Ⅱ-Ⅱ 原子の力
"例の"実験
やけに重そうな革の鞄を体の右側に提げて、オットー・オーレンドルフはある場所へと向かっていた。ある建物の中へと入ると何階分かの階段を上り、ある部屋の前で立ち止まる。
彼は小さく深呼吸をしてからコンコンコンと三度重厚なドアをノックし
「ヒムラー長官、オーレンドルフです。電話でお話した資料を持って参りました」
そう要件をドアの奥にいるヒムラーに伝える。
「入っていいぞ」
「失礼します」
ヒムラーに入室を許可されたオーレンドルフは一礼しながら彼の執務室の中へと入って行った。
入室したオーレンドルフはヒムラーに対面になった応対用のソファに座るように促され、そこに座る。そして今まで大事に体の横に提げていた鞄を膝の上に置いてその中から数枚の束ねられた紙を取り出し、彼とヒムラーの間にある机の上に滑らせる。ヒムラーはそれを見て一瞬驚いた表情を浮かべると「これは本当なのか?」と目の前にいるオーレンドルフに問うた。
「ええ、本当です。"例の実験"の準備が完了いたしました!」
「おお! ようやくか!」
渡された書類が本物だと確信した瞬間ヒムラーは喜びのあまり立ち上がり、天井を見上げ胸元で小さく拳をあげると、はっとしたような表情を浮かべてから
「失礼、興奮しすぎた」
そう言ってソファにまた腰かけた。そして書類のページをぺらぺらとめくりながら
「いやあ、ようやくだな……この技術をアメリカの所有物にしておくわけにはいかんからね。こちら側も持っておかないと“平等じゃない”。で、実験場所はどこになるんだい?」
「アルハンゲリスクの近くです。実験は四日後を予定しており、総統閣下並びにゲッベルス大臣やハイドリヒSD長官など高官職のほとんどが参加なさるとのことです」
「……ハイドリヒ君も出るの?」
「ええ、彼に確認を取ったところ『参加する』とだけ一言……」
「正直私、彼のことが苦手なんだよ……なんだろう、考えがあまりにも合理主義的すぎると言うか、人の心を失っているというか、ナチズムの権化のようでね……っと、失礼。私としたことが、仲間内の悪口を言うのは良くないな」
こほん、と彼が咳ばらいをし、手に持っていた書類を机の上に戻した。
「ヒムラー長官……私も同感です。あの合理的で狂気的な発想はどこの誰にも真似できない代物だと思います。では、参加は見送られますか?」
彼はオーレンドルフの説明を受けつつ思わず漏らしてしまった小言に口を押えながら数秒間思考を巡らせる。
「いや、参加しよう。我が第三帝国の技術の成長をこの目で見たいからな。何せ、新時代の幕開けとも言える式典だからね」
「了解いたしました。アルハンゲリスクまでの移動には時間がかかりますので、明日ベルリン駅を出発する列車の手配と会場への移動用の自動車、飛行機の手配を済ませておきます」
オーレンドルフは胸から出した小さな手帳に万年筆で
『
と書き記し、手帳を閉じた。
「いやあ、毎度毎度すまないね。苦労かけるよ」
ヒムラーはそう言いながら立ち上がり、部屋奥の戸棚から薔薇や白百合の模様が施された豪華なティーカップを一つ取り出し、書類や分厚い本が重ねられた彼の机の上に置いた。そして近くにあるティーポットを手にして、注ぐ。
「ほら、紅茶でも飲んでいきなさい」
オーレンドルフの元へ一つのティーカップと共に歩いてくる彼はそう言ってオーレンドルフの手元にそのティーカップを置いた。
「ありがとうございます。では」
オーレンドルフは小さく礼をしながらそれを摘み、口元へと運ぶ。その一連の動きはまるで訓練されていたかのような無駄のない美しい所作であった。
「美味しいですね、この紅茶……どこの茶葉でしょうか?」
あまりの美味しさに彼はカップを持ったまま反射的にヒムラーに訊く。
「旧友大日本帝国のシズオカの茶葉だよ。"
「シズオカですか……かなり希少価値の高いものでは……?」
「ああ、五年ものだ。自分で嗜むのも少し遠慮するような代物でね、特別な客人が来る時くらいしか出してないんだよ。でも今日は一人でで飲んでみよかうと思ってね、淹れてたんだよ」
「なるほど。そんなに貴重なものを頂くなんて……本当にありがとうございます」
中が空になったティーカップを皿の上に置いてから彼はまた、いまだずっしりとした重みのある革の鞄を提げて立ち上がり
「美味しい紅茶を誠にありがとうございました。この後はマンシュタイン元帥やロンメル将軍、ゲーリング元帥にも参加意思の確認をしなければならないので、この辺りで失礼させていただきます」
そう言い一礼して、執務室の外へと出て行った。
ドアをパタンと閉めたオーレンドルフは少し横に逸れ壁に体重を預けながら先ほど取り出した手帳とはまた違う手帳を取り出して中を見る。
「えっと……あと五分後に電話でロンメル将軍に確認、確認後15:30にベルリンの飛行場からミュンヘンに飛んで……夕食を交えつつマンシュタイン元帥とゲーリング元帥に参加意思の確認を取って……よし。本当にきついスケジュールだな……」
手帳をパタッと閉じて小さく溜息を吐いた後、彼は疲労で少し覚束ない足を動かしながら、別の棟にある彼の執務室へと向かって行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます