第27話 帰るぞ
八神さんの顔が大きく歪み、私を指差してなにかを叫ぼうとします。
しかしその直前、どこかから飛来した投擲物が、彼の頭に直撃しました。
ごっ。
「ギャア!」
ちらっと見えただけですが、どうやら硬いものを布でくるんだだけのもののようです。ブラックジャックっていうんでしたっけ。投げてますけど。
しかし完全に不意を突かれたのもあって、八神さんは派手にひっくり返りました。
わー無様ですねー。
そんな感想を抱きながらも、私の体は速やかに逃亡体勢に入っていました。
幸いにも八神さんが大袈裟に痛がっているおかげで、私への注目が手薄になっています。
あらかじめ確認しておいた非常階段に向かって走る私に、八神さんは腕を振り回して叫びました。
「くそ、追え! あのガキを俺の前に連れてこい! なぶり殺してやる!!!」
こっわ。煽ったのはこちらとはいえ、げきおこってやつじゃないですか。
これは絶対に逃げ切らないとですね。
非常階段前に滑り込むと、階段に続くドアの取っ手にはプラスチックの保護がついてしまっていました。
一応握って外そうとしましたが、素手では無理そうです。
このままでは取っ捕まってひどい目にあわされてしまいます。
いやだなあ、あんな三下に殺されるの。
「ご主人様、どいてください!」
背後から響いてきた声に、私はとっさに体を引きました。
直後、ポチの振り下ろした非常用のオノがプラスチックを粉砕します。
すぐに私たちは非常口から外に出て、ドアが開かないようにドアノブにオノをひっかけました。
背後で何度も追っ手さんがドアに体当たりしています。
私は階下に向かって走りながら、ポチに話しかけました。
『助かったぞ、ポチ。ここからどうする』
答えは返ってきませんでした。
振り向くと、ポチは顔をそらしています。
ん? んんんんん?
『……もしかして何も考えていないのか?』
「すみませんご主人様!!!」
下のほうから追っ手の声が聞こえてきたので、横にあったドアから再び建物の中に飛び込みます。
挟み撃ちはごめんですからね。
ドアを閉め、鍵をかけ、息を切らしながら私たちは向かい合いました。
『何の策もなく飛び込んでくるとは……』
「す、すみません、ごめんなさい、でも俺こうすることしか思い付かなくて」
やっぱりしょぼくれた大型犬みたいです。
私はパペットを、ぼすっとうなだれた頭に乗せてやりました。
『責めてない。……よくやったな』
しかし褒めてやったというのに、ポチは嬉しそうではありませんでした。
むしろ苦しそうです。
もしかして罪悪感、なのでしょうか。
結果として助けに来てくれたのであれば私はそれでいいのですが。
だって世の中は愛ではなく利害で回っていますから。
軽々しく裏切ったり見捨てたりもしますが、その逆もあります。こういうものはおあいこというのですよ、ポチ。
でも今はそれを説明してやる暇はありません。
『ほら行くぞ!』
「はい……」
弱々しく返事をして、ポチは走り始めました。
とはいえ私とポチでは歩幅が圧倒的に違います。
自然と私たちの役割分担は、ポチが前で道を切り開き、私が背後を警戒するというものになっていました。
私の記憶が正しければ、レストランは二十六階にあったはず。非常階段で五階は下ったので、ここは二十階ぐらいになるはずです。
一階まで徒歩で駆け降りきれるでしょうか。
途中でバテそうですが……走るしかないんでしょうね。死にたくないし。
そんなことを考えていたのがまずかったのでしょう。
ポチは突然振り返り、後ろを走っていた私の肩をつかんで勢いよく前へと突き飛ばしました。
『うぎゃっ』
地面に転がりながら、一瞬だけ背後が見えました。
ポチが私の後ろから迫っていた追っ手に――今まさに私を捕まえようとしていた追っ手にねじ伏せられています。
「ご主人様走って!!!」
その言葉の通りにすべきだったのでしょう。
実際、私も逃げる気満々でしたし。
ですが私の足は一瞬だけ躊躇してしまったのです。
かわいいかわいい馬鹿犬の献身に、心が揺らいでしまったのかもしれません。
その隙を見逃さず、他の追っ手が私に銃を向けてきました。
銃口までの距離は一メートルもありません。
あ、これ逃げ切れませんね。
――タンッ!
乾いた破裂音がして、だけど痛みとかはどこにも感じませんでした。
その後、続けるようにして銃声が何発も。
私は思わずつぶっていた目を開きます。
目の前には、武装した追っ手さんたちの死体がいくつも転がっていました。
ですが倒れているのは、追っ手の皆さんばかりで、私とポチには傷ひとつついていません。
直後に重装備でなだれ込んでくる男たちを、私とポチは呆然と眺めるしかありませんでした。
そんな私たちに、コツコツとハイヒールの足音が近づいてきました。
「生きていましたか。それは何より」
大見さんでした。
大見さんが視線をあわせようともせずに、こちらを冷たく見下ろしています。
『……はい?』
「二十分後にこの建物は爆破されます。逃げるのならどうぞ今のうちに」
倒れたまま間抜けな声を上げる私を一瞥すると、彼女は私たちの横を素通りして去っていきました。
武装した男たちも周囲を警戒しながら上階に向かっていきます。
私はぽかんと口を開けながらその姿を見送ります。
なんで? どうして?
いや、この案件に関係しているとは思っていたのですが、彼女は結局何がしたくて――
そこまで考えて私は、はたと気づきます。
大見さんの指令。釣り。妙度さんの忠告。数ヵ月大きな顔をしている。演者は「頂上葉佩」。引導を渡すべき相手は決まっている。私を通じて動く水無瀬。そして、頂上葉佩を騙る男。
すべてが繋がる音がしました。
……なるほど、そういうことですか。人騒がせな。
あっちだけで勝手にやってくれればいいのに、本当に迷惑千万です。
私は、がしがしと自分の頭をかきました。
まったく、まったく! この苛立ちをどこに向ければいいんですか!
あーーーーもーーーーー!!
はぁ…………。
『……ポチ、帰るぞ』
あーもう本当に馬鹿馬鹿しい。
妙度さんの言っていた通り、とんだ茶番に付き合わされてしまいました。
これ、迷惑料ふんだくれませんかね? この場合、誰に請求すればいいんでしょう。今ならあの爽やかイケメンテロリスト相手でも賃金交渉できそうな気分ですよ。
脳裏に「勘弁してよバンビちゃんー」と眉を下げる頂上が見えました。
うるさい! お前のせいだろ!!! うがーーーー!!!
八つ当たり相手もなく、私はとぼとぼと歩き出そうとします。
しかし、そんな私の後ろにポチは続きませんでした。
『どうしたポチ。来ないのか』
振り返ると、ポチは床にへたりこんだまま、力なく笑っていました。
「どうか置いていってください、ご主人様」
『は?』
「お、俺、こんな、ご主人様を裏切った俺が、もう、生きてる意味なんてっ」
そう言うと、堰を切ったかのようにぼろぼろとポチは泣きはじめました。
緊張が解けたのか、それとも余裕が出たせいで罪悪感が追い付いてきたのか。
とにかく消えてしまいたい気分になったのでしょう。
あーもう、どいつもこいつも面倒ですね。
愛だ恋だにうつつをぬかすからこうなるんですよ。多分。
私は大きく、はぁーーっとため息をつきました。
ポチの肩がびくりと震えます。
……本当に、どうしようもない犬ですね。
私はそっとポチのそばに歩み寄り――その後頭部を勢いよくばこんっと殴りました。
「ぎゃんっ!」
突然の折檻に、混乱した顔でポチは私を見上げてきます。
私はそれを鼻で笑いました。
『ほら、行くぞ馬鹿犬』
パペットを目の前に突きだして、わからず屋のめんどくさい飼い犬に、私はきっぱり宣告しました。
『私を帰らせるんだろう。お前が送ってくれないと、私は徒歩で帰ることになるんだ』
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