第8話 すやすや水無瀬

 言われた通りのことを捜査員に伝え、『それ』が発見されるまで一時間。


 その間、水無瀬はすやすやと寝息を立てつづけていた。


 なんなんだこいつは。こんな廊下でいきなり寝始めるなんて、ついさっきまでパーティで女性たちにちやほやされていた男とは思えないぞ。


「起きろ水無瀬」


「んー……」


「ほら起きろ」


「むに……」


「起きろと言ってるだろ!」


 幸せそうに眠るアホ面に腹が立ち、思わず頭をはたく。


 水無瀬はぱちりと目を開き、叩かれたことなんてなかったかのように笑いかけてきた。


「あ、おはよー。なんで寝てたんだっけ?」


「お前が容疑者を集めて起こせと言ったんだろう!」


「そうだっけ?」


 頭の上にはてなマークを飛ばす馬鹿男にうぐぐっとなりながら、立とうとしないそいつを睨みつける。


「お前の言った通りのものは見つかったそうだぞ」


「そっか!」


「だが絞り切れないとも言っていた」


「うん!」


 ぺたんと座ったままの水無瀬を神谷はいら立ちをこめて見る。


「これから、どうするんだ?」


「んーとね」


 水無瀬はようやく立ち上がり、ズボンの汚れをぱんぱんと払った。


「壊しに行くの!」






「こんにちはー!」


 従業員の前に立った水無瀬の第一声はそれだった。


 突然子供番組のようにあいさつをされて、従業員たちはざわめいている。


 水無瀬は底抜けに明るく続けた。


「殺人犯はこの中にいまーす!」


 ざわっと従業員たちの声が揺れる。


「犯人は裏方の部屋で被害者を殺した後、被害者の恰好をして外に出るつもりだったの。被害者は作業着を着てたから簡単だよね。でも逆に言うと作業着を着てるだけじゃ被害者と同一人物だって認識してもらえない。だから被害者の特徴を真似たんだよね、例えば――眼鏡とか」


 ほとんど一息で言われたその言葉の羅列に、それを聞いている人々は皆、硬直して聞き入ることしかできない。


「その眼鏡はもう見つかってまーす! でもね、一人には絞り切れてないの! だから今からみんなに密告しあってほしいなって!」


 ぱっぱーんと水無瀬は両手を広げて言う。


 直後から従業員たちはにわかに騒がしくなり、徐々に騒ぎは大きくなっていった。


 腹の探り合いが徐々に疑心暗鬼となり、声が大きくなり、怒声となり、罵声となり、そこからはもう止まらない。


 互いに互いが信じられない。殺人犯がこの場にいるという事実に、彼らは耐えられないのだ。


 やがて一人の男性が泣き崩れた。


「俺だ、俺がやりましたっ!」


 シン……と辺りが静かになる。


 事の次第を見守っていた警察官たちが近づいていき、彼を別室に連れていく。


 残された従業員たちは気まずそうにお互いを見るばかりだ。


 このホテルの人間関係は、きっとこの後悲惨になる。


 なんてひどい解決法だ。


 手順と結論は間違っていないはずなのに、行動と言葉選びが最悪すぎる。


 神谷は吐き気と敗北感を覚えながら水無瀬を見やった。


「……まあ、今回はひどくないほうですかね」


 いつの間にか清潔な服に着替えてきたご主人様が、ぽつりとつぶやいていた。







「容疑晴れてよかったね!」


「ワンピースはダメになったがな」


 せっかくこのために買ったのに、なんてもったいない……。


 あと何回か着てから古着屋に売ろうと思っていたのに。残念です。


 そんなせせこましい思いに浸りながら、私は警察に預けられていたカバンの中に手を突っ込みました。


 財布。手帳。ペン。いつものものは全部あります。でも――


「あれ?」


 私は手に当たらなかったそれを探しに、慌ててカバンの中を覗き込みました。


「あの封筒がない……」


 大見さんから預かった、対象に渡せと言われていたあの封筒。


 ヤバいです荷物を運ぶこともできず、あまつさえ失くしてしまうだなんて!


「封筒ってこれのこと?」


 水無瀬が言いました。


 でかした水無瀬。お前が拾ってくれていたのですね。


 彼を褒めようと顔を上げたところで、私は硬直しました。


「……え?」


 封筒が開けられている。


 中身の紙が見えている。


 水無瀬は屈託のない笑顔で笑いました。


「開けちゃった!」


「馬鹿ーーーーーー!!!!」


 私は文字通り頭を抱えてしゃがみ込みました。


 どうしましょういやこれは私の過失ではないのでは、いや私たち二人への依頼だったのでこいつの責任は私のものでは、いやいや殺人事件なんてイレギュラーが起きたのですから見逃してくれませんかね!?


 ぐううううううううう!!


「ご主人様、それは?」


「お前には関係ありません」


「あのねえ、お客さんがターゲットに届けなさいって渡してきたものなの!」


「水無瀬ェ!!!」


 どうして思ったことをすぐ言っちゃうんですかこの馬鹿! アホ! 脊髄でしゃべるな!!


「あのねえ、こんな風に書いてあった」




『頂上葉佩は妄執していた。焦がれるのなら乗り越えろ』




 見せられた文言に、私は目を見開きます。


 頂上葉佩。アイツが本当に関わって? でもこの文面は――


 しかし水無瀬は頂上の名前に反応を示さず、ぽいっとそれを捨てて歩き去ろうとしました。私はそれを慌てて拾い上げます。


「帰ろ! 帰ってラーメン食べる!」


「馬鹿ほんと馬鹿この件どう対処するか一緒に考えるんだよ馬鹿」


「そうなの?」


「そうなんだよ!」


 もはやパペットありなのかなしなのかわからない口調で水無瀬をなじりながら、私たちは帰途につこうとします。


 そんな私たちに、ポチは声を張り上げました。


「水無瀬片時!」


 振り返ります。


 敗北感と焦りの表情でポチがこちらを睨みつけていました。


「今回はお前に勝ちを譲ってやったが、次は負けないからな!」


 水無瀬はこてんと首をかしげます。


 それがまた悔しかったらしく、ポチは捨て台詞を吐いて走り去っていきました。


「覚えてろよこのお昼寝男!!」


 バタバタとその足音が聞こえなくなるまで固まった後、私は呆然と呟きました。


「次があるのか……?」

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