バトル・オブ・ブリテン

 そして、欧州における最後の作戦『第二次ヴェーザー演習作戦』、『第二次ゼーレーヴェアシカ作戦』が開始された。


 1962年4月、ついにドイツはイギリス本土の攻略を開始した。本土防衛に回されていた数千機のメッサーシュミットとホルテンが英国を急襲。それに対し英国戦闘機”ヴァンパイア”とスピットファイアが迎撃に発進、計画を立てた1940年から二十二年越しに世界初のバトル・オブ・ブリテンが開幕した。

 極度の航空機の能力が向上した1960年代に入ると戦闘機の攻撃能力は凄まじいものとなり、両軍の損害はあっという間に増大した。約四千機の飛行機を出撃させたドイツ軍に対し、イギリス軍はロケット戦闘機を千二百機、レシプロ戦闘機を四千機用いて迎撃を行った。数では劣るドイツ軍機は、数々の空戦で複数の機体に追われることとなったが、秘密兵器であるホルテンが活躍することになる。ステルスかつ高高度を高速で飛びまわるホルテンは、英国の対空網を縦横無尽に駆け巡り、駐屯する連合軍艦隊に爆撃後、そのまま航空戦に挑んだ。

 最初こそ背に力は拮抗していたが、ドイツ軍は連日連夜の爆撃でイギリスのインフラ、工場、港、艦隊を爆撃し、防戦に回っていた英軍は徐々にその力を低下させていった。特に突然現れるステルス爆撃機による港湾爆撃は防空網に頼る連合軍艦隊に大打撃を与えた。空戦が始まって二週間、依然としてイギリス空軍が存在しながらも五十年型の空母を二隻、二十隻以上のフリゲート艦を撃沈した。さらには巡洋艦も八隻撃沈し、残った連合軍艦隊は戦力を守るために様々な港に度々移転したが、航続距離問題が解決させる60年代では、英国全土が爆撃機攻撃可能圏内であり無意味な抵抗であった。そしてさらには現代化改修した戦中戦艦までもが撃沈された。

 その後ついに連合軍艦隊は英国本土撤退を決定し、保守党のマクミラン首相は本土決戦準備を命令し英国国民はホームガードとして動員することが決定された。


 しかし、ハイドリヒは上陸を強行せず英国本土の焦土化を命令した。五月に入ると英国空軍は燃料不足と機体不足で半崩壊状態になり、ドイツ軍は自由に爆撃が可能となった。沿岸要塞から鉄道、都市部の水道施設に工場、燃料貯蓄庫など英国の戦略拠点を片っ端に爆撃した。さらには都市部には空から毒ガスを散布し、ロンドンやバーミンガムなどの都市機能は完全に崩壊した。


 その一方で、バトル・オブ・ブリテンが始まったのとタイミングを同じにしてマイヤー率いる装甲軍団がノルウェーに侵攻を開始し、大規模な抵抗があったもののわずか三週間で半島南部の重要拠点を破壊し、そして一週間で降伏した。

 もともと労働者党の勢力下にあったにもかかわらず内戦発生時にトロントイ協定に寝返った裏切者だったために報復として政治中枢部の人間のほぼすべてを処刑し首都であったオスロを破壊した


 そして国家の維持が難しくなってきた英国に対し、1962年6月にハイドリヒは英国全土侵攻を命令。英国海軍が消えたドーバー海峡を渡り、橋頭保の確保を目指して六十万人の兵員が上陸を開始した。上陸地点は予め強力な毒ガスとナパームなどで無力化されており、残骸と化したプリマスとマーゲイトにガスマスクを付けたドイツ兵が次々に上陸を成功させた。


 時間を稼ぐために各地のホームガードが前線に出てきたが、今まで死体の山を築いてきたドイツ軍相手には無力であった。火炎放射器とロケット自走砲を用いて数日にして橋頭保を確保し、さらにドーバーで二十万の敵兵を包囲した。米軍機甲師団が奪還を試みて決死の突撃を行ってきたが、パンツァーファウストを常備した歩兵部隊がそれを撃破、殲滅した。


 激しい攻撃を受ける東部では死守命令が出され、慣れた手つきでドイツ兵は塹壕に籠った。一方で西部では安全な港を確保し、ハウサーは機甲師団の輸送を命令。マイヤー機甲師団は七月に英国本土に上陸した。戦車部隊はバース近郊に展開すると、ホルテンが前線全体に毒ガス散布を行い、それを合図にして機甲師団はが前進を開始した。"国殺しの戦車隊"と呼ばれた最強の部隊ははいとも簡単に英国主力部隊を撃破し、逃げる敵兵を射撃しながら止まることなく進撃しり。して数日足らずで東部と西部の連絡路を作りあげた。さらにはロンドンの包囲にも成功し、そのまま攻撃を敢行した。十五万の歩兵が立てこもるロンドンを制圧するべく、千年以上侵略から守られてきた歴史ある建造物を一つ一つ破壊。ビックベンも根元から爆破し中の狙撃手を殺害した。その数日後にはマイヤーの戦車隊がバッキンガム宮殿に突撃。しかし英国近衛兵が激しく抵抗したために宮殿に空からナパームを落とし、燃えながら出てくる兵士と避難民がいなくなるまで機関銃を撃ち続けた。そして七月末にロンドンは陥落した。


 既に英国王室は脱出済みだったため、南部で3三十万の主力部隊を撃破すると、マイヤーは北進を開始し、スコットランドの制圧に乗り出した。全速力で撤退し戦線を構築しようとした英軍だが、退路を断つべくニューカッスルに十二万人が上陸し、この上陸によって前後から挟まれる形となった英軍の戦線は瓦解した。ロンドンを失ったイギリス軍は戦意を喪失しており、加え英国王室が飛行機で離陸後消息を絶ったことが決め手となり1962年8月7日にイギリスは降伏した。これによって欧州大陸から連合軍は完全に駆逐され、ハイドリヒの戦略目標は達成されたのだった。

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