第2話 ここは異世界ファンタジー
■□ コーラル地方 エンハクの森・深部 □■
「うぅ……」
少女は不安げに息を吐く。
小さな足がまるで軋む床板を歩くように、ゆっくりと落ち葉を踏み越える。
素朴な色のチェニックにエプロンをかけて。
頭巾から垂らしたおさげが特徴の、まだ幼さの残る可愛いらしい少女だ。
そんな彼女は愛くるしい貌を青くしながら、時折草むらから聞こえてくる物音に身を震わせて。その正体が無害な小動物であった事を確認する度、小さな胸をほっとなでおろした。
――エンハクの森は、幼い少女が一人で足を踏み入れるような場所ではない。
とりわけ、この時期は
その内の一つが、“魔物”と呼ばれる生命の異端者たちの活性化である。
少女――クリムもまた、その事を重々承知している。
育ての親である祖母から、いつも口を酸っぱくして言われていた事だ。
『いいかい、クリムや。森の中……特に“立ち入り禁止”と書かれた看板より向こうへ行ってはいけないよ。そこには恐ろしい魔物が住むと言われているからね』
そう言いながらすごんでみせる祖母を見るたび、クリムは内心で震えあがったものだ。
それでもクリムが村を抜け出し、一人でこの森へやって来たのには訳がある。
他でもない、彼女の祖母が理由であった。
クリムの祖母――パレットは数十年前、宮廷に仕える国一番の占い師だった。
隠居して生まれ故郷であるエンハクの村へ落ち着いた後も、たまに占い道具を引っ張り出してきては、雨期や災害をピタリと言い当て、村の皆から感謝されていた。
クリムも朧気ながら鼻が高かったのを覚えている。
ところがここ最近。
パレットおばあちゃんは占いをピタリと止めてしまった。
理由を聞いてもはぐらかされ、占い道具をしまい込んだ倉庫を睨みつけては、神妙な面持ちでため息をつくのみ。
さらには食事もろくに喉を通らぬようで、日に日にやつれていく最愛の祖母の姿に、クリムは居ても立っても居られなくなってしまった。
――だいじょうぶ。
ちょっとやくそうをつんでくるだけ。
“立ち入り禁止”のカンバンよりおくには、はいらない
そう自分に言い聞かせながら、クリムは籠を持つ手をきゅっ――と握りしめる。
「それに……」
次いで彼女はもう片方の手で、胸元に揺れる木製のお守りに指を触れた。
人間の姿を連想させる十字の中心に、後光や翼のような模様が象られた簡素なものだ。
「……いいおこないをしている人は、“ゆうしゃさま”がどこかで見まもってくださるって言うもんね。だからだいじょうぶ……」
そうして彼女はつぶやきながら、深い茂みをゆっくりと踏み越えていく。
――すぐ横で、古びた看板が倒れているのに気づかずに――
□■
「ゼェ……ゼェ…………ッ!?」
背後を振り返った俺は絶句した。
――なんてこったい。
夕陽に照らされた森の陰が、どこか不気味な暗がりを作り出す。
どうやら俺の走ってきた道はかなり入り組んでいたようで……。
気づけば元の場所は分からなくなっていた。
――遭難。
その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、全身がぶるりと震えあがる。
「……いや落ち着け俺! まずは状況を整理しないと」
鞄は……ない。
いつの間にやらどこかで落としたらしい。
スマホも同様だ。電源を切って鞄の中に入れていたのが裏目に出た。
後は……。
「――今着ているジャージ?」
持ち物以上!
つまり手元には何もなし!
「詰んだァァァァ!! 連絡手段無しとかどうすりゃ良いんだ!?」
俺の絶叫と共に、見たことの無い鳥がバサバサと飛び立っていく。
……いや待て。
仮にスマホがあったとして、果たしてここは電波の届く場所なんだろうか。
「……そうだ。そもそもここって――日本なのか?」
言いながらざっと辺りを見回す。
まず目についたのは、先程も見た青色の物体――スライム状の生き物だ。
こいつは俺には目もくれず、足元に生い茂る草むらにズリズリ這っては。よく分からない植物の葉へのしかかって、自身の体液でじわじわと溶かして吸収していた。
――食事、だろうか?
「…………」
それに先程から俺の身体も何か違和感があった。
まず呼吸。
息を吸った時に、何やら暖かいものが肺の中に流れ込んでくるような感覚がある。
自然の中は街よりも空気が澄んでいるとは言うが、これはそんな次元の話ではない……と思う。
なんだろう。
上手く言い表せないけど、吸い込む空気そのものが違うって言うか……。
例えるならパーティグッズのヘリウムガスを吸い込むような……酸素と一緒に別の気体を体内に取り込んでいるような、そんなイメージが頭に浮かんだ。
大丈夫なのか、これ?
「……でも不思議と嫌悪感はないんだよなぁ……」
あくまでも“違和感”。慣れない事をしているような感じがあるだけだ。
それに何だか、身体の調子もさっきより良くなっている気がする。
「…………うーん」
目の前の動くスライム。走っている間に見えた未知の動物や植物たち。
そして身体の違和感ときた。
ここが山の中だとしても、日本の――いや、地球ではありえない事だらけだ。
「…………もしかしてここって――」
俺の中で一つの仮説が浮かび上がった。
それはバカげた内容ながらも……この状況ではあり得てしまう推論だった。
そう、この状況はつまり――
「――夢だな!」
――ゴチン。
「痛ァッ!?」
そんな訳あるかと言わんばかりに、頭上から大きな木の実が落下してきた。
拳骨で殴られたかのような衝撃が頭頂部を駆け巡る。心なしか大きなたんこぶも出来た気がする。
いてて……こんなに痛みがリアルなら夢の訳ないかなぁ……。
「……だとしたら何だいったい? いつも読んでる異世界ファンタジー小説に似たようなシーンがあった気がするけどいったん置いといて。他に考えられるのは――うーん……」
じんじんする頭に涙目になりながらぶつぶつ歩き回る俺。
暗記テストで、頭の中に一瞬だけ浮かんだ答えがなかなか思い出せないような状況に似たジレンマを抱えながら、俺は考え込んだ。
そんな時だった。
『――』
「……ん?」
……空耳かな?
いま一瞬、何か聞こえたような。
とりあえず目を閉じて静かに耳を傾けてみる
『――! ――――――!?』
……やっぱり聞こえた。
人間の叫び声――みたいな感じだけど、早口なのか訛っているのか、何を言っているのか、なかなか聞き取れない。
もう一度耳を澄まして――。
『おーい! そこに誰かいるのかー!?』
「……ッ!」
――今度はハッキリと聞こえた!
俺は声のした方向へ勢いよく走り出した。
草むらをかき分け、木の蔓を払いのけながら、森の中を突き進む。
「――良かった。誰かいるみたいだ!」
息を荒くしながらも安堵する。
とにかく考えるのは後だ。
ここが何処でどんな状況であれ、近くに誰か居るならその人に全部聞けばいい。宿題は全部、答えを見ながらやる派なんだ俺は。
それでもし電波が届く場所なら、電話を借りて学校に連絡すれば解決だ。
そう思いながら声のした方まで駆け寄ってみると……。
「――え。……なにこれ?」
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