第245話 13章:コンプリートブルー(12)
「おーい冷泉ちゃん。キミの連れてきた彼、使えそう? ちょい役の新人ちゃんが来られなくなっちゃってさ」
音響監督らしきおっさんがマイクを通じて、防音ガラスの向こう側に話しかけた。
『ヒロインファンの男性役ですか。そうですね……』
3本立てられたマイクのうちの1本で、冷泉さんは音響監督と会話をしている。
そこは考え込むところじゃないだろ。
素人がアニメになんて出るもんじゃない。
オークションでアニメ映画への出演権が売られるなんてこともあったが、ああいうのは反対派だ。
宣伝効果は大きいのかもしれないが、作品はできるかぎり不純物なしで作って欲しい。
育成の意味もこめて新人をちょい役に入れるのは良いが、オレみたいなのを使うべきじゃない。
彼らはオレを声優志望者だと思っているから、こういう考えに至ったのだろうが。
『いけると思います』
ちょっとぉ! 冷泉さん!?
「いや、ちょっと恐れ多いというかなんというか……」
「こんなチャンスあんまりないよ? この業界に入りたいなら、前のめりにいかなきゃ」
思わず口ごもってしまうオレを不思議そうな顔で見た音響監督が背中を押してくる。
業界に入りたいわけではない……なんてことは言えない。
冷泉さんの顔を潰すことになってしまう。
そりゃあオタクとして、アニメ業界や声優に憧れたことがないわけじゃない。
だが、ここでそんな欲望に負けてしまうのは、オタクの矜持が許さない。
「演技を一度見てもらっていいでしょうか?」
このあたりが落としどころだろう。
もちろん、手を抜くつもりはない。
それこそ冷泉さんの顔を潰すことになるからだ。
その上でダメだと判断してもらえばいいだろう。
予備の台本を渡されたオレは、ブースに入った。
そこはオタクにとってほぼ聖域だ。
声優さん達が、マイクの前に立ったオレに注目している。
オレは大きく深呼吸。
落ち着け。
自分や仲間が死ぬわけじゃない。
異世界での凄惨な戦いを思い浮かべると、心が急激に冷えていく。
落ち着きを取り戻したオレは、指定されたマイクの前に立つ。
「へぇ……」
誰かが感嘆の声を漏らした。
『16分32秒からね』
「はい」
マイクの前に設置されたブラウン管モニターに、無音のアニメが流れる。
OVAだけあって、すでに色もついている。
画面上部にタイマーが表示されている。
オレの出番はこのタイマーで、16分32秒からということなのだろう。
1回目の人生で見たことのある作品だけあって、なんとなく内容は覚えている。
とはいえ、細かいセリフを全て覚えているわけではないので、台本をぱらぱらとめくった。
オレの動体視力なら、それだけで一読できる。
『準備はいいかい?』
「よろしくお願いします」
オレがそう答えると、モニターの上に置かれた赤いランプが点灯した。
収録開始ということだろう。
タイマーは15分ジャストからスタートした。
オレが演じるのは、たったの二言。
なんてことのないセリフだが、色んなものを背負ったヒロインが奮起するきっかけでもある。
「ずっと前からファンだったんです。だから、走るのをやめるなんて言わないでください」
「応援されるのがつらいと思うなら、オレにはもう何も言えません。ただ、国がどうとか、そんなことは関係なく、貴女の走る姿を見るだけでがんばれた人間もいたってこと、覚えていてください」
オレなりに全力を出したつもりだ。
さて、どうなるか……。
ヴァリアントの戦いとは違って、自分のデキがどういった結果だったのかはかりかねるというのは、なんとももどかしいな。
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