第4話 命を懸ける勇気

「――ッ!?」


 俺はオッサンの声を受けて――反射的に右へ転がった。


 すると、超巨大なスーパーボール……【メガトンスライム】は、左足を僅かにかすめながら、砲弾のように後方の木々へと激突した。


 ――轟音。


 ――衝撃。


 木片とスライムの水滴があたりにパラパラと降り注ぐ。


 見やると、後ろに並んでいた立派な樹木たちは跡形もなく。

 大砲にでも吹き飛ばされたかのように根元の上からさっぱりと――大きな音を立てて、がらがら崩れ落ちていた。


「な――なんだよ今の!?」


 ――凄まじい威力。

 あれがもし直撃していたら……。


 ……風がサァ――と頬を撫でて。

 全身がぶるりと震えあがる。


 ――死。


 あとちょっと反応が遅れていたら間違いなく死んでいた。

 その事実が、俺の心へ冷たい刃のように突き刺さる。 


 ――やばいやばいやばい!


 胸の中を激しく搔きむしるかのような衝動。

 鼓動が早鐘のように鳴り響き、頭の中は恐怖とパニックの音で真っ白に――


『――ボサッとするな! 次が来るぞ!!』


 その場慣れした声にハッと我に返り。

 俺は立ち上がると、馬の人形オッサンを抱えて、その場から一目散に逃げだした!


「うおおおおおおおおおおお!?」


 ――ドゴン! ――バゴン! ――ズドン!


 ――と。

 さながらB級映画の爆発から逃げるシーンのように、俺は森が吹き飛ばされて行く様を背後に、全速力で走り抜ける。


 ――おかしいだろ!

 なんで【スライム】があんなにデカくて強いんだよ!?


 スピードを緩めぬまま、俺は右肩にしがみつく人形――ダインのオッサンに向けて、大声で叫んだ。


「なんだよ――この威力はッ――! スライムって――最弱の魔物じゃッ――ないのかよッ――!?」


 するとオッサンも、下半身を宙になびかせながら必死に返答する。


はな――ッ! しかし――あれは異常成長を遂げた上位の魔物ッ――! その名に恥じぬ――巨体とパワーを持っておる――!!』

「って事は強い方のスライムかよ!? こっちの方のテンプレはお呼びじゃ――うわッ!?」 


 叫ぶと同時に、ひと際大きな爆音が。


 背中に尋常ではない衝撃を受けて――俺たちの身体は、茂みの向こうへと弾き飛ばされた。


「うぐぁ!?」


 地面に叩きつけられ、ボールのように転がっていく。


 【メガトンスライム】によってへし折られた木が直撃し、その勢いでカッ飛ばされてしまったのだ。


 スライムの居場所からは離れたものの、しばらく動けそうにない――。

 俺はたまらず、全身が破裂するような痛みに歯を食いしばってうずくまる。


「痛ッッでェッ――!!」

『逃げるのは……無理か……ならば致し方ない――。シロウ! 立ち上がってあのスライムと戦えるか!?』

「え!?」


 ――たたかう?


 俺が?

 あのでっかい砲弾みたいなスライムの化物と?


「無理無理無理だって!! こちとら同い年の人間にさえ勝つ自信がないんだよ!」


 あの時ビビっていた陽キャ共より、あのスライムの方が何倍も恐ろしい。

 それにあんな化物、どうやって倒せって言うんだ!

 どうせファンタジーのお約束で、強いスライムは切っても切っても再生するんだろ!?


「だいたいさっき俺に戦いが向いてないとか言ってなかったっけ!?」

『これは生き残る為の戦いじゃ! 無茶なのは分かっておる! しかしこちらと同等以上の速度で際限なく追って来る相手に、このまま逃げ切る宛てはあるか!? 運よく森の外まで抜けたとしても、そこに人がおったらどうする! 今度はそやつが狙われるのだぞ!』

「それは困る……けど――ッ!」

『それに武器ならある!』


 俺の肩の上でオッサンは、ごそごそと何かを取り出した。


「それは――さっきオッサンを助けた時に拾った……布袋?」

『そうじゃ! 人形になる前のワシはちょっとした職人でな。手先の器用さを活かし、魔法使いの妻と共に様々な武具や魔法道具を作ったものじゃ。これはその内の一つ――【アイテムボックス】!』


 箱じゃないけどな!

 ツッコム気力もなかったが、名前から察するに――ゲーム等でよくある、質量保存の法則を無視して色々持ち運べるようになる――そんな感じの袋だろうか。


『この袋の中には、ワシが鍛えた魔法の剣が入っておる。特に目立った能力はないが切れ味と頑丈さは保証する! それにオヌシだけに危険な真似はさせん! ワシも敵の前に躍り出て、出来る限り注意を引き付けよう!』

「……でも俺! 剣なんて触った事もないよ!!」

『酷な事は百も承知。それでも戦うしか生き残る術はない! 例え戦闘の経験や【能力スキル】がなくとも、人間としての身体があれば、剣を振るう事くらいは出来る筈じゃ! 人形のワシでは駄目なのだ!!』

「――ッ」


 ……わかってる。

 こうしている間にも、敵は刻一刻と迫ってきている。

 悩んでいる時間なんてない。


 オッサンの言う通り、逃げ切る可能性は低い事も。


 ――でも。


 ――だけど!!


『……やはり酷じゃったか』

「…………う……」


 情けないことに……怖くて身体が、動かない……ッ!

 どんなに歯を食いしばっても、震える指先に力が入らない……ッ!


『どうしたシロウ! とりあえず立て! このままでは逃げる事すらできんぞ!?』


 オッサンはそんな俺を、心配そうにのぞき込んでくる。

 それでも動けない自分が悔しくてたまらない――!


 ――今までの人生。15年。


 自ら危険に飛び込む事は何度かあった。


 小学生の頃――いじめられているクラスメイトを助けるため、立ち向かって返り討ちにされた。ボコボコに。


 中学生の頃――不良に襲われている女の子を逃がすため、時間稼ぎにしがみついて殴られた。ボキボキに。

 

 そしてつい最近は――崖から落ちそうなクラスメイトをかばうため、俺が身代わりに転がり落ちた。ボロボロに。


 思い返せば、情けない人生。

 人助けをしようにも、俺自身の力不足の為、いつもその危険が牙を剝いた。


 ……だから俺は怖いんだ。


 自分の無力さを痛感しているから、問題を解決する事なんてできやしない。

 情けないけど、別にそれでよかったんだ。

 何となく良い事をした気分になって、優越感に浸れていれば満足だった。


 おばあちゃんの仏壇の前で「ちょっとは立派になったでしょ」とドヤ顔していれば、情けない自分を誤魔化せた。


 けどそれは――死の危険が少ない、平和な日常だったから。


 ……考えてみて欲しい。


 森を吹き飛ばすほどの威力を持った。

 意思を持つ巨大な大砲のような相手に、素人がどうやって戦えと言うんだ。


 自分をいとも簡単に殺せそうな化物を相手に。

 その勇気を、どこから絞り出せばいいんだ――。


「……駄目だ――」


 俺は――。


 ――俺には、なんてない。


 だって俺は……。物語の英雄でもなければ、ゲームの主人公でもない。

 自分が勝てそうもない相手にひたすらビビる、情けない性格のクソガキだから……。


『シロウ……オヌシ……』


 悔し涙で視界が霞む。

 そうやって言い訳をする自分が、とてつもなく惨めだった。


「――」


 後方で、スライムが地面を這う音が聞こえてきた。

 ……すぐそこまで追ってきたらしい。


 しかし――俺にはもう、立ち上がって逃げる気力さえ残っていなかった。


「……ごめんなさい、ダインさん。俺には……」


 ――俺には、できない……。

 せめてダインさんだけでも逃げてくれ。


 そんな情けない言葉が喉を通る。


 ――その直前に。


 うずくまる俺たちの前方で、小さな足音が聞こえた。


「きゃあ!? な、なにこれ! スライム!?」


 ――少女の声だ。


 素朴な色のチェニックにエプロンをかけて。

 頭巾から垂らしたおさげが特徴の、まだ幼さの残る可愛いらしい女の子だった。


『こんな所に女の子じゃと!? やはり近くに村があったか!』

「――!? 危ない! 早く逃げろッ!!」


 言いかけた言葉をすぐさま飲み込み。

 肺の中の空気をすべて吐き出すつもりで呼びかける――が。


 少女は片手に下げた籠を力なく落とし。

 その場にへなへなと倒れ込んだ。

 胸元にぶら下げたお守りが頼りなく音を鳴らす。


 その幼い顔は恐怖で青く染まり切っていた。


 そりゃそうだ。

 今の俺みたいに、怖くなったら人間は動けなくなるんだから。


「――」


 ――なんでこんな所に女の子が?


 親はどうした?

 一人で森に来たのか?

 魔物がいるのに危ない場所じゃないのか?


 ……頭の中にいくつもの考えがよぎるが。

 ひとつだけ、確かなことがあった。

 

 すぐ後ろには攻撃態勢の【メガトンスライム】。

 少女は守るものは――何もない。


「――!」


 このままでは砲弾のようなスライムの攻撃を受けて、直線上にいる俺もろとも消し飛ばされてしまうだろう。


 ――ああ、俺がウジウジしているばっかりに。

 この子は巻き込まれて死んでしまうのか。


 俺は内心でうなだれる。


 ……もう立ち上がる気力は残っていない。


 恐怖で頭がいっぱいだった。

 背中の激痛だってまだ残ってる。

 情けない……。実に情けない。



 なのに――なぜだろう。



『――けどのぉ、士朗』



 ――俺は。



『情けないなぁ、決して悪い事じゃないんよ』

 


 俺の身体は――。



『いかん――! またスライムの攻撃が来るぞ!』


 ダインの呼びかけと同時に――。


「あ、ああああああ――!」


 ――俺の身体は――













 ――相手を助けるべく、真っ先に動いていた。













「――――え」


 ――砂煙が晴れる。


 腕の中に、小さな声で驚く少女のぬくもりを感じながら。


 俺は降り注ぐ木片とスライムの水滴を、背中でひたすら受け止めていた。


 ボタボタと――。

 食いしばった歯の隙間からは鮮血が零れ落ちる。


「――ごめん、オッサン」


 怯える少女を道の脇にそっと降ろすと。彼女の首にぶら下がった木製のお守りが、力強い音を鳴らす。


 そのまま俺は右斜め後方に飛び込んだスライムを――鋭く睨み。


『――士朗。あんたはきっと、人の痛みが分かる、優しい子になれるけぇ――』


 頭の中で反響するおばあちゃんの声に突き動かされながら。

 俺は口元の血をぬぐい、涙を拭いて。

 胸元にしがみつく人形へと静かに語りかけた。



「……勇気。燃えて来たよ」

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