世紀の大実験

 オーレンドルフがヒムラーの執務室で紅茶を飲んでから三日後の1952年3月19日、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーやナチス宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒ、その他の親衛隊高官、党幹部、国防軍高級士官などの錚々たる面々がモスコヴィーン国家弁務官区内のモスクワへと降り立った。モスクワ中央に位置するモスクワ駅前にはその要人たちを迎える車が列をなして並んでおり、一言で表すとなればまさに『壮観』であった。

 そして車に乗り込んだ彼らはモスクワ郊外にある軍事飛行場まで移動し、そこに駐機しているユンカース社製の特殊仕様機に乗り込み実験場のあるアルハンゲリスクの基地へと向かった。


 アルハンゲリスクにある即席ような飛行場には各高官やハンガリーやイタリアなどの同盟国の首脳たちの観覧用に並べられた椅子とヒトラーのために用意された大きな机と豪華な椅子が置かれ、その前にはこの時代の技術の全てをつぎ込んだと言っても過言ではないほどの大きさを持つモニターと巨大な音響装置が設置されており、その画面の先には小さな木でできた小屋が何棟か並んでいる。

 そして、そのスピーカーからカウントダウン新時代開幕の号令が開始される。

200m zum Zielpunkt目標点まで200m

「100m」

Fallen投下


 カウントダウンが終了した時、核爆弾投下用に特殊改良が施されたメッサーシュミット社製の爆撃機から卵を横に倒したような形をしたそれが落とされた。そしてその数秒後、辺りが一瞬で赤く染まり、核爆弾から発される熱線が草木と小さな小屋を一瞬で焦がす。その後に遅れて爆風が襲い掛かりその小屋はバラバラに崩れ去る。



「実験は大成功だ!」

 モニターに写される一連の映像を見た核開発に携わっていた国防軍の高官がそう大きく声をあげると、周りでも歓喜の声や拍手が沸き上がった。総統閣下もゆっくりと、しかし嚙み締めるように無言で拍手を送っていた。



 そしてこの核実験の裏側ではもう一つの実験が行われていた。旧アウシュヴィッツ強制収容所主任医官であった『死の天使』とまで呼ばれた男、ヨーゼフ・メンゲレの指示のもと核爆発による放射線が人体に与える影響を計測するという人体を用いた実験を行った。

 また、それに利用されたのはゲットーにて隔離されその後処分が決定されていたユダヤ人で成人未成年女男問わず『実験後生存すればドイツ市民権を得られる』と言う甘い誘い文句で約三百人かき集め爆心ゼロメートルから五キロ毎に三十キロメートルまでの間に七つ小屋を建てそこに収容した。

 核爆発から一秒も経たないうちに爆心点のグループは文字通りの木っ端みじんに、他グループの一部は何とか生存したものの過剰な放射線を吸収したことから多くの人間は数カ月以内に赤痢や白血病、頭髪の消失などの第二次世界大戦時に広島で確認されたいわゆる『原爆症』を発症し死亡し、体の一部欠損が見られた被験者などは口封じのために極寒の中放置し凍死させた。

 被験者の中でも奇跡的に被爆量が少なく生還したユダヤ人には被爆後の生活に関する実験の火検体として生存を許され、加え約束通りユダヤ人が着用する義務のあるダビデの星の着用義務を解除し、正式にドイツ市民権が与えられたのは少し後の話。


 そしてこの実験によってドイツ国防軍や武装親衛隊、政府は核爆弾の威力と放射線による人体への被害などを事細かに確認、記録し理解を深めることに成功し、アメリカに次ぐ第二の核爆弾保有国となった。



 夜が明けた3月21日の早朝、弁務官区首都のモスクワにあるモスコヴィーン国家弁務官庁舎内で総統閣下はテレビ演説を行い

「アメリカの核兵器による支配から我々は解放されたのだ!」

 と、高らかに宣言した。

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