もう一つの二次大戦

 1939年9月、ナチスドイツは東方への勢力を拡大すべく第一次世界大戦時にポーランドによって割譲されたダンツィヒの奪還などを目的に、『ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃』『ポーランド国内でのドイツ人への迫害』、その他16箇条の要求を行うに最後通牒に対する無回答を理由に宣戦布告した。

 宣戦布告直前より開始された奇襲的軍事行動はポーランドの国境警備隊や前線すら張れていないポーランド正規軍を大混乱の沼に陥れ、戦車隊と歩兵隊を巧みに利用した包囲戦を展開しわずか1か月でワルシャワを占領、降伏させた。


 ポーランド侵攻中にはイギリス、フランスより宣戦布告を受け、両国との戦争状態に入ったが、1940年5月に独仏国境間の要塞戦を回避しつつ要塞が構築されていないベルギー側の国境からフランス領内に侵入することを目的とした黄色作戦おうしょくさくせんを決行し、中立国であったオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに宣戦布告。Ⅱ号戦車やⅢ号戦車を主体とした機甲兵力をもってアルデンヌ地方の森よりフランス領内へと進軍した。

 5月20日には英仏海峡に到達し英仏軍を包囲、そして月末に行われた英仏軍の英本土撤退作戦『ダイナモ作戦』において、撤退作戦の成功に安堵した英仏軍の気の緩みを突きシャルンホルスト級戦艦やその他Uボートによる砲雷撃を加え、兵員回収用に用意された舟艇や護衛にあたった軽巡洋艦、駆逐艦などを大破沈没させる大戦果を挙げた。

 これによりフランス領内において多数の英仏連合国兵士が包囲され、殲滅ないし投降し捕虜となった。


 このダイナモ作戦の失敗が尾を引き、フランスにおける連合国対枢軸国の戦闘は枢軸国の圧勝に終わることとなり、イタリアの抱える北アフリカ戦線以外での戦闘は一旦幕引きとなった。

 そして北アフリカにおいてはヨーロッパ戦線の早期終結によってエルヴィン・ロンメル率いる北アフリカ装甲軍団の兵力数が格段に増加し、度重なる戦闘において勝利を重ね、ダイナモ作戦の失敗から約1年後にはスエズ運河を奪取。自由フランス領有下にあったシリアにまで枢軸国の版図を広げた。

 破竹の勢いで勝利を重ねる枢軸国に対して繊維を失った連合国はイギリス領内のブリマスにおいて『ブリマス条約』が締結されアルザス・ロレーヌを割譲、国境地域を非武装化し、さらにベルギーとオランダを併合した。イギリスに対してはほとんどフランス領内での交戦であったために少額の賠償金の請求が行われた。

 

そして連合国との戦争終結後にはバルカン半島へと軍を進め、ギリシャやユーゴスラビアを占領。ブルガリアやハンガリーなどのスラヴ諸国は枢軸国の傘下となった。


そしてソ連に対する宣戦布告、降伏を経て第二次世界大戦は終結を迎えることとなった。


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