山で遭難したら異世界だった。反射的に人助けしたら勇者認定されました

藤塚マーク

第一章 白色(しろいろ)の勇気

第1話 優しい子

「――なんてこったい」


 俺はその場へ倒れ込んだ。

 落ち葉がガシャリと音を立てる。


 鼻の奥をツンと刺すのは土の香り。

 流れる汗が全身の傷口に染み込み、鋭い痛みに眉根を寄せる。


 ――空は茜色。


 荒い呼吸を落ち着かせながら。

 かすかな夕陽に目を細め、俺は静かに息を吐く。


「……」


 何処とも分からない――木々の生い茂る暗がりの中で。

 鉄と土の味がする唾液を飲み込みながら、思わず小さな言葉を口にした。



■□


「暑い……」


 俺、黒野士朗くろの しろうは朝からジャージ姿で山登りに来ていた。


 別に山登りと言っても、断崖絶壁をツルハシとロープで登る本格的なアレではない。

 学校の課外授業で行くような、歴史的な名所がある以外は普通の山である。


「溶ける……」


 ……と言っても、灼熱の真夏日で歩くにはキツイ道のりな訳で。

 俺を含めて何人かは早々にへばっていた。めっちゃあつい。


「あー……黒野くん、大丈夫?」


 そんな俺を見かねてか、隣を歩くかわいらしい女子生徒が声をかけてくる。

 彼女とは委員会が同じで多少は話す仲だ。

 栗毛を汗で湿らせながらも、まだ余裕のありそうな表情で羨ましい。

 けど無駄に心配をかけてしまうのもアレなので、男ならこういう時は多少強がっとけとおばあちゃんが言ってた。


「だ……だいじょぶ……」

「ぜんぜん大丈夫そうな声じゃないよね!? ホントに大丈夫な人は、こういう時に小粋なジョークぐらい挟めるものなんだよ?」

「し……身長が3センチ位溶けたけど大丈夫……」

「そっか、じゃあ大丈夫だね」

「うん。真顔でスルーしなきゃもっと大丈夫だったかな……」


 小粋なジョークをスルーされて軽く落ち込む。

 あれか、俺がチビだから多少縮んでも問題ないってか。ははは。


「はぁ……」

「毎度思うけど、黒野くんって情緒不安定だよね」


 そんな俺を見て、彼女は呆れた様子だった。


 ……俺たちは高校の課外授業の一環で、朝から山登りへ来ていた。


 内容はこうだ。

 出席番号順に6~7人の班に分かれ。三つの登山ルートから、それぞれ山頂を目指して歩く。


 なんでもこの山には樹齢何百年ものありがたい御神木があり。

 歴史ある自然に触れよう――と言うのが授業の目的だった。


 熱い中、大半の生徒が面倒くさそうにしている横で。

 俺は目をキラキラさせながら、授業のプリントを眺めていた。


 自然に溢れた景色を想像するだけでワクワクしてくる。


 ファンタジーRPGや異世界モノの作品が好きな俺にとって。

 普通の授業より、こういった知らない場所を冒険できるような……現実とは違う非日常を体感できるイベントの方が、何倍も楽しいのだ。


 ……しかし。


「ウェーイ!」

「ギャハハハハハ!」

「ウッキーーー!」


 ――暑い上にうるせぇ!!


 俺は前を歩く三人組をげんなりしながら見つめていた。


 残念ながらうちの班には問題があった。

 学年の中でも、度を越えた悪ふざけをする事で有名なグループの人員が、約半数を占めていたのだ。

 苦手なタイプが多いため、正直居心地が悪い。


 せっかくの楽しい課外授業が台無しになり、俺は暑さにやられてげんなりしていた。


「…………俺だけ我慢すれば問題なし――って感じでもなさそうだしなぁ……」


 見るからに他の班員もうんざりしているようだ。


 幸い、班長を買って出た真面目な女子生徒が彼らを諫めていたものの。完全に制止する事はできず。


 やがてとうとう――教師の配置されていない中腹付近で、事件は起こった。


「ちょっと、そんな所で押し合っていたら危ないよ!」


 班長の金切り声を気にもとめず。

 三人の男子生徒たちは狭い山道の上で、ウェーイと笑いながら、互いを突き飛ばし合っている。


「――いて!」


 狭い道のため、すぐ後ろを歩いていた俺にもぶつかって来るが、謝罪の声はない。

 流石にムッとした俺は。


「よくもやりやがったなオラァァァァァァン!!」


 ……ではなく。


「……けがしたらアブナイヨー……」


 ――と、小さな声で反論するが、「陰キャのチビ野郎が何か言ってらギャハハ」と流されて、俺は額に青筋を浮かべた。


 誰がチビじゃオラー!

 お前らいい加減にしろよ皆の迷惑なんだよゴラァ!


 ……そう叫びながら殴りかかってやりたい。


 が、あいにく運動部の彼らと喧嘩して勝てる気がしなかったので、そこはぐっと飲み込んだ。あと殴るのって痛そうだし。我ながら情けねぇ。


「……こういう時、おばあちゃんは“男ならガツンとおやりなさい”って言うんだろうけど――」


 頭の中で最愛の祖母の言葉を振り返る。


『士朗は情けないのぉ……男なら打撃でも投げ技でも間接技でも殺人拳法でもええけぇ、ガツンとやりんさいなほっほっほ』


 優しそうな見た目の割にプロレス大好きだったバイオレンスおばあちゃん。

 でもね、おばあちゃん。それができる奴なら今頃リングか世紀末の中だよ。


『そうは言うけどのぉ、士朗。この世は暴力が支配する世界。弱者に発言権なんてねぇんさヒャッハー!!』


 ――心の中で、筋骨隆々のおばあちゃんが、火炎放射器を片手にそう言った。

 だいたいこんな面白おばあちゃんだった。うん。


 ……まあでも、何もしないのは癪なので。


 三人組がこっちを向いていない隙に、顎を突き出した変顔で下唇を引っ張りながら、そこから舌をベロベロ出して挑発しておいた。

 それを見て、隣を歩いていた女子生徒は吹き出した。


 もし願いが叶うなら、あの連中は毎朝タンスの角に小指をぶつけて悶絶して欲しい。

 そう思いながら歩くのだった。


「――それにしても」


 俺は歩いている道の脇をチラリと見やると、誰に言うでもなく呟く。


「……けっこう歩いたなぁ」


 それなりに高い場所まで登って来たので、ふもとはすっかり遠くに感じる。

 山の斜面にはトゲトゲの草木や竹藪たけやぶが幾重も生い茂っており、地上の景色をすっぽりと覆い隠していた。


 もしもここから転がり落ちようものなら大変だ。想像しただけで身震いする。


「わぁ……こんなに高いとちょっと怖いね、黒野くん」


 同じ事を思っていたのか。


 隣を歩く、栗毛のかわいらしい女子生徒が声をかけて来る。

 今日は彼女とよく話してる気がする。


「落ちないように気を付けないとなぁ」

「そうだねぇ。……ちなみに黒野くんは、もし私が落ちそうになったら助けてくれるかな?」


 俺に向かって冗談めかして笑いかける彼女に、俺も笑いながら答えた。


「葬式でお花添えてくれるなら」

「死ぬ前提なの!? 冗談なのに重いよ!」


 だってここ結構高いし……。


「流石に死にはしないよぉ。黒野くんって、けっこう怖がりだよね。オリエンテーション合宿の肝試しでも、怖くて何も見たくないからってゴキブリみたいに四つん這いで地面をカサカサ歩いてたっけ。あの時は失礼だけど笑っちゃったなぁ……」

「…………ははは」

「……あれ? 黒野くん? いまのは怒って良いのよ……?」


 そう言えばそんな事もあったっけ……。

 知らない場所を歩くのは好きだけど、怖いのは苦手なんだ。

 恥ずかしいので出来れば忘れて欲しい。


「……まあ情けないのは事実だし仕方ないか。本当に崖から落ちそうな人がいても、助けられる勇気なんてないしなぁ、俺」

「それが普通だし、悲観する事ないない。なんか変なこと言っちゃってごめんね」


 落ち込む俺へ「気にしないで」と笑いかけてくる同じクラスの少女。

 その屈託のない笑顔が眩しい。


 こういう時、物語の主人公とかなら格好よく「俺が絶対助けてやるぜ」と言って女の子をときめかせるんだろうが……俺そんな自信ないしなぁ。


 まあ、実際の所。ここは手すりがあるので崖から落ちる心配は無――。


「あ、壊れちった」

「ギャハハ脆すぎ!」


 悲報。手すり、壊れる。


「えぇ……」

「やんちゃだねぇ……」


 俺たちは呆れながら互いに顔を見合わせた。


 さっきから木材を叩くような音がすると思えば――あいつら何やってんだよ……。

 悪ふざけもここまで行くと大概だろ。


 しかも一連の流れをスマホで撮影して盛り上がっているようだ。

 まさかネットに投稿したりしないよな……。


「あわわわわ……班員の暴挙、班長責任、私の内申……」


 何やらぶつぶつ悩み始める班長をよそに、エスカレートしつつある悪の陽キャ軍団のじゃれ合いは止まらない。


「食らえ魔人剣!」

「なんの! こっちはいかずち斬りだぜ!」


 あろう事か、壊れた手すりでチャンバラを始めたのだ。

 お前ら小学生かよ。でもちょっと楽しそう。


「……ねぇ、ちょっと本当に危ないような……」


 隣の女子生徒がポツリと漏らす。

 木材の乾いた音がぶつかり合い、細かい破片がパラパラと崩れ落ちる。


「……あー。古い木材だし、棘が手のひらに刺さると危険――」

「いやいや! それよりあんな足場でチャンバラなんてしたら……」


 言われて俺も、今の状況に気が付いた。


 狭い山道で。

 そんな激しい動きをしようものなら、答えは一つ――。


「あ、やべ――」


 こちらが制止するより早く。


 遊んでいる男子生徒が一人。勢いあまってバランスを崩した。


 靴底の滑る音。周囲の悲鳴。

 両腕を振り乱し、背面から倒れ込むようにして崖際へと投げ出される様が、スローモーショーンとなって俺の脳裏に焼きつく。


 すぐ後ろは竹藪の生い茂った、底の見えない斜面。

 彼を守ってくれるはずの手すりも――そこには無い。


「――!」


 このままでは崖から転げ落ちてしまうだろう。


 確かにここから落ちた所で死にはしないかもしれない。

 けれど、軽傷では済まないのもまた事実。


 その事を察知したであろう彼は、瞬時に表情が青ざめる。

 因果応報とはまさにこの事。


 ――ざまぁ見やがれ!

 バチが当たったんだよバーカバーカ!


 俺は内心で嘲笑う。


 あいつは嫌いな奴だった。

 俺の机の上に勝手に座るどころか、立ち上がっては汚い上靴の跡をつけるし。

 ぶつかってきても謝らない。

 人から文房具を借りても、礼すら言わずにボロボロにして放り投げて来るなど。


 とにかく嫌な点を挙げればキリはない。

 ざまぁないぜゲヒャヒャヒャヒャ!


「…………」

「黒野くん――?」


 ……なのに、何故だろう。


 身体が、勝手に動いてる。


 隣の女子生徒の声が勢いよく遠ざかる。

 どうやら俺は、的外れな行動を始めたらしい。


 ……小さい頃、おばあちゃんによく言われた言葉。


『士朗は情けないのぉ……』


 ――その通りだ。

 俺は情けない上に陰湿で、嫌いな奴の不幸を喜ぶどうしようもない人間だ。

 なのに――


『……けどのぉ、士朗。情けないなぁ、決して悪い事じゃないんよ。あんたはきっと、人の痛みが分かる、優しい子になれるけぇ――』


「…………ッ」


 ――俺の身体は。


 ――相手を助けるべく、真っ先に動いていた。


「危ない!!」


 触れるのも嫌なはずの相手へ手を伸ばすと、その手首をがっしりと掴み。

 俺は足先に力を込めて、入れ替わるように相手を引っ張り上げた。


 同時に、俺の足元がパラパラと崩れ落ちる。


 ――あ。やべ。

 冷静になってみると俺、なんで嫌いな奴を助けてるんだろ。


 ……浮遊感に包まれながら、ゆったりとした思考を走らせる。


 どうせなら女の子が落ちそうになって、それを助ける場面だろフツー。

 嫌いな男の為に身体を張るなんてどうかしてる。


 なのに……なんで俺はホッとしてるんだろう。


「……まあ、いっか」


 不思議と心は穏やかだった。


 俺が身代わりに落ちる事で、こいつが周りから非難されたり、なけなしの良心が少しでも痛んでくれたらそれなりに溜飲も下がる。


 それにあんな奴でも彼女がいるし。

 どんな相手であれ、女の子が悲しむのはよくないわな。

 よし、助けた理由はこんな感じでいいか。ついでに女の子にモテたら最高だ。


 ……いやよくねぇわクッソ腹立ってきた。なんで全部において俺より人生上手くいってるんだよアイツ。

 やっぱり助けるんじゃなかったあのヤロー!

 バーカ! アーホ! 髪の毛染めまくった影響で将来ハーゲろー!!



 ……まあ、でも――。


「……怪我しなくて良かった――」


 ポツリと漏らした声と共に。

 驚愕に染まるクラスメイト達の貌を逆さまにして。

 身代わりとなった俺は、静かな笑みを浮かべながら藪の中へと突っ込んでいっぶべら。


■□


「――いてて……」


 ぼんやりとした視界に、赤焼けの光が差し込んで来る。

 どうやら俺は気を失っていたらしい。

 もう夕方だろうか。


 身体は――動く。痛みはあるが、それほど重症ではないようだ。


「あーあ……ジャージがボロボロだ……」


 言いかけて喉の違和感に気が付いた。

 ちょっと息苦しい。崖から落ちた時にどこかへぶつけてしまったのだろうか。

 そう思い、慌てて胸元に手をやるが、そこにはむにゅっとした柔らかい感触が――


「――!?」


 スライムだった。

 どうやら女の子のおっぱいではないらしい。そりゃそうだ。

 そんなファンタジーみたいな現象、現実に起きてたまるもんか。


「はぁ……スライムか。焦ったぁ……」


 俺はゼリーのようにぶるぶるした青い物体を投げ捨てると、その場からむくりと起き上がり……。


「……ん? スライム?」


 そして中腰の姿勢で固まった。

 ギギギ……と顔を向けると、青色の物体はぶよぶよ震えながら、まるで意思を持っているかのように動いていた。

 未知の生物との遭遇に、俺は思わず情けない声で飛び上がる。


「うわあ!?」


 ベタベタする手を振り乱し、身体に纏わりついた葉っぱがひらひらと地面へ降下。

 周囲の枯れ葉とは別に、緑の綺麗な色がアートのように彩りを生み出した。


 ――何処だここ!?


 俺はたまらず走り出す。

 

「なんだこれ! なんだこれ! なんだこれッ!?」


 角の生えた兎。カラフルに発光する巨大キノコ。羽根の生えた小さなトカゲ。

 広がる視界の先には、およそ現代では見ることの無いような、未知の動物や植物たちが独自の生態系を築いていた。


 ……まるでここが“異世界”であるかのように。


 そうして息の切れるまで走った後――。

 俺は呼吸を乱しながら、思わず背後を振り返った。

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