第5話 そして伝説は始まった
少女――クリムは驚愕していた。
森の中で大きな音が鳴り響いたと思えば、自らの目の前に、見た事もない巨大なスライムが現れていたのだ。
思わず恐怖で身がすくみ、あわや【メガトンスライム】にその身を潰される刹那――。
(たすけて――ゆうしゃさま!!)
そう願った瞬間。
目を開くと、すぐそばで倒れていたはずの黒髪の少年が、その身を呈してクリムを護っていた。
「――ごめん、オッサン」
その少年は小さく呟くと、【メガトンスライム】を力強く見据える。
「……勇気、燃えてきたよ」
その見た目よりも大きく見える背中に、クリムは木製のお守りを握りしめながら、無意識に声を漏らていた。
「ゆうしゃ……さま……?」
■□
――ありがとう。おばあちゃん。
誰に言うでもなく、俺は心の内でそう呟いた。
道の脇には、怯えてうずくまる女の子の姿。
そして後方にいるのは……こちらを狙う【メガトンスライム】。
俺は女の子をかばうように前へ踊り出すと。
大きく深呼吸をして目を閉じる。
怖いから何だ。
特別な力? ――そんなの無くたって身体は動く。
何よりここで動けなきゃ、俺は男じゃないだろうが!
俺はカッと目を見開いた。
おばあちゃんの言葉を借りるなら――
“男ならガツンとおやりなさい”……だ!
「オッサン――いや、ダインさん。俺に剣を貸してくれ」
『――!! ――応ともッ!』
ダインのオッサンが嬉しそうに広げた袋の先から、光沢と共に、浅黒い剣の柄が飛び出した!
俺はそれを両腕でがっしりと掴むと――。
「う、おおおおおお――!」
ぎゃりん――と、音を立てて、力いっぱい抜きはらった!
剣先に引っかかった草むらが音もなく切り裂かれる。
「――ッ……!」
両腕に重力を感じながら、俺は太めの刀身をなんとか正面に持ち構えた。
……ただ重いだけじゃない。
――首筋に緊張の汗がひんやりと伝う。
剣というのは、今まで持った事の無いような重量を。
例えるなら……命を奪う武器としての重みが、そこに感じられた。
包丁とは訳が違う。
――俺は人を殺すための道具を持っている。
死への恐怖とは別に。
その事実が、どうしようもなく指先を震わせる。
『……心配するな、シロウ。オヌシが今相対しているのは唯の
俺の葛藤を見抜いてか。
ダインは首元で、優しく――されど、力強く励ましてくれる。
『恐れる事はない。オヌシには今しがた見せた、“勇気”があるッ! 人の心は無限の力を生む。言わば勇気こそが最強の魔法じゃ! ――つまりオヌシは最強の魔法使い! 負ける理由がどこにあろうか!!』
「何だよそのヘンテコな理屈……」
呆れながらもその激励に、少しだけ胸の内が軽くなった。
汗ばむ指先に力を込める。
もう――剣を持つ手に、震えはなかった。
「――来い! スライムッ!!」
腹の底から声を張り上げ――スライムはそれに反応して飛びあがる。
激しい振動で飛び跳ねながらぐんぐん迫る【メガトンスライム】に対して。
俺は即座に身を翻し――。
「よし、逃げよう!」
『は?』
……別方向へスタコラサッサと逃げだした。
『――は?』
首元でダインのオッサンが、もう一回大口を開けてくる。
「いやぁ、よく考えたらスライムの倒し方教えて貰ってなかったわ……」
『それもそうじゃが今の流れで逃げるかフツー!?』
ごもっともだが、これにはちゃんとした理由があった。
「女の子が傍にいるのに戦っちゃマズいだろ。巻き込まないよう、いったん距離を取る必要があると思って……」
『なるほどそれは悪かった。別に怖気づいた訳ではなかったのじゃな』
「…………」
『なかったのじゃな?』
「…………」
『オイ』
……まあ、そう簡単に恐怖なんて克服できないよね。
「……ちゃんと戦う気はあるから安心してね」
『ならよい。ではワシもスライムの倒し方について教えよう。薄々勘付いているやもしれぬが、アレはただ闇雲に剣で斬るだけでは倒せん。体の大部分は多量の魔力を含んだ粘液であり、内側に埋まっている“核”と呼ばれる球体が、魔力を通して指令を出しておる。つまりそれを破壊すればいい訳じゃ』
「なるほど――“核”だな――!」
女の子から十分距離を取ったので、急ブレーキでその場に立ち止まると。
俺は黒剣を構えて、迫りくる【メガトンスライム】を改めて見据える。
魔物は俺の倍はあろうかという全長で、青色の濃いゼリー状の体を震わせながら。
ゴムボールのように飛び跳ねて向かってきている。
振動が地面から足元を通して、全身が震える感覚。
けれど――恐怖による震えは……あるけど気合で我慢する。
『――体のどこかに埋まっている“核”と呼ばれる球体を――』
――オッサンの言葉を脳内で暗唱しながら、俺は【メガトンスライム】の体を注意深く観察した。
――球体、球体は……。
球体は――!
「――――――――ッ!」
――ッ!!
「――見えねぇッ!!」
体がデカすぎて見えなかった。
『流石は異常成長したスライム……。デカい分、色が濃くて内部がまったく透けてないのう……』
「言ってる場合か!? どーすんだよこれ!」
弱点が見えなきゃどこを攻撃していいかも分からない!
慌てふためく俺をよそに、無情にも【メガトンスライム】は攻撃態勢に入る。
『いかん! とにかく今は攻撃を避ける事に専念――』
「それじゃ駄目だ! 剣は重いしぶっちゃけこっちは立つのも限界――あばぁッ!? いま背中から血が吹き出した超いてぇ!?」
『ええい! 勇ましいのやら情けないやらよく分からん奴め!! どうする? 間に合うか分からんが、今からワシが注意を引き付けてやるか!?』
これだけ走って動き回ったのも久しぶりなので、実はさっきから肩で息をしている状態である。
身体はボロボロ、腕はプルプル。体力の限界も近い。
剣を持ったまま敵の攻撃を避け続けるのは無理だ!
なるべく早期の決着が望ましい。
「――いや、それには及ばないさ。こうなったら、一か八かだ……!」
俺は荒い息を吐きながら。
夕陽を浴びて煌く黒剣を、チラリと見つめる。
「――危ないからオッサンは下がっててくれ」
『フッ――。オヌシのようなひよっこ一人に戦わせて、ワシだけ安全地帯でのうのうと逃げるは男の恥よ。このダイン・スレフ。こうなったらオヌシと一蓮托生じゃ!』
「……邪魔だから肩から降りろって意味」
『あ、スマン。降ります』
言いながら――両腕に力を込めて、俺は上体をのけぞるようにして剣を振り上げる。
『何をするつもりじゃ……!?』
「――切れ味……保証するんだろ? ――信じてるからな」
強張った笑みを浮かべながら啖呵を切った。
同時に――【メガトンスライム】は大地を蹴りぬき。弾性を利用して、烈風のように跳ね飛んだ――!
――青色の砲弾が風の膜を突き抜ける。
――ここだッ!
直撃の瞬間――!
俺は両腕を振り絞り、奥歯を嚙みしめながら――黒塗りの長剣を一息に振り下ろした。
「う、おおおおおおおおおッ――!!」
刃はするりと空気の抵抗を断ち切り――。
吸い込まれるようにして【メガトンスライム】の先端へとぶつかる。
――激しい振動。
あまりの弾力に俺の身体が剣ごと弾き飛ばされそうになるも。
風をも切り裂く名剣は、その衝撃さえも切っ先に飲み込んで――!
――瞬間。
確かな手応えと共に。
さながら空中で投げ出されたボールを一刀両断するかのように。
【メガトンスライム】の体は綺麗な断面をもって、左右二つに飛び散った!
一拍遅れて――後方で、樹木の吹き飛ぶ衝撃が二か所から響き渡る。
「……ぶはっ! スライムの体は――!?」
『あそこじゃ!!』
即座に後ろを見やると、オッサンが前脚で指し示した方向――。
――切り裂かれたスライムの片割れから、手のひらサイズの球体がひょっこりと露出していた。
半分になった【メガトンスライム】はもぞもぞと地を這い。
球体のある方が、再び再生しようと片割れを追い求める。
『――敵の勢いを利用して切り裂いたか。無茶をしおる!』
「俺の筋力じゃ大した威力にならないからな!」
ビリビリと痺れる両腕を握りしめながら答える。
それに、スライムを両断して体積を減らせば、その分、内部の球体を見つけやすくなると思ったのだ。
かなりひやっとしたが――結果は上々。
一太刀で露出したのは嬉しい誤算だ。
『よし、今のうちに追撃じゃ!』
「おう!」
剣先を勢いよく引きずりながら。
俺はスライムの片割れへ向けて、全速力で走り出す。
「合体して元に戻る前に――ぶっ壊してやるッ!」
残された力を振り絞ると――。
俺は大地を踏み抜き、遠心力を利用して。
刀身を【メガトンスライム】の“核”へと、フルスイングでぶち込んだ――!
――パキン!
……やがて、乾いた破砕音と共に。
【メガトンスライム】の体は急激に崩れ落ち、蒸発するような音を立てながら。
……そのまま地面へと溶けてなくなった。
――辺りには、大きな濡れ場と激しい戦闘の跡が残るのみ。
俺は激しく息を、乱したあと。ごくんと、唾を飲み込み――。
……森の中には、静寂が戻った――。
「…………」
――終わった、のか――?
そう認識すると、ようやく緊張の糸が切れたのか。
身体は激しい疲労と発熱、脱力感に身をゆだね。意識が徐々に遠くなり……。
掌から――するりと、剣の柄が抜け落ちた。
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