も同じだけの時を生きた、同じように子供の容姿ではなくなっている。それでも昔と変わらない、自分を迎えてくれる彼は今も優しい眼差しをしていた。

「久しいな、ウラノス」

  望み続けていた再会だというのになんと言葉を続ければいいのか声が詰まってしまい躊躇ってしまう。するとタナトスは歩み寄り、恐る恐る私の頬に触れた。

「元気そうで良かった、会えて嬉しい」

  私が伝えたかった想いをすっと言葉に出来てしまう、タナトスはやはり私の好きなタナトスのままだった。私の想いに誰よりも傍に寄り添ってくれる。

  自分は片時だって彼を忘れたことはないが、彼にとってはどうだろうか。海の底に来ることもなく、地上で家族とのうのうと暮らす兄を恨んでいるだろうか。そんな恐怖を抱いていたがタナトスは変わらずに優しかった。それだけで涙が零れてしまった。


「――ごめんなさい…!」

「謝ることなど何もないだろう」

「ですが…私は…!」

  謝りたいことが沢山ある。それなのに呼吸が苦しくて上手く言葉にならなかった。タナトスは「口にしなくても大丈夫だ」と泣き出す私の背を擦った。

 お父様に意見することも、タナトスを地上へ連れ出すことも。出来たはずなのに、私はそれをしなかった。彼を救いたいと願いながらも役目や苦しさを言い訳にして独りにした。彼に辛い役を押し付け、深海に置き去りにした。

「ウラノスは我慢強く優しい。だから苦しさや願いは口に出さず、善い息子で、兄で居てくれたのだろう。俺のほうこそすまない、ウラノスを独りにして、辛い役を任せきりにして」

  我慢強いのも優しいのも善い人であろうとするのも全部タナトスのほうだ。

 自分は苦しさに耐えきれないあまりか、図々しくも会いに来て甘えている。

 タナトスのほうがずっと、ずっと辛かったはずなのに。自分はなんて情けなく弱いことか。


  タナトスも静かに涙を流していることに気づき涙を拭うと彼は幸せそうに微笑んだ。幼い頃は嬉しいことも辛いことも悲しいこともどんな感情も二人で分かち合ってきた。

「もっと早くに会いに来るべきでした。遅くなってしまいすみません」

「いいや、俺のほうこそすまない」

  二人で謝ると笑い合った。優しさに包まれる安心さが心地よかった。

 ナニモノにも代え難い、幸福だった。やはり私は貴方の隣に居たい。

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