第二章 八神節夫は恋をした

第9話 嵐の予感

 パーティはつつがなく終わりました。


 つつがなくありませんでしたが。


 対象は逃がし、殺人事件は起き、あげくに渡すべきブツまで破損してしまった。最悪です。


 翌日、事務所にやってきた私は、留守番させていたパペットをはめて自分の顔をはむはむさせました。


 ああ愛しのパペットくん。お前がいないと私は心細くて仕方がありませんでしたよ。


 もはやお前は私の一部。内臓です。いや、露出する内臓とか嫌ですね。


 そんなくだらない内心の茶番をしているのには理由があります。


 現実逃避です。


 くだんの依頼人――大見さんに連絡するという目下の悩みのせいです。


 あーーどうしましょう。どう考えても清らかな集団の構成員じゃないですよねあの女性。


 任務を遂行できなかっただけではなく、中身も見てしまったとバレれば本当にまずい。


 下手すれば口封じ。下手しなくても拉致監禁拷問の後口封じです。


 どうにかして乗り切らなければ、どうにかして……。


「おはようございますご主人様!」


 なんか聞こえました。


「さっきねえ、事務所の前でポチちゃんに会ったの!」


「お前にポチと呼ばれる筋合いはない! 俺を犬扱いしていいのはご主人様だけだ!」


「ポチちゃん犬だったの?」


「犬だ! マゾ犬だ!」


「マゾ犬ってなに?」


「何ってお前……それはお前……」


「ねーねーなにー?」


 私はパペットを構えて大きく息を吸い込みました。


『帰れ馬鹿ども!!!!!』


 二人は笑顔で振り向きました。


「おはよう、バンビさん!」


「いい朝ですね、ご主人様!」


 なーにがいい朝じゃい、このすっとこどっこい!


「ご主人様、今日はどちらに? おともしますよ!」


「えっ、お出かけするの? 僕も行くー!」


「誰がお前なんかを同行させるか馬鹿め。身の程を知れ」


「えーん馬鹿じゃないもん」


「おともするのは俺ひとりでいいですよね、ご主人様!」


「馬鹿じゃないもん!」


『うるさい!!!』


 パペットをしていない左手で机を叩きました。手が痛い。


『今日はどこにも行かないしお前は馬鹿だ!!!』


「えーーーーん!」


 ああもうどうしてこんな危機的状況にお荷物が二人も訪ねてくるんでしょう。


 いっそのこと大見さんに馬鹿二人をぶつけて、私一人だけ逃げてしまいましょうか。


 毒を持って毒を制す。大見さんは二人とは別の意味で毒々しいことには変わりありませんし――


「ごめんください」


『ヒョッ……』


 パーテーションの向こうから聞こえてきた女性の声に、私は変な声を上げてしまいました。


 ごめんなさいすみません毒なんて思ってすみません!


 今のは言葉の綾なんです! ほら美しい花には毒があるって言うじゃないですか! これはそういうあれで!


「……小鹿さん?」


 繰り返し呼ばれ、私は慌てて立ち上がりました。


 ドアを開けられている以上、居留守を使うのは不可能でしょう。


 もはやこちらにできるのは、精一杯誠意を示すことのみ。


 つまり平謝りです。


『すまない、入ってくれ』


 相変わらず冷たい雰囲気の彼女を応接スペースに案内します。


 道中、言い合いを続ける馬鹿二人の横を通り過ぎました。


「犬って二本足で歩けるんだね!」


「馬鹿が! 俺はご主人様の前では四本足だ!」


「そうなんだ! 犬って学名なんだっけ?」


「知るか急にインテリぶるなアホが!」


「アホじゃないもん!」


『……気にしないでくれ』


「わかりました」


 えっ、マジであの騒ぎを気にしないとかそんなことある?


 内心ドン引きしながら彼女を応接スペースへと連れていくと、前回同様、彼女はソファにとても姿勢よく座りました。


 一応パーテーションで区切られているので、外の騒ぎから若干遠ざかります。


「先日の依頼の件ですが」


『ウッ……そ、その件なんだが』


「失敗されましたよね?」


『!?』


 ウワーーーッ! どうしてバレてるんですか! 怖い! ひばな怖い!!


『……どうしてそれを?』


「企業秘密です」


『そうですか……』


 深く突っ込んではいけない。そんな予感がびしばしとします。探偵が行うのは与えられた仕事のみ。それ以上の深入りは自殺行為です。


『すみませんでした。こちらの不手際です』


「はい、そうですね」


 ヒギィ! 社交辞令というものが通じないですこの方!


「小鹿さん、失敗された以上前金を返していただきたいのですが」


 ギャアアアアアア!!!


 そうでした! 前金のことがありました!


 使い込んじゃった! 返せない! そんなお金の余裕、もううちにはありません!!


「もしかして返せないのですか?」


 おっしゃる通りでございます……!


「契約書を交わしていないとはいえ、それは筋が通りませんよね?」


 おっしゃる通りでございますぅー……!!!


 うわーん! やだやだ! このままじゃ口封じ待ったなしです!


 いやだ! ひばな、コンクリート詰めで海に投棄されるのいやです!!


『大変申し訳ありません。この埋め合わせはなんらかの形でしますので、どうかコンクリ詰めだけは』


「そうですか。それは何よりです」


『えっ』


 何がですか? 私をコンクリ詰めにする算段がすでに整っているんですか?


 怯えながら彼女を見ていると、彼女はカバンから新しい封筒を一枚取り出してきました。


「追加の依頼をお願いします。今度は多少危険が伴いますが……お受けいただけますよね?」


『ヒェ』


 は、はめられたー! あの高額な前金はそういうことですか!


 貧乏零細探偵事務所に大金をあらかじめ渡しておけば、使い込んであとから強請るネタにできると! そういうことですね!?


『もちろんお受けいたします……』


 私は震えながら答えました。


「今回はとある富豪が主催するパーティに行ってもらいます」


『富豪?』


「八神家です」


『……まさかあの八神グループ!?』


 八神グループ。流通を主とした様々な事業に手を出し、政財界にもかなり顔が利くという大富豪です。


 そして私が警戒したのはもう一つ。


 あの家、どうにもちょっとよろしくない方向の事業にも手を出しているくさいんですよねえ……。


「彼らのパーティでこの封筒の通りの行動をしてください」


 机に新たに置かれた封筒に手を伸ばしかけ、ちらりと大見さんを見ます。


「中を見てもいいですよ」


 よかった……。触った瞬間射殺でもされたらどうしようかと思いました。


 封筒を開けると、A4の紙が一枚入っていました。


 日程表のようです。左にはパーティの流れ、右には行動が書いてあります。


 どこへ行け、何をしろ。


 ひとつひとつは単純のようですが、おそらくこの中に危険な行動が混じっているのでしょう。


 それが何なのかわからない分、かなーり嫌な感じですね。お金という盾が取られていなければ速攻で断っていたところです。


「これは八神家の有力者だった男を偲ぶパーティです。しかし、偲ぶ会というのはただの名目。実際は彼が持っていたコネや利権を一族の内外問わず取り合う会といった趣が強いでしょう」


 そ、そんな魔窟に私が!? 一介の零細探偵でしかないこの私が紛れ込めというのですか!?


「今回はこちらで用意したドレスで向かっていただきます。あまり粗末なものを着られても困りますので」


 もしかして今貶されましたか?


「ではこの日付と時間にこの場所へ」


『ああ、分かった……』


 く、本格的に操り人形です! 私なんかを使って何をしたいんですかこの方は!


 その時、事務所のドアがコンコンと控えめに叩かれました。


「ごめんください。小鹿さんいますかー……?」


 あ。狸さんですね。


 ということは警察案件ですか。もう、お金に困っているときは来ないのにこう忙しいときだけどうして来るんでしょう。今だってちょうど依頼を受けている最中なのに――


 そこまで考えて私は真っ青になりました。


 や、ややややっべーー!!! ちょっぴりワルなこの方を狸さんに会わせるわけにはいかないのでは!? 双方に何かしらの悪影響があるのでは!?


 少なくとも彼女に狸さんとの会話を聞かれるわけにはいきません。絶対にダメです。なんとか理由をつけて話を終わらせてお帰り願わねば!


「小鹿さーん?」


『い、今行く! すまない、大見さん。今日はもう……』


「はい。用件は終わりましたので帰らせていただきます」


『え』


 いやでもちょっと情報が少なすぎません? もう少し八神家の人間関係とか……。


 そんな思いが顔に出ていたのでしょう。大見さんはただでさえ冷たい目をさらに細めました。


「それ以上をアナタが知る必要はありますか?」


 ヒョッ……。


『ア、アリマセン……』


「よろしい」


 大見さんは立ち上がると私に向き直り、軽く頭を下げました。


「ではまた」


『はい……』


 まるで軍人のような完璧な姿勢で彼女は去っていきます。


 追いかけていくと、ドアの前で狸さんとすれ違っていました。


「どうも」


「あ、はい。どうも……」


 カツカツとヒールを鳴らして去っていく彼女を呆然と見送り、狸さんはこちらに向き直りました。


「彼女は……?」


『依頼人だ。ほら、さっさとお前の仕事の話をするぞ』


「あ、はいっ」


 半ば無理矢理、狸さんを事務所に引きずり込み、私は水無瀬がいるあたりへと向かっていったのですが――


「あっ、おかえりなさいご主人様!」


「バンビさんってご主人様なの?」


『ご主人様じゃない。ポチは去れ。仕事だ去れ』


「なんでですか!」


『仕事だと言ってるだろう!』


「ああっ、叱ってくださりありがとうございます!」


『うるさい!』


「ねーねーバンビさん」


『お前もうるさいなんだここは託児所か!!』


 寄ってくる馬鹿とぎゃあぎゃあ言い合っていると、狸さんが控えめに近づいてきました。


「お忙しいところ本当にすみません、お仕事の話に入っても?」


『……ああ。できれば簡潔に手短にな』


「はい。その方がよさそうですよね……」


 狸さんは私にじゃれようとしてお互いに邪魔をしあっている二人をちらりと見ました。


 ええ、分かりますよ。なんだこいつらという顔ですよね。分かりますよ。


 狸さんはカバンから書類を取り出し、私たちの前に広げました。


「実は八神グループのパーティについてなんですが」


 …………マジで?


 思わぬところでバッティングしてしまった用件に私は言葉を失いますが、幸いにも狸さんが気づくことはありませんでした。


「このパーティは八神哲平というグループ幹部を偲ぶ会なのですが……この哲平という男の死に不審な点があります」


『……殺人か?』


「おそらくは」


 狸さんは深く頷きました。


「上はこれを口実にしてグループ全体の不正にメスを入れたいようです」


 ああなるほど。そういうことですか。


『要はその事件が殺人だということをはっきりさせさえすればいいんだな』


「はい。六条さんはそう言っていました」


 殺人事件ということになれば警察が介入できる。私たちはそのためのカンフル剤とでもいったところでしょうか。


 まあ、いつも通りの案件です。大見さんからの不穏な依頼が重なっていなければ、ですが。


 私は真面目な顔をしている狸さんをちらりと見上げ、そっとため息をつきました。

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