我が祖国ドイツとは何だろうか

 ハイドリヒがヒムラーを逮捕しようと行動を起こす前、南北部双方で国防軍による反抗作戦に対応していた兵士たちは連日連夜にも及ぶ大攻勢で疲弊しきっていた。帝都ゲルマニアにおいては熟練の親衛隊でも後退を余儀なくされるほどの猛攻を受け、ゲルマニアは一時的に国防軍側に渡った。

 マイヤーは親衛隊作戦本部と連携を取りつつ、一か八かの望みにかけて突出した敵部隊の包囲を敢行し全親衛隊に突撃命令を下し見方が屍で敵を引き付ける間に作戦を開始。初手で首都への攻勢を開始し、元国防軍の彼らは粘り強い抵抗を示したが、戦車部隊でそれを粉砕してさらに東部方向へと進軍を継続する。包み込むように敵軍に沿って進軍しついにゲルマニアの防衛を担っていた精鋭部隊の包囲・殲滅に成功した。

 そして新たな武器の確保によって新たに武装親衛隊員の増員に成功したものの依然として大量の戦車と航空機を保持する国防軍の力は強大であった。

 包囲殲滅が完了した装甲軍団は中央ドイツの武器庫、チェコ一帯の制圧に向けて進撃を開始する。少し前までナチ党の兵士に攻撃を受けていた国防軍の兵士はまともに反抗することもできず、ただただ敗走していくのみであり、降伏したものは将官クラスであれば経歴次第では処刑、一般兵卒は捕虜にした隊内で奴隷のごとく働かされた。

 この連続した作戦で国防軍の三割以上の戦力を削ることに成功した親衛隊は軍事的優勢を確保したが、すぐに国防軍は再び北上を開始し優勢は途端に劣勢となったが、突如ゲルマニアにて共産主義者たちが蜂起。世界最大の人口を誇っていたゲルマニアは世界最大の隠れ共産主義者の巣窟となっていたのだ。ソ連軍から闇ルートで支援を受けた共産主義者十六万人が国防軍の背中を突く形で戦線を構築した。これにより国防軍は対共産主義陣営に兵力を回さなければいけなくなり、ゲルマニア防衛線ははるかに脆弱なものとなった。

 ゲルマニア付近の反乱の対応に追われる国防軍には反撃するような余力は残っておらず、その間に親衛隊は共産主義者と国防軍を各個撃破していく。ついには国防軍の腹を食切る形でナチ党軍とも接敵し、装甲戦力を完全に喪失していた政権軍は国防軍と同様ズルズルと後退していくだけであった。

 オストプロイセンに進駐していた機甲戦力は南部に転進、攻勢を開始し、旧オーストリア領と親衛隊本部が置かれていたミュンヘンを解放、更にそこで国防軍の大規模包囲に成功し、ナチ党と国防軍に残された余力はわずかなものになった。

 そしてそのまま戦争は親衛隊の優勢に進み、ソ連から支援を受けているドイツ民主共和国駆逐の後、機甲師団はナチ党と国防軍の残存勢力を食い荒らした。


 そして1954年10月末に労働者党勢力が降伏。そして11月には国防軍勢力が親衛隊勢力に降伏し、一年半に及ぶ地獄の三つ巴内戦は終結した。

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