第三章 大見悠里は恋をしない

第15話 頂上葉佩からの挑戦状

 二度目のタダ働きが決定して早一週間。


 私は小鹿探偵事務所の所長机で轟沈していました。


 あれから結局、八神グループへの警察の捜査は成功しなかったそうです。


 狸さんいわく、あと一歩で介入に踏み切ることはできなかったらしく。


 流石に大物相手ですから、一筋縄ではいかないということでしょう。


 ちなみに水無瀬は普通に帰ってきました。


 スーツのシャツが無残にヨレヨレになっていましたが、何があったんでしょうね……私は知りませんが。


 はぁ……次に大見さんはどんな依頼を持ちかけてくるのやら。


 できれば命をかけるものでなければいいのですが。


 まあ、とりあえず目下の問題は、目の前でくだんの馬鹿犬が何かを期待しているような、とてもキラキラした目で見つめてくることですが……。


『ポチ』


「はいっ!」


『その目はなんだ』


「はいっ!」


 いいお返事ですね。


 お返事をしていないでさっさと用件を話しなさい。


 ポチは数秒もじもじした後、私に向かって身を乗り出してきました。


「俺、今回はがんばりましたよね」


『まあそうだな』


「なのでご褒美がほしいです」


『は?』


「また撫でてください! それはもうたくさん撫でてください!」


 ほら! と頭を目の前に突き出されます。


 ふわふわの天然パーマです。シャンプーのいい匂いがします。きっとお高いものを使っているのでしょう。


 触り心地、よさそうですねえ……。


 私は、ちょっと眉を寄せた後パペットを外して、ポチの頭を左右から鷲掴みました。


 予想通りのふわっふわな手触りです。


 もふもふ、わしゃわしゃ。


 かなり乱暴に撫でている自覚はありますが、ポチは従順に頭を差し出したままです。


 心なしか嬉しそうにすり寄ってきているような感じもあります。


 ……マゾ犬としては最悪に迷惑ですが、ペットとしてならそれなりにかわいい気はしますね。


 多分、疲れからくる気のせいですが。


「わあー!」


 馬鹿の声が聞こえました。


 いつの間にかやってきた水無瀬は、ばばばっと私たちに駆け寄ると、自分もポチのように頭を差し出してきました。なんだお前。


「バンビさん僕も撫でられる! バンビさん撫でて撫でて!」


「何をするご主人様は今俺を撫でているんだあっちに行けスヤスヤ馬鹿男!」


「馬鹿じゃないもん!」


 わんわんにゃーにゃー! がるるるる! ふしゃーーー!!


 あっという間に修羅場と化した目の前に、私はパペットを嵌め直して腕を振り上げました。


『うがー! お前らはそろいもそろって私より年上だろう馬鹿どもが!!』


「馬鹿じゃないもんー!!」


 がるるるる! えーんえーん!


 一喝したというのにまだ阿鼻叫喚な二人を睨みつけます。


 ほんとこいつらどうにかなりませんかね。せめてどちらかだけでも誰か引き取ってくれないものでしょうか……。


 その時、事務所のドアが控えめに叩かれました。


「ごめんくださーい……」


 あ、狸さんですね。


 私はもう迎えに行くのも面倒になって、声を張り上げました。


『入っていいぞ! カギは開いてる!』


「あ、はい。お邪魔します」


 パーテーションの向こうから顔を出した狸さんは、私の隣にポチがいるのを見て、少し顔を歪めました。


 おや、この反応は……。


「小鹿さん、あの流石にこれを外部の方に聞かせるわけには……」


 すすすっと寄ってきた狸さんが私に耳打ちしてきます。


 ……どうやらかなりヤバい案件のようです。


 いえ、前回も重要な案件だったのでしょうが、私の身内と判断されてポチにも聞かせたのでしょうね。


 しかし今回はそれすら許されないものだと。


 私は視線だけでポチを睨みつけました。ポチは明るい表情で私の言葉を待っています。


『ポチ』


「はい!」


『ちょっとの間、席をはずせ』


「えっ」


『命令だ』


「えっ!?」


『ご主人様の命令が聞けないのか?』


「はいご主人様! わんわん!」


 言うが早いか、ポチはしゅばっと事務所から出ていきました。


 ちょっろ。


 最初から命令すればよかったですね。


 いやなんかでも、最終手段にしたい思いはあります。アイツを調教したご主人様だと周囲に思われるのはできるだけ避けたいので。


「小鹿さん、ホントに彼のご主人様なんですね……」


『ボギュエ』


 話をしっかり全部聞いていた狸さんが、遠慮がちに言ってきました。


『ち、ちが、アイツが勝手に』


「でも今、ご主人様からの命令って」


『してない!』


「言うことを聞いて」


『してない! うるさい! さっさと仕事の話をしろ!!!』


 パペットで机をバンバンと叩くと、狸さんはこほんと咳払いをして深刻な顔になりました。


「小鹿さん、水無瀬さん。……頂上葉佩から犯行予告が届きました」


 想像通りのヤバい案件に、眉が思いっきり寄ります。


『……やっぱりアイツ生きてたのか』


「え? やっぱり?」


『こっちの話だ。用件を続けろ』


「あ、はいっ」


 狸さんはカバンから、資料をいくつか取り出しました。


 チェスの駒。模様が描かれた何枚かのカード。それから都内の地図です。


『暗号か』


「はい。これらが、頂上葉佩の名前で届いています」


 何か引っかかるものを覚えて、私は顔を上げました。


『頂上葉佩? T名義じゃないのか?』


「はい。何か意図があってのものかもしれませんが、こちらでは情報を掴めていません」


『警察は相変わらず役に立たないな』


「うぐ、面目ないです……」


 狸さんは申し訳なさそうに縮こまりました。


 まあ事実ですし、仕方ないですね。


 一方、水無瀬はカードと地図をひょいっと持ち上げて首を傾けていました。


「ふーん」


 しかし数秒後には暗号をぽいっと投げ捨てて離れていってしまいます。


 やる気がないのでしょうか。頂上葉佩からの挑戦状なのに。


 不可解なものを感じながら、私は狸さんに向き直ります。


『暗号の手がかりは掴めているのか』


「いくつか見当はつけてあります。ですが、その全てに対応するのは不可能な現状です」


『そうか』


 だったら水無瀬を自由に泳がせて、テロごとご破算にしてしまうのが一番でしょうね。


 結果的に人が死のうが死ななかろうが私たちには関係ないことですし。


 ……しかし、それにしてもです。


 妙度さんからの情報で、奴が生きているらしいということはわかっていましたが、これほど早く動いてくるとは。


 もしかしなくても、私が今関わっている案件と無関係ではないですよね?


 大見さん、アナタは何を私にさせているっていうんですか!


『一応聞くが、狸。上からの指示は?』


「はい。テロを行う連中をつぶせ、と」


『テロを起こさせるなじゃないんだな』


「そう簡単に頂上葉佩に先手が打てるのなら、最初から警察もそうしていますよ」


 狸さんはがっくりと肩を落とします。


 なんだか彼も成長してきましたね。なんというか、清濁併せ呑む心得が身についてきたというか。


「お二人の担当地区はこちらです。おそらくここが一番可能性が高いかと」


『……警察で可能性が高いところまで絞れたのか?』


「? はい。そうですが……」


 いよいよ奇妙です。奴が水無瀬と遊ぼうとするのなら、簡単に警察に解かせる程度の暗号を投げるでしょうか。今までならば水無瀬を頼らせるために難解な問いを送りつけてきたはずです。


 じゃあ、わざと難易度を下げてきている? 何のために?


『……………』


 黙って考え込んでみましたが、何も思い至りませんでした。


 まあ当然です。私は頂上や水無瀬とは違って頭脳労働担当ではありませんから。


 適材適所というやつです。私の仕事は、厄介な現場に馬鹿を引きずっていくことだけです。


 私は窓際の暖かい場所でうとうととしている水無瀬に声を張り上げました。


『行くぞ水無瀬!』


「えー」


『えーじゃない! お前の厄介でめんどくさい友達の事件だぞ!』


「?」


 水無瀬はきょとんとした顔で首を傾けました。


 言われたことを何も理解していない顔です。


 え? コイツまさか頂上葉佩のことをほとんど忘れてやしないでしょうね……?


 流石に可哀想ですよ。あの男がどれだけの感情をお前に向けていたかわからないんですか。わからないんでしょうね……水無瀬だし……。

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