第20話 大見さん怖……。

「……一応お聞きしますが、なぜ?」


 冷え冷えとしたオーラを纏いながら、大見さんは女性に問いかけます。


 怒り――いえ、これは苛立ちですね。そういったものがびしばしと伝わってきます。


 そんな大見さんの感情を受けた犯人は、震える声で答えました。


「あの方のためです。私たちは、あの方のために死ねるのなら本望です」


「……そうですか」


 平坦な声で大見さんは返事をします。


 だけどそこになんらかの含みを感じ取ったのか、犯人が手にしたナイフの切っ先はさらに震えはじめました。


 その刃を向けられているというのに、大見さんはまったく表情を動かさずに犯人を見据えていました。


 それがさらに恐ろしいのか、犯人は浅い息を荒げていきます。


 このままでは犯人は大見さんに突進していってしまう。


 しかしその瞬間、人影が大見さんと犯人の間に走り込んでいきました。


「待て!」


 八神さんでした。


 彼は芝居がかった仕草で犯人をびしっと指さしました。


「大見さんを狙うなら、私が許さないぞ!」


 かばわれる形になった大見さんの眉がわずかに寄ります。


 相対する犯人も困惑にまみれた顔をしています。


 まあはい。気持ちはわかります。


 真剣な顔で対峙していたら、自分に酔いまくったナルシストにかばわれるなんて、コメディ以外の何物でもありません。


「さあ尋常にお縄にかかってもらおう……大見さん!?」


 八神さんの横をすり抜け、大見さんはすたすたと犯人に歩み寄っていきます。


 犯人も手を震わせながら、じりじりと後ずさっていきます。


「…………さまっ」


 小さく犯人が何か言いましたが、うまく聞き取れませんでした。それが何だったのか考えるまもなく、大見さんは突然犯人の手首をつかんで引き寄せました。


 体勢が崩れた犯人の腹に、大見さんの膝蹴りが綺麗にきまります。


 犯人はナイフを取り落とし、床に倒れました。


 痛いほどの沈黙があたりに満ちます。


「少々護身術をたしなんでおりますので」


 いやいやいやいや、少々……!?


 怖い! やっぱり怖い人じゃないですかこの方! 依頼の時に機嫌を損ねなくてよかったー! 問答無用でコンクリ詰めはいやです!


 私含めた全員が何も言えずにいると、犯人はうめきながら床に落ちたナイフに手を伸ばしました。


 しかし大見さんはナイフをコンっと蹴り飛ばし、履いているヒールを勢いよく犯人の手の甲に振り下ろしました。


「ぎゃあああああああああああああ!!」


 ヒッ!?


 見ているこちらが痛くなるほどの音と、ぐりぐりと踏みにじる動作に、周囲はドン引きです。私もドン引きです。


 大見さんはそのままの姿勢で、私たちに振り返りました。


「拘束しないんですか?」


 その言葉でようやく正気に戻った従業員たちが、縄を持って犯人に駆け寄っていきます。


「ご主人様の責めよりすさまじいですね……」


『急に何言ってるんだこの駄犬』


「はうっ!」


 身をよじって悶絶するポチを見ているうちに、だんだん平常心を取り戻してきました。大見さん怖……。


 犯人は連行されていき、それを大見さんは見送っています。その隣には、彼女にアタックをかけはじめる八神さんの姿がありました。


「さすがですね、大見さん。いやあ、貴女のように強い女性は非常に好ましい!」


「………」


「どちらで護身術を学ばれたんです? よろしければ私の所有するジムに来てみては」


「…………」


 無言で立ち去っていく大見さん。それに追いすがる八神さん。


 なんか……緊張感がなくなってしまう光景ですね。


 私は軽くため息を吐いてから、思考を整理し始めました。


 それにしても、です。


『あいつらは頂上を神だとでも思っているのか?』


 彼らの言動から考えるに、頂上のために死ねば救われるとか、そういう論理なのでしょうか。


 なんというか、はた迷惑ですね。


「……ご主人様、あれは多分そうじゃないです」


 控えめに言うポチを私は見上げます。


 ポチは犯人が連れていかれた先を見ていました。


「恋慕です。あの人たちはその頂上という人に全てを捧げたくて仕方がないんです」


 すっとポチの目が細められます。まるで、うらやましいと思っているみたいに。


「全てを捧げて、振り向いてもらいたいんです。きっと」


 へえ。そんなものなんですね。


『恋とは大変なんだな』


「はい。愛の方がずっと楽ですよ」


 ポチは振り向き、ちょっと悲しそうに微笑みました。


「振り向いてもらえなくても、ずっと捧げ続ければいいんですから」


『そんなものなのか』


「はい。見返りを求めないのが愛なんです!」


 ポチはえへんと胸を張りました。


 そういえばこの犬、私のことを愛しているとか抜かしていましたね。ということはこれは私への口説き文句か何かですか?


 うーん……形のないものを捧げられると言われましても、実感がないといいますか。


 もらえるならもらっておきますが。別に悪い感情ではないのでしょう?


 まあ、それはともかくとして。


 水無瀬の言っていた通り、今回の事件は確かに何かが違う気がします。


 なんというか雰囲気? 空気?


 判然としませんが、違和感だけが確かにありました。


 まるでコケてしまった大作映画の続編を観ているような感覚です。


「どうしますかご主人様。次の犯人を見つけに行きますか」


『……いや』


 私は小さく否定し、顎にパペットを寄せました。


 あの時、犯人は私を殺さなかった。「小鹿ひばなを殺すな」とでも頂上に言い含められていると思っていましたが、これは論理が逆なのではないでしょうか。


 もしかして、この事件によって他に殺したい相手がいたのでは?


 私は顔を上げて、背後でぼんやりしている水無瀬を見ました。


『水無瀬』


「?」


『「今回、お前はやる気がないんだな」?』


「うん!」


 元気なお返事です。


 私は軽くため息をつきました。


『決まりだな』


「ご主人様?」


 ポチは不思議そうな顔をしています。


 まったく、随分とややこしいことをしてくれたものです。今回の頂上は。


『これをやっているのは頂上葉佩じゃない。実行犯は別の誰かだ。そして――』


 私は遠くを見ながら眉を寄せました。


『予想が正しければ、その実行犯は既に退却している』


「え?」


『このテロは、本当に殺したい相手を隠すための偽装だ』


 ポチは目をぱちくりとさせました。


『その証拠に、ほら』


 私は腕を広げて商業施設を示します。


『現にテロ計画はぐだぐだになっている。客たちは疑心暗鬼になっていないし、そもそも事態を把握していない奴がほとんどだ。密室だって、ただのシャッターで封鎖されてるだけなんだ。開けられるようになるまで、そこまで時間はかからないだろう』


「なる、ほど……?」


『舞台の広さと被害者候補の人数に対して、犯人の割合が少なすぎるんだよ。この計画を立てた奴は、最初からここで悲劇を起こすつもりはなかった』


 ポチはまだ混乱しているようでしたが、ゆっくりと私の言葉を呑み込もうとしているようでした。


 私はパペットを見下ろしてぽつりと言います。


『もしくは、悲劇を作れるほどの技量がなかったのかもしれないが』


 それならばこのグダグダテロ事件も納得というものです。


 ああでも、と考え直します。


『……いや、頂上がそんな中途半端な人材をあえて使う意味がないな。忘れてくれ』


「はあ……」


 話についてこれていませんね。まあ、頂上がどんな手段を使ってくるどんな人間なのか把握していないのですから当然ですか。


 そんなことを話しているうちに、客たちのざわめきがこちらに広がってきました。


「シャッターが開いたらしい」


「じゃあ外に出られるのね!」


 おや、やはり早々に対処されましたか。


 数分遅れて、警官隊が商業施設になだれ込んできます。


 私たちは一応テロリストの一味ではないか確認するために身体検査を受け、施設の外へと解放されました。


「ご主人様のおっしゃった通りになりましたね……」


『冷静に考えれば誰でも分かることだからな』


 呆然と呟くポチに、パペットをぼすぼす自分の手のひらに打ち付けながら私は答えます。


 なんというか、無駄足でしたね。


 今回の事件は水無瀬に向けたものではありませんでしたし、本当に私たちは関係ないではありませんか。


 別にこちらに迷惑をかけないところで悪事を働く分にはどうでもいいと思っているので、警察もこちらに仕事を回さないでほしかったですね。そうは問屋が卸さないんでしょうが。


 そんなことを内心でぶつぶつ呟いていると、黒服さんを複数引き連れた八神さんがやってきました。


 自分の所有する施設でテロが起こったというのに、彼はにこにこと笑っています。


 なんなんでしょう、この人。そんなに探偵の仕事が見たくてしかたがなかったのでしょうか。


 ……最悪な性格してますね、それ。部下が可哀想です。


「予想していたよりは最悪の事態にならなくて本当によかったです」


 まあずさんな計画でしたからね。


 私も水無瀬もポチですら何もしていませんから、今回。


 しかし八神さんは、目を輝かせて私に詰め寄ってきました。


「さあ小鹿さん。今回のアナタの活躍について聞かせてもらえませんか!」


『え? いや、今回は何も』


「そんなはずはありません! 何しろアナタは探偵なのですから! きっと何か手がかりを掴んで行動されたのでしょう?」


『ほ、本当に何もしてな……』


「さあ聞かせてください、さあさあ!」


 ぐいぐい来る八神さんに、のけぞって私は後ずさります。


 その時、くすっと笑い声が聞こえました。


 そちらを見ると、八神さんの妹さんが。


 お、お前ーーッ! 人のピンチを笑っちゃいけませんって習わなかったんですか!?


「ぐ……や、やっぱり可憐だ……」


 後ろの駄犬は馬鹿なことを言っていますし。


 ギロリと責める視線を送ると、ポチはごほんと咳払いをして八神さんに近寄りました。


「申し訳ありません、八神さん。彼女はこの後重要な用事がありまして」


「おやそうなのか。もしかして……探偵としての秘密任務とかですか?」


『え? あ、まあ……そんな感じです』


 八神さん、あまりに探偵に夢を見すぎでは?


「それは邪魔するわけにはいかないね。だけどまた今度、探偵の話をしてもらうからね!」


『あ、あはは……』


 最後まで騒がしく、八神さんは去っていきます。


 その後ろ姿をひらひらと手を振って見送り、私は振り返りました。


『助かったぞポチ。……どうかしたか?』


 ポチの顔はちょっとだけ赤いようでした。


 これは……照れていますね。


 私はふっと優しい顔になりました。


『よかったな。あの子の笑顔が見られて』


「うぐう……!」


 うんうん。手塩にかけて育てた駄犬が幸せになっていくのは見ていてほっこりするものがあります。


 いえ、手塩にかけて育ててなんていませんが!?


「ぐうっ、ご主人様というものがありながら自分は……」


 何故かポチは苦しそうに頭を抱えています。


 これが恋の悩みというものなのでしょう。私がいることによって、彼女への気持ちの邪魔になるのはいただけません。


 私は微笑ましい気分のまま、ポチに促しました。


『そうか。告白でもすればいいんじゃないか?』


 するとポチは顔を上げ、愕然とした表情を私に向けてきました。


 あれ?


「ご、ご主人様、俺を捨てるんですか……?」


『シンプルにお前の恋を応援しただけだが?』


 何がいけなかったのでしょう。


 コイツはあの子に恋をしていて、私はそれを応援しているだけなのに。


 そもそも私をどうこうしたいという思いはないのでしょう? だったら問題ないではありませんか。


「お、俺、こんなにご主人様のこと、愛してるのに」


『?』


 わなわなと震えるポチ。目にはちょっと涙が浮かんでいます。


 あれ?


 不思議に思いながら見つめあっていると、突然水無瀬が私にぶつかってきました。


「バンビさーん!」


『重いどけなんだ突然!』


「あのねあのね!」


 いつも通りの馬鹿水無瀬です。何かあったのかは知りませんが、急にじゃれるスイッチでも入ったのでしょう。


 はた迷惑な。さっさと離れなさい!


 小柄な私と非力な水無瀬で、ぐいぐいと攻防戦を繰り広げていると、いつのまにかポチの顔はぐーーっと悔しそうな顔になっていました。


「っ、もうご主人様なんて知りません! 馬鹿!」


 そう言い捨てると、ポチはバタバタと走ってどこかへ行ってしまいました。


 なんなんですかあの犬……。惚れたり怒ったり本当に忙しない奴ですね。

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