第7話 馬鹿どもの捜査

 約束通り十分間おすわりを続けていたポチこと神谷風馬は、会場に戻る道であたりが騒然としていることに気が付いた。


 会場の周囲は封鎖され、建物の外に出ることができなくなっている。


「誰かが殺されたんですって」


「怖いわね」


「でも犯人はすぐに捕まったそうよ。凶器を持って死体のそばにいるのを見つかったんですって」


「聞いたわ。あの小学生みたいな女の子でしょ? 人って見かけによらないものねえ」


 会場の人々のざわめきから不穏な事態を察する。


 殺人。犯人。小学生みたいな女の子――!?


 大切な大切なご主人様のことが頭に浮かび、神谷は慌てて現場へと向かおうとする。


 しかし当然ながら警備の人間に制止されてしまった。


「くっ……」


 ご主人様が殺人なんてするはずがない。


 俺の調教をするときだって、嫌悪と虚無の表情を隠さずにこちらをしばきたおしてくれていたというのに。


 あんなに優しくて激情のない方が誰かを殺すなんてありえない。そんな相手がいるなら俺が許さない。解釈違いだ。


「なんかねえバンビさんが犯人になっちゃったんだって」


 突然背後から声をかけられて、神谷は振り返る。


 あの水無瀬とかいう不審者が笑顔で立っていた。


「大変だね!」


「なっ……!?」


 自分の妹が殺人犯になりそうになっているというのにこの落ち着きようはなんなんだ。こいつには人の情がないのか!?


 いや、逆に考えるんだ。コイツとご主人様の間には殺人なんてするはずがないから大丈夫だという絆があるとでもいうのか!?


 くっ、許せない!


「だが俺は負けないからな。お前より先にご主人様の潔白を証明してみせる」


 水無瀬は首をこてんとかしげた。


「ポチちゃんも捜査に参加したいの?」


「は?」


「あのね、僕こういうものなの」


 わたわたと懐から取り出されたものに、神谷は目を疑った。


 パタンと開く黒い手帳。


 書かれているのは顔写真と『水無瀬片時 警部補』という文字。


「お前、警察、なのか?」


「うん! 一緒に捜査しようね、ポチちゃん!」






 本当に現場に入れてしまった。


 あっさりと許可された立入禁止区域への侵入に困惑しながら神谷は水無瀬についていく。


「被疑者はどこー?」


「現場近くの部屋で見張りをつけています。おそらく先に到着した捜査一課の方々が入っているはずですが」


「そっか! ありがと!」


 軽い調子で返事をして、水無瀬はその部屋のドアを勢いよく開けた。


「失礼しまーす!」


「えっ、うわ、水無瀬さん!?」


 目の下にクマがある情けない顔をした刑事が振り向いてくる。


「? 誰だっけ?」


「いやいやいやいや、同僚の田貫ですよ! 田貫弓道!」


「あ、そんなのもいたね!」


「いたねって……ひどいですよ……そりゃあ最近会ってませんでしたけど……」


 ぶつぶつ言いながら肩を落とす彼の向こう側では、手を血まみれにさせてむすっと座っているご主人様がいた。


「ご主人様!」


「げぇっ、ポチ!」


 露骨に嫌そうな顔をされた。でもそんな表情もご褒美です。ふふっ。


「水無瀬はともかく、どうして、この男まで、入れたんですか」


 たどたどしくご主人様は言う。パペットがないとあがり症気味なのも愛らしいなあ。


「それは自分も聞きたいんですが……水無瀬さん、彼は誰です? どうして規制線の中に」


「マゾ犬なんだって!」


「は?」


「ご主人様に尽くしたいんだって!」


「は?」


「だから連れてきた!」


「は???」


 全く要領の得ない返事に、神谷はずっと前に出た。


「失礼しました。自分は神谷といいます。ご主人様である小鹿さんの犬で、小鹿さんの潔白を証明したいと思っていたところを彼に連れてきてもらったのです」


 田貫刑事は目をぱちぱちとさせている。


「水無瀬……」


 ご主人様はじとっとした視線で水無瀬を見ている。


 いいですよそのまま嫌ってやってくださいご主人様! ああっ、でも嫌悪の目で見られるの羨ましいなあ!


「えーと……つまり捜査協力をしたいと?」


「はい」


「うん! いいよね?」


「ええ……本当はダメなんですけど水無瀬さんのすることですしねえ……」


 田貫刑事はううんと唸った後しぶしぶ答えた。


「わかりました。止めてもどうせ無駄でしょうし、捜査に協力してください。本当はダメなんですからね?」


「うんわかった!」


 わかってないな、この男。今は助かったが。


「じゃあバンビさんいこっか!」


「え、え!? ダメですよそれはダメです!」


 ご主人様との間に割って入られ、水無瀬はきょとんと首を傾ける。


「いいですか、今小鹿さんは犯人かもしれない重要参考人なんです! そんな人を捜査に参加させたらダメなんですよお!」


「えー」


「えーじゃなくてですね……」


「水無瀬」


 困り果てる田貫刑事の後ろで黙っていたご主人様が声をかける。


「なーに、バンビさん」


 水無瀬がひょこひょこ寄っていくと、ご主人様は彼の頭にべしっとチョップをした。


 えっ、いいなあ! 俺もやってもらいたい!


「駄々こねずに捜査しろ」


「えー」


「あとで板チョコを買ってやる」


「わかった! がんばるね!」


 安い買収だな。ご主人様との信頼関係が垣間見えてイライラが止まらない。


「ご主人様! 俺も頑張るので! 俺にもチョップをお願いします!」


 ずずいっと近づいて頭を差し出す。ご主人様はドン引きした顔でべしっと頭をチョップしてきた。


 ああ、その顔もご褒美ですご主人様。


「じゃあ捜査して壊してくるね! いこ、ポチちゃん!」


「え、あっ、ご主人様また後でーっ!」


 疲れ果てた顔でひらひらと手を振るご主人様を見届け、神谷は意気揚々と廊下に出た。


「よし。捜査するというのだから、まずは現場を見るのか?」


「うん! 死体見る!」


「は?」


「どんな人が死んでるかなー」


 にこにこと笑いながら水無瀬は現場である隣の部屋のドアを勢いよく開けた。


「お邪魔しまーす!」


 うわ来た、という顔を全員がした。


 どれだけ迷惑をかけているんだこの男。


 呆れながら後に続くと、水無瀬は笑顔のままずかずかと死体へと近づいていく。


「えーい!」


 勢いよくブルーシートをはがす。殺されて倒れたままの男の死体があらわれ、神谷は思わずうっと口に手を当てた。


「清掃員の服だね!」


「そうですね、このホテルで支給しているもので清掃員ならだれでも」


「わかった!」


 鑑識の言葉を最後まで聞かず、水無瀬はさっさと現場から出ていく。


 神谷は何もできないままそれを追いかけることしかできない。


「あ、ぽんぽこ!」


「それもしかして僕のことですか……?」


 田貫刑事が疲れ果てた顔で返事をする。


「あのねえ、容疑者全員集めてほしいの!」


「全員ですか!? そんなのこの従業員エリアに入ることができる全員ですよ!?」


「うん! 集めて待機させててね!」


 恐ろしい勢いで進んでいく捜査に、自分も動かなければと神谷は水無瀬に声をかける。


 一方水無瀬は壁に寄りかかってずるずるとしゃがみこんでいった。


「お、おい水無瀬。俺にも何かさせろ」


「えー」


 ふにゃふにゃと文句を言うその目は、うとうとと細められている。


「じゃあ眠くなっちゃったから、捜査員さんたちにこう伝えてねー」


 耳を近づけるとひそひそとあることを伝えられる。


 神谷がどういう意味なのかを聞く前に、水無瀬の体は傾いて廊下の隅に丸まってしまった。


「捜査員さんが見つけたら起こしてねーむにゃ……」


 まるで気ままな猫のようにお昼寝を始めてしまった男を、神谷は困惑に満ちた目で見下ろすことしかできなかった。

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