第16話 現場はどこに?

 狸さんに指示された場所は、海辺の公園でした。


 時刻は午後三時。ちょうど小腹が空いてくるぐらいの時間です。


『……で、なんでお前もいるんだポチ』


「はい! ご主人様がいる場所が俺の行く場所だからです!」


 なんか馬鹿が一人ついてきてしまいました。たしかに事務所から出ていろという命令は守っていましたが、その後普通にあとをついてきましたね、この男。これじゃあ、離席させた意味がないじゃないですか。


 私はポチに向き直りました。


『いいか、ポチ。よく聞け』


「はい!」


『今回は、ヤバい、仕事なんだ。ついてくるな!』


「それならなおさら、オトモさせてください。アナタの盾にでもなんでもなってみせます!」


 は、話を聞きやがりませんこの男!!


 献身と言えば聞こえはいいですが、今回ばかりは邪魔者でしかありません。


 何しろこの事件の首謀者は頂上葉佩。そして遊び相手は水無瀬片時なのですから。


 死にたくないのなら矮小な一般人は近づいてはいけないのです。周囲を全て巻き込む怪獣大決戦みたいなものです。


 ほんと、なんで私こんな奴らの間に挟まれてるんでしょう……。喧嘩ならよそでやってくれればいいのに……。


「だって今はあのスヤスヤ男もいないじゃないですか! ご主人様一人だけじゃ心配です!」


『は!?』


 私は慌ててあたりを見回しました。


 身長がでかいだけのあの幼稚園児の姿はどこにもありません。


『い、いつからいなかった!』


「ここの最寄り駅で降りてすぐあたりからですよ? わーいとか言って、どこかに消えていきました」


『は!??!』


 馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!


 今回はアイツを引っ張ってくる仕事なのに、なんでアイツがいないんですか!


 私が監督責任を取らされるじゃないですか! あの馬鹿ーーッ!


「というわけでご主人様。自分が貴女をお守りします」


『どういうわけだ馬鹿。守ってもらえるのは嬉しいが、お前に何かあった場合の責任を取れないんだぞこっちは』


「ご、ご主人様、俺のことなんかを案じて……!」


『お前は! 会社の! 跡取りだろうが!! 自分にどれだけの価値があるのかよく考えてからものを言え!』


 跡取り息子を怪我させただとか、あまつさえ命を奪ったなんて知れたら、どんな責任を取らされるかわかったものではありません。


 いやですよ私。そんな無用な責任なんて持ちたくありません。


「うう……俺はただ貴女のお役に立ちたいだけなのに……」


『お前もいい大人だろう。私の役に立つなら、社会人としてわきまえた行動をしてからにするんだな』


「ぐう……」


 ポチはしょんぼりと肩を落としました。完全に叱られた大型犬です。


 勢いを失ったその哀れっぽい表情に、私は思わず彼の頭に手を伸ばしかけて――慌てて止めました。


 いやいやいや。駄目ですよひばな。甘やかしてはいけません。飼い犬を馬鹿にするのは飼い主の手腕次第なのですから。いえ、私飼い主ではありませんが。


「バンビさーん!」


 うわ。馬鹿が増える音がしました。


「出たなこのスヤスヤ男! 今日ご主人様は俺がお守りするんだ! お前の出る幕はない!」


『だから守られないと言ってるだろう』


「あのねあのね! コンビニでいちごチーズラテが出ててね! すごく売れ残ってたから買ってきたの!」


『買うな馬鹿』


「はいバンビさん! あげる!」


 目の前に突き出されたのは、ストローが既に刺されたいちごチーズラテでした。


「ちょっと飲んだけど飽きちゃった!」


『コラ!!!!!』


 叱りつけながらもラテを受け取ります。


 まったく。いつものこととはいえ、小食が過ぎますよ。


 仕方ないのでストローを加えてじゅるじゅると吸い込みます。うわ、まず。


「ご、ご主人様と間接キス……」


 なんかほざいてる犬がいます。無視ですね。


 私はギャーギャーうるさい馬鹿どもから距離を取るべく、海に面したテラスへと歩いていきました。


 狸さんの情報によれば、事件が起こる場所はこの公園の近辺だそうです。


 公園で起こることも考えられるとは言っていましたが、私の勘はここではないと告げています。


 だってここには逃げ場が多すぎます。


 水無瀬片時に対する頂上葉佩の手口は、ひたすらに迷惑千万な方法で人を操り、ゲームを仕掛けてくること。


 そのために奴はリスクを背負うことを好んでいる、と私は踏んでいます。


 ゲームとは勝ち負けがあるもの。そして楽しむもの。


 障害物が大してなく、勝ち負けがぐだぐだになったゲームほどつまらないものはありません。


 それ故に、こんなだだっ広くて逃げ場が多い、ゲームが単調になりがちな場所は選ばないでしょう。多分。


 あと彼、多分派手なのが好きなので。この公園、人があんまりいない上に目立つ場所にはないですし。


 テラスにたどり着き、私は海を睨みつけました。びゅうっと風が吹きつけてきます。


 春先ですが、やはり海辺の風は冷たいですね。


 ぶるっと体を震わせていると、真上から水無瀬が覆いかぶさってきました。


「寒いねー」


 後ろから抱き着いてくる形です。でもまあこれぐらいの密着はいつものことなので、私は首の前に回された水無瀬の腕をぽんぽんと叩いて答えました。


『はいはい寒いな』


 すると視界の端からポチが私に飛びついてきました。


「ご主人様、俺も俺も!」


『はぁ!?』


 ポチは水無瀬をいとも簡単に引きはがし、私に抱き着こうとしました。


 慌てて私はポチの顔にパペットで一撃をくわえます。


『やめろ離せ変態!』


 バックステップで逃げ去り睨みつけると、ポチは心の底からショックを受けた顔をしていました。


「その男はよくて、俺はダメなんですか……?」


『ダメに決まってるだろう! 何、ガキに嫉妬してるんだ!』


「ガキじゃないもん! 大人だもん!」


 後ろで馬鹿がなんか言っています。


「ほら大人じゃないですか! あんな図体がでかいガキがいるわけないじゃないですか!」


『私はこんなに図体が小さい大人なんだが?』


「あっ、すみませんご主人様をけなすつもりは、いえご主人様はそのままで十分に魅力的で」


『うるさいロリコン』


「あひぃん!」


 ポチは体を跳ねさせてもだえています。気持ち悪……。


「……おや?」


 声をかけられて振り向きます。そこにはつい先日見たことのある顔がいました。


 八神節夫。八神グループの未来の重鎮さんです。


 今日は黒服のお兄さんを一人。そして前も一緒にいた少女を一人つれています。


 もしかして彼女、八神さんの恋人か何かなのでしょうか?


「こんにちは、ひばなさん。もしかして今日は探偵のお仕事かな?」


 だから名前呼びをやめてくれませんかね!?


 さわやかな笑みを浮かべながら近づいてくる八神さんに私も笑顔を作ります。


 確かに探偵のお仕事ですよ? 探偵のお仕事ですが同時に警察のお仕事でもあるんです! なーんてこの方に言えるはずもありません。この方のおうちは、ほぼ間違いなくブラックな稼業に手を出していますので!


『八神さんこそどうしてこちらに? お仕事ですか?』


 答えられない質問には質問で返す! ビジネスマナーとしては最悪ですが、裏のビジネスマナーとしてはよく使われる話法です!


 機嫌を損ねてしまったらどうしようと思いましたが、幸いにも八神さんは気にしないでくれました。


「あはは。実はこの公園の近くにある大型商業施設はうちの系列でね。今日はそこの抜き打ちの視察なんだ。……内緒だよ?」


 八神さんはお茶目な顔で、バチンとウインクをしました。


『はあ。そうですか』


 平坦な声が出てしまいました。思わず半目になってしまいます。


 なんなんでしょうね、この方の滲み出る残念感は。


 もし本物のイケメンが――例えて言うのであれば、あの頂上葉佩が同じことをやったのなら、それはもう様になるのではないでしょうか。


 目線一つで女性を落とせそうですもんね、一度は海に沈んだあの男。フェロモンビームですか?


 いやあ、悪い男もいたもんですよねえ。


 脳裏に頂上葉佩が「誤解だ、いちゃもんだ」と抗議している図が浮かびました。うるさい。


 というかなんか最近、脳内の回想の方々がうるさいですね? そういう時期なのでしょうか。知らんけど。


「まだ時間には余裕があるんです。よろしければ前回できなかったお話でもしませんか?」


『えっ』


「自分も探偵さんだなんて珍しいお仕事の方とお近づきになりたいんです。ああ、もちろんアナタ自身に興味がないというわけではありませんよ。アナタはとても魅力的な女性ですからね」


 そんなことをベラベラ言いながら、八神さんは私の手をそっと取ってきました。


 や、やややややめろーーーーーッ!!!


 初対面から二回目の相手にそんな風にボディタッチするな! 距離を詰めてくるな! 気持ち悪いです!


「やがみさん」


 鈴を転がすような可愛らしい声がして、私はそちらに目を向けました。


 八神さんについてきていた女の子です。恋人疑惑のある女の子です。


 あ、違うんですこれは八神さんが勝手に手を取ってきただけというか私は全然浮気相手とかそういうものじゃないのでもうやめてください私をそういうドロドロ展開に巻き込まないで!!!


 しかし彼女は私たちを見て、ふわりと微笑みました。


「兄さん、私も彼女に興味があるわ」


「おやそうかい! どうかな君も一緒にお喋りをするというのは」


「それはいい考えね」


 おっとりとした喋り方で、少女も私に距離をつめてきました。


 あ、妹さんだったんですね? と声に出す暇もなく、彼女は私のパペットを手に取って、私の目を覗き込んできます。


「こんにちは、よろしくね」


 色素の薄いその瞳に見つめられ、ぞわっと全身が総毛立ちました。


「さあもう少し話しやすい場所に行こうじゃないか」


「たしかあちらにベンチがあったわ」


『あ、え、あの……』


「探偵の一日とか教えてくれないかい?」


「今まで解いてきた事件でもいいわ」


「実際のところどれぐらい報酬をもらっているんだい?」


「探偵事務所は持っているの?」


『ひぎぃ……』


 やめてくださいやめろやめろこの兄妹距離が近い! パーソナルスペースって言葉を知らないんですか!?


 助けてー! 誰か誰かー!


「ねえねえバンビさんバンビさん!」


 びゅばっと音がしそうな勢いで、馬鹿が飛来しました。


 当然ながら受け止めきれずに私はしりもちをつきます。


『づぅっ! なんだ水無瀬!』


「あのね僕も手繋ぐ!」


 水無瀬は私の手をぎゅっと握り込んで、にこーっと笑ってきました。


「ね!」


 いやいや、「ね!」じゃないんですが? こちとらおしりがすごく痛いんですが?


「おやおや邪魔されてしまったね」


「このままじゃ馬に蹴られてしまうわ」


 八神兄妹は芝居がかった言い回しをしながら私から遠ざかっていきます。


 ……一応助かったことは確かです。よくやりました水無瀬。


 にこにこしている水無瀬にため息をついていると、黒服さんが八神さんに耳打ちをしているのが視界の端に見えました。


 仕事の打ち合わせでしょうか。そういえば彼ら、商業施設の視察に来たと言っていましたね。


 私はそこで、待てよ、と考えました。


『商業施設……』


 大きな場所ですから当然人がたくさんいる。つまり派手なテロが起こせる。構造が入り組んでいる。逃げ場が少ない。罠をどこかに作るのも容易。


 すなわちそれは、頂上葉佩がゲームを仕掛けてきやすいということ。


 ……可能性としては高いのでは?


 私は勇気を振り絞って彼らに歩み寄りました。


『や、八神さん!』


 八神さんたちは私に振り向きます。


『その、商業施設の裏側についての仕事があるんだが、一緒に視察に行ってもいいだろうか』


 さすがに苦しい言い訳だったでしょうか。


 ですが、彼らは従業員側の人間。警察側の人間として、普通に調査に行くよりもずっと多くの情報を得ることができるはずです。


 彼らに同行することにはメリットしかないのです。だからここは退くわけには――


「ああ、構わないよ。私も探偵の仕事を見てみたいしね」


 いいんですか!? 私が言うのもなんですがガバ警備すぎません!?


 ほら、黒服さんもびっくりした顔してますよ!? いいんですか!?!?


「いいとも。私と君の仲じゃないか」


 だからやたらと心の距離を縮めてこないでくださいって!


 内心唸り声を上げながら私は彼らから距離を取ります。


「じゃあ行こうか。そうと決まれば早いほうがいいだろう」


「ええそうね。早いほうがいいわ」


 こちらを置き去りにした会話をして、八神兄妹は歩き出してしまいます。


 私は肩をがっくりと落として、その後ろをついていきました。


 ふと、隣をとぼとぼと歩くポチが視界に入ります。


『……やけに静かだったな』


 恨めしい思いを籠めながら言ってやると、ポチはぎゅっと唇を噛みました。


「俺も、ご主人様を助けたかったです、でも八神さんに楯突くわけには、いかないので、会社のこともあるし……」


 俯いてぽつぽつとポチは言います。ぎゅっと握った彼のこぶしは震えているようでした。


 私は少し感心してしまいました。


『なんだ。ちゃんと会社のことが大事なんじゃないか』


「……たくさんの人の命を預かっている自覚はあるので」


 ぼそっと言った後、ポチは子供のように唇を尖らせました。


「でもご主人様がいいようにされてるの、嫌だったです」


 私はなんだか気が抜けた思いがして、ポチの服をひっぱって頭を下げさせると、その髪をわしゃわしゃと撫でてやりました。


『いい子だな』

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