第26話 それを人は「恋」と言う
つれていかれた先は、ホテルの最上階でした。
場所こそわかりませんが、かなり大きな高級ホテルです。
しかし一度も、私たち以外の客には出会いません。
鉢合わせしないように調整されているのか、それとも貸しきり状態にしているのか。
貸しきりだとしたら、大した財力です。
八神グループの本領発揮というやつなのでしょうね。もしくは頂上のポケットマネーなのかもしれませんが。
ポンと音が鳴って、エレベーターが到着します。エレベーターの中にあった案内図によると、ここには高級レストランが入っているはずです。
はぁ……きっとここで頂上が待っているんでしょうね。
奴は八神さんを手駒にして一体何がしたかったのか。
どうして私は今、こんな事態に巻き込まれているのか。
ここまで来たらきっちり説明してもらおうじゃないですか。
エレベーターから出てすぐのレストランに入り、さらに奥のVIPスペースへと案内されます。
ガラス張りの大きな窓から夕方の街を見下ろせるそこには、ひとつの人影がありました。
「ようこそ。待っていたよ、ひばなちゃん」
わたしのことをちゃんづけで呼ぶ彼は……頂上葉佩ではありませんでした。
逆光の中に立つ彼の隣に、妹さんが控えます。
……あれ?
「ああ、警戒しないでいい。おとなしくしてくれれば、君に危害を加えるつもりはないんだ」
芝居がかったしぐさで腕を広げながら、「八神さん」は歩み寄ってきました。表情はうっとりと熱に浮かされているようです。
え、なんかキモさが増してませんかこの男。自分に酔わないでほしいんですが。
そういうのがギリギリ許されるのは俳優レベルのイケメンだけですよ。アナタは好意的に見てもフツメンというやつなのですから、身の程をわきまえてくれませんか?
そんな私の内心に気づくことなく目の前にやってきた八神さんは、腰を少し曲げて私の手をそっと取りました。
ウワーーーッ!
気持ち悪い! ぞわぞわします! 親しくもないのに触らないで!
そしてそのまま私の指先に小さくキスをひとつ。
ギャァーーーーーー!!!!!
「そもそも君も一応女の子だからね。俺にも女の子をいじめる趣味はないさ」
いらっとしました。「一応」は余計ですが?
一気にすんっと落ち着いた気分のまま、私は八神さんの手を振り払います。
『まどろっこしい!』
「ん?」
『頂上はどこだ。どうせいるんだろう』
そうです。こんな三下を相手にしているぐらいなら、まだあの顔のいいネガティブ男を相手にするほうがずっとましです!
だってひばな、この男が生理的に受け付けない!
しかし、八神さんはにんまりと笑うと、姿勢をただして胸を張りました。
「ああいるとも。ここにね!」
『は?』
「俺は頂上葉佩だよ。新しい、頂上葉佩だ」
『は?』
え? あーうん?
新しい頂上。こいつが?
思考が一旦停止し、直後に猛スピードで回り始めます。
八神さんが新しい頂上葉佩。あの海に消えたはずの頂上葉佩はここにいない。八神さんは頂上葉佩で、頂上葉佩になりかわって――?
『ええと……つまり、お前が「頂上葉佩」を継いだと?』
「そうなるね」
『え、趣味が悪いな。元からあいつの仲間だったとしても最悪の選択だぞ』
素でコメントしてしまいました。
しかし八神さんは何が楽しいのかにこにこと笑っています。
「ははは。仲間なわけないじゃないか」
へ?
「俺は二代目頂上葉佩だ。ずっと目障りだったあいつは死んだ。だから俺があいつの全てをもらい受ける」
はあ。と間抜けな声が口から出ました。
仲間じゃなくて目障り。商売敵だったということですか?
それを乗っ取って悦に浸っていると?
はあ、そうなんですか。
『負の遺産しかないと思うんだが』
「何を馬鹿なことを。金、人脈、武器。アイツの名前を使えばなんだってできるだろう」
えー、えええええ?
いやいやいやいや、そんなことのために自分が次の「頂上葉佩」だと名乗っているんですか?
リスクが高すぎます。商売相手にバレたときもやばいですし、そもそも生死問わずレベルで警察に追われてるんですよあいつ。それを演じるとか、馬鹿なんですか?
「アイツが囲っていたシンパの連中を引き込めたのは幸いだった」
自分に酔った顔で八神さんは私に演説してきます。
「あとはアイツが執着していた水無瀬という男を殺せば、俺はアイツを超えられる」
え、は?
話がそこに戻ってくるんですか? なんで?
ふと、婚活パーティのときの手紙を思い出しました。
『頂上葉佩は妄執していた。焦がれるのなら乗り越えろ』
もしかしてあれは……八神さんに向けて出したものだった?
大見さんが? なんで?
徐々に目が死んでいく自覚がありました。内心のモチベーションも駄々下がりです。
わたし、なんで、ここにいるんだろう……。
「ふふふ、君にはここで水無瀬片時を呼び寄せるエサになってもらうよ」
ああ、なるほど……なるほどね?
ルアーというのはこういうことですか。
結局、私は水無瀬を誘い出すための生き餌だと。
大迷惑ですが!?!?!?
「まあ座りたまえ。彼が来るまで料理でも食べようじゃないか」
逆らうという選択肢はないですよねそれ……。
私は、黒服さんが引いてくれた椅子にそっと腰かけました。
向かい側には、胡散臭い笑みを浮かべたままの八神さんが座ります。
私は気づかれないように小さくため息をこぼしました。
いやしかしまさか『頂上葉佩』を乗っ取ろうとする馬鹿がいるとは。
それもこんな即物的な理由で。
権力だの武器だのがほしいなら、もっとマシな方法がいくらでもあるでしょうに。
そこで私は一時停止しました。
……でもあれ? これっておかしいのでは?
私は顔を上げ、頭の片隅で絡まった違和感を、そのまま口に出しました。
『もしかしてお前、頂上葉佩という存在に『恋』でもしているのか?』
「…………は?」
間抜けな顔で八神さんは聞き返してきます。
私はもう、すべてがどうでもよくなってきていたので、ここまでの迷惑料としてせめてこのアホ面に一矢報いようと、言葉を続けました。
『だってそうだろう。恋というやつは、相手のことに酔いしれすぎて他のことがどうでもよくなるものらしいじゃないか』
八神さんは口を半分だけ開いて、私を凝視しています。
『お前は元々全て持っていたはずだ。金も人脈も――多分、武器も。悪名高い八神グループの次代幹部なら簡単だ。じゃあなぜお前は頂上葉佩になろうとしたのか。なぜアイツを超えようとしたのか』
何かを言いたそうに唇を震わせる八神さんを遮るようにして、私は宣告しました。
『お前は『頂上葉佩』に恋をしたんだ』
「違う!!!!」
八神さんは突然立ち上がって叫びました。
拳を打ち付けたテーブルが揺れ、空のワイングラスが倒れます。
「俺はアイツを超えたいだけだ。アイツを自分のものにしたいだけだ! 恋なんて知ったことか!」
『それを『恋』というんじゃないか?』
いや、知りませんけど。
八神さんは顔を真っ赤にして怒り狂っているようでしたが、十秒ほどわたしを睨み付けたあと、大きく息を吐いて自分を落ち着かせようとしました。
「そんな余裕を持っていていいのかね? これから来る水無瀬という男は、君を人質にすることによって抵抗もできずに死ぬというのに」
私は「はあ?」とか思いながら首を傾けました。
『アイツなら来ないぞ』
「は?」
『今は日曜の夕方だろう。アイツなら今頃事務所でご長寿アニメを見ている』
日曜だから帰ると言っていたのは多分そのせいでしょう。
アイツ、毎週かかさずにご長寿アニメの話を月曜に振ってきますし。
「こっ、恋人が誘拐されたんだぞ!?」
『誰が恋人だ誰が』
さすがにそれはあまりに失礼で不名誉な誤解では?
「だ、だって遊園地で、危険も省みず君を……」
『?』
「そんなことをする相手なんて、恋人に決まっているだろう!?」
えーあー、その誤解で私はここに連れてこられたと。
ということは、遊園地での茶番は「私に対する水無瀬の感情」を確かめるためのものだったということですか。
迷惑極まりません。そんなことはありえないというのに。
まったく。
『アイツはそういうものだ。何が起きてもマイペースで自分を揺らさない。この世界で一人きりの個。ただ一つだけアイツを揺らすことができるとしたら――』
私はこれまでの苛立ちを込めて、八神さんを睨み付けます。
『アイツが真剣に遊び相手と認めている奴だけだろうよ』
八神さんは目を見開いたまま、硬直しています。
そんな彼に、私はとどめを刺しました。
『お前は『頂上葉佩』じゃない』
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