第6話 馬鹿衝突
ぽつりと呟かれた言葉に私は思わず「は?」と返事をしてしまいます。
すると男性はほとんど私の手にすがりつくように立ち上がってきました。
「ご主人様、俺です! 貴女のポチです!」
「は??」
二度目の間抜けな声でした。
私はこちらの反応を待っている彼をじっと見て――ドバっと背中に汗が噴き出るのを感じました。
ゲェーーーッ!! こ、こいつ昔、私が調教したマゾ下僕野郎だ!
妙度師匠に「そろそろカナリアちゃんも下僕の一つや二つ作らないとねえ」とか意味不明なことを言われて、しぶしぶ踏んであげたりしたド変態だ!
「思い出してくださったんですね嬉しいです」
「………」
「どうかしたんですか? はっ、もしかして俺がこんな人間みたいな行動をしているのが気にくわないとか」
「………」
「わかりました! 今這いつくばってワンと鳴いてみせます!」
「やめろ馬鹿ッ!!!!!!!」
これ以上なく大声が出ました。
会場中の視線が私たちに集まり、私は慌てて彼の手を振り払って逃げ出しました。
やばいやばいやばい。この男が近くにいたら目立ちすぎます!
早くこの男を振り切って任務を終わらせて帰らなくては!
というかこの男に自宅を知られたくない! 誰か助けて!!
「ご主人様ー待ってくださいよー」
来るな馬鹿!
「ワンって鳴きますよ、ワンワン」
来るな馬鹿ほんと馬鹿!
「あ、バンビさーん!」
ウワーッ! 馬鹿がもう一人来た!
「あのね、パーティ飽きちゃった! 帰る!」
「は? アナタ誰ですか。俺のご主人様に何の用ですか」
「水無瀬片時二十八歳です!」
「年齢は聞いてねえんですよ。ご主人様とどういう関係かと聞いているんです」
馬鹿! 馬鹿馬鹿! 馬鹿と馬鹿でぶつかって対消滅してください!
「僕はねえ、バンビさんのおにいさんだよ」
「なんだ、お兄さんでしたかとんだ失礼を」
「血はつながってないけどね」
「貴様おにいさんを名乗る不審者だなぶっ飛ばす」
ぎゃー! 会話が最悪な方向にすれ違っています! なんで!
「不審者じゃないもん。公的権力だもん」
「はぁ? 貴様のような頭ぱっぱらぱーな男が公的権力持ってるわけないだろ絶対に公務員試験突破できない顔してるぞ貴様」
それについては非常に同意ができるんですが、残念ながらコイツ本当に警察官なんですよね……。裏口入学ですが。
私は言い争いをしている二人からそっと後ずさり、バッと逃げ出しました。
早く任務を終わらせないと! これ以上私の黒歴史が掘り起こされないうちに!
その時私は誰かにぶつかってしまいました。
「あだっ」
全力でぶつかったのはこちらだというのに、彼女の体幹は一切ぶれませんでした。
むしろ吹っ飛ばされたのは私のほうです。それどころか転びそうになった私は腰を引き寄せられて助けられてしまいました。
「す、すみませ……ミッ」
後ろでくくった黒髪に赤いルージュが似合っている、にんまりと笑う強い女。
み、みみみみみみ妙度さんだーーーーーーッ!!!!
「おやおや、誰かと思えばカナリアちゃんじゃあないか」
「ひえっ、じ、事務所リフォームの件は大変お世話になりました」
「そうだねえ。とてもお世話をした。そのうち貸しは返してもらおうかと思っていたところだよ」
「はい……それはもう必ず……」
妙度さんに腰を抱かれながら、私は俯いて細かく震えます。
あーもう……なんでこのパーティにはこんなにやばやばな出会いがあふれているのでしょう……。
確かに婚活パーティですがこんな運命は求めていないんですがねえ……。
「あの、妙度さん、私今仕事中で……借りを返すのはまた今度にしていただきたいといいますか……」
「ふふ、知っているとも」
知ってるんかい!
じゃあなんで絡んでくるんですか!?
「……運び屋をやっているんだろう?」
私に一切目を向けないまま妙度さんは小声で言いました。
周囲を警戒しています。この話は誰にも聞かれたくないようです。
私もほとんど聞こえないような声で返しました。
「依頼主、ヤバいんですか」
「私にとってはヤバくないさ」
そりゃあアナタにとっては大抵のことはヤバくないですよ。
「小鹿ひばなにとってはヤバいと?」
「まあね。一つだけ言えるのはこんなお粗末な人形劇にカナリアちゃんが上ってやる義理はないってことかな」
「人形劇?」
「君もよく持っているだろう? パペットさ」
今日はパペットをつけずに、火傷隠しの手袋をつけているだけの右手を咄嗟にかばいます。
「この人形劇の演者たちは君というパペットを使って駆け引きをしようとしている」
つまり駒扱いということですか。なんとなくそうではないかとは思っていましたが……こう断言されると気分がいいものではありません。
しかしなんというかこれは――
「まるで演者が誰なのか知っているような口ぶりですね」
緊張で冷や汗をかきながら、妙度さん相手に駆け引きをしようとしました。
逃げたいです。でもここで聞いておかないと後々で本当にまずい事態になると直感していました。
妙度さんは意外にも軽く肩をすくめてあっさりと答えてくれました。
「頂上葉佩だよ」
あまりに軽く言われたその名前に、私は一瞬驚愕で硬直しました。
「死んだはずじゃ」
ぽつりと言います。
目の前で腹を撃たれて(というか私が腹を撃って)、よろめきながら逃げていくのを確かにこの目で見ました。
その後どうなったかはまでは確認していませんが、警察の海中捜索で見つからなかったのです。
今頃冷たい海の底に沈んでいると思っていたのですが、まさか。
妙度さんはにこりと笑って続けました。
「ここ数か月大きな顔をしているのが気にくわなくてね。こちらの商売がやりにくくてしかたない」
え、アイツ元気にそんなことしているんですか。ほんと懲りないですね。
一気に驚きと今までどこかで感じていた哀れみが吹っ飛んで、いっそ呆れが浮かんできました。
うわーどうでもいいなーという思いが、じわじわ出てきます。
確かにこれは人形劇につきあう義理はないですね。さっさと帰って寝たいです。
でも金払いいいんだよなーどうしようかなー。
「妙度さんは頂上葉佩を排除するつもりなんですか」
彼女は鼻をふふんと鳴らしました。
「私はしないさ。頂上葉佩に引導を渡す相手なんてもう決まっている」
私は片眉を上げました。
水無瀬片時。頂上葉佩が終生執着し続けた人でなし。
確かに彼以外に誰かが、頂上へと引導を渡すのは考えづらい。
「それが粋ってものだろう?」
ばちんっとウインクをされました。ウインク似合いますねえ、妙度さん。
帰宅願望が最高潮に達しながらぼんやりそれを見ていると、妙度さんは不意に私の後ろに目をやりました。
「ところで随分と懐かしい顔がいるねえ」
「ああ……」
そこにはまだ言い争っている水無瀬とポチがいました。一生やってろ馬鹿ども。
「神谷風馬ですよねあれ。私が探偵になる前に修行の一環でマゾ調教した」
修行と称されて様々なことをさせられましたが、あの修行だけはいまだに納得がいっていません。
志願者を踏んで、なじって、しばきたおす。
マゾ調教をするスキルとか一体いつ役に立つんですか妙度さん。今まで一回もないですよ妙度さん。
「ポチと呼んであげなよ。可哀想に、君がつけた名前じゃないか」
「妙度さんが候補から選ばせたんでしょうに……」
まさかラミネートされた名前一覧が出てくるとは思いませんでした。カラオケ屋の料金表か? 結局ダイスで選ばせたし。
って違う違う。仕事を続けなければ!
「妙度さんその話はまた今度に。私は仕事に……」
「ああ、カナリアちゃん」
名前を呼ばれて彼女を見上げます。
「さっき私は人形劇と言ったがもう少しいい言い方があったよ」
妙度さんは口の端を持ち上げながら言いました。
「ルアーだよ、君は」
「……私を使って釣りをしていると?」
返ってきたのは、ふふんという機嫌のよさそうな声だった。
「さっさと釣り糸なんて食いちぎってしまいなさい。君は私に借りを返す義務が残っているんだからね」
そう言い残し、ひらりと手を振って妙度さんは去っていきました。
もしかしたら妙度さんなりに弟子を甘やかしてくれたのかもしれません。
でも、これも借りのうちに入るんでしょうねえ。最強の女に借りが二つも。考えるだけで恐ろしいです。
……というか彼女はなぜ婚活パーティに?
確かに男漁りにはうってつけかもしれませんが、年齢的に厳しくないですか?
そこまで考えたところで『私は永遠の女の子だからね』と言いながら林檎を片手で粉砕する妙度さんが頭に浮かんで、私はぶんぶんと首を振りました。
口は災いのもとです。こういうことは考えるべきではありません。
「あっ、いたいたご主人様!」
ホゲーーーッ! あなたたち対消滅したんじゃ!?
ぎゃんぎゃん言い争っていたはずのポチがいつのまにか近づいてきていました。
にこにこ屈託のない笑みを浮かべていてまるでゴールデンレトリバーです。
いやいやそんなことはどうでもいいのです。とにかくこいつを振り切らないと仕事になりません!
「あっ、ご主人様どこに? ワンワン! ついていきますとも!」
ついてくるなアホ犬!!
私は足早に歩き出すと、会場を離れてその辺にあった階段を上り、人気のない細い廊下にやってきました。
誰もいないことを確認して、くるりと振り返ります。
「ご主人様! やっとこちらを向いてくれ――」
「おすわり!」
私の一言でポチはしゅばっと地面に正座しました。
く……やっぱりこのマゾ野郎、私の命令を覚えていやがる……。
「ご主人様こんなところでお会いできるとは思いませんでした! きっと神様の思し召しですね! ああ、貴女に会う機会がまた得られるなんて――」
「待て」
手のひらを向けて一言だけそう言います。
ポチはぴたりと動きを止めました。
そして無言のまま私の命令を待っています。その背後にはぶんぶんと犬の尻尾が振られている気がしました。
「いいですか。私は、仕事で、来ています。私とお前は無関係です」
ゆっくりと命令的に告げてやるとポチはショックを受けた顔をしました。きゅーんと言いたそうです。
だけど一言もしゃべりません。うむ。我ながらいい具合に調教したものです。
っていやいや! そんなことを誇らしく思っている場合じゃないんでした!
「十分後までお前はそうしていなさい。十分経ったら動いていいので」
パッと目を輝かせるポチ。
はぁ……。人目を考えて十分と言ってしまいましたが、これで十分以内に任務を終わらせないといけなくなりました。
嫌だなあ、勘弁してほしいなあ。
私は嬉しそうなポチの顔を一瞥すると、慌てて会場へと戻っていきました。
すると、ちょうどターゲットの男性が会場から出てくるのが遠くに見えました。
……これは好都合かもしれません。追いかけてさっさと任務を果たしてしまいましょう。
私はできる限りのスピードで階段を駆け下り、彼を追いました。
彼が入っていったのは、このホテルのスタッフルームのようでした。
彼が暗証番号で開けたそこを、ドアが閉まりきる寸前に足を突っ込んで止めて、私は中に侵入しました。
これで彼がこちらに気づいてくれればよかったのですが――幸か不幸か彼はさっさと部屋のうちの一つに入っていってしまいました。
バタンとそのドアが目の前で閉まり、内側からカギがかかる音が聞こえました。
ぐう……面倒なことになりました。
これはここで彼が出てくるのを待つしかありませんね。
五分、六分、七分。
刻一刻と迫ってくるタイムリミットに焦りながら、私は彼が出てくるのを待ち続けます。
八分経ったあたりで、ドアのカギはがちゃりと開きました。
よし! さっさと仕事をやっつけますか!
私はドアに近付き、中にいる彼を迎えようとします。
しかし、バンッと勢いよくドアを開いて出てきた男性と私はぶつかってしまいました。
よろめきましたが、なんとか体勢を立て直します。
くっ、ここで逃がすわけには!
慌てて体を引いてその人物を見ようとしたその時、私は大きく蹴り上げられ、その衝撃で意識が遠のいていくのを感じました。
次に目を覚ました時、私の手には何かが握られていました。
硬い柄に、ぬるっとした感触がへばりついています。
体を起こします。目の前にくだんの接触対象がいます。
血まみれで倒れていました。出血量からいって、おそらく死んでいます。
「……え?」
手を見下ろすと、私は血の付いたナイフを持っていました。
ガチャっと背後で鍵が開く音がしました。
ドアから入ってきた女性と目が合います。
女性は金切り声を上げて私から遠ざかりました。
私は自分の手と死体と状況を見て、大きくため息をつきました。
どうやら不詳、小鹿ひばな、殺人犯に仕立て上げられてしまったようです。
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