ch.4 美海龍ヌーナの物語
「龍がやったのは間違いないんじゃな」
「証立てるわ」
ヌーナは真剣な顔で言った。
「だから、あたしの領分なの」
「勝算は」
「ある、と思う。まずはこちらのドクターに話を聞いてからよ」
「こちらはどうしたらいい」
「そのカヌーを動かせるようにしておいて。今日の昼過ぎには出なきゃ」
重々しく頷いたハクツイラが、口元に手を当て、矢継ぎ早に指示を飛ばす。
弟子たちが目に見えて早く手を動かし始めた。
「さて、ドクター。話を聞かせて」
「どんな」
「ここまでに難癖付けてきた龍はいた?」
アムの頭の中に浮かんだのは、真珠色の魚龍である。
空港島からハナハイ島までの間に出会った龍はただ一匹だったし、魚龍の取り巻きの鮫をふたりで仕留めた。
「心当たりはあるわ」
アムがそう言うと、ヌーナは作業場の静かな一角に誘った。
定規とおぼしきものと龍の軟骨らしきものが台の上に乗っているが、もうここでの作業は終わっているのだろう。
「それ、鉤の固定に使うの」
と、ヌーナが教えてくれる。
船尾に曳航用の鉤がついているが、軟骨はその基部になるのだろうか。
「ドクター、しっかりして」
台に目を這わせてたのが丸わかりだったのだと思う。
ヌーナがアムの頬をつまんで引っ張った。
「痛い!」
と、アムが手を振り払うと
「その調子よ。怒りなさいドクター。真っすぐ見て。セムタムと龍は対等なのよ」
殊の外落ち着いた口調で、ヌーナは言う。
「あなたが助けたいと思うなら、まだ間に合うかもしれないの」
アムは深呼吸してから、これまでのことを話した。
ヌーナは聞き上手で、アムがセムタム語の単語が出てこなかったときは的確にフォローを入れてくれる。
お陰でアムが見た魚龍の性質や、就寝前にトゥトゥがとった態度まで余すことなく語ることが出来た。
「わかったわ。残念ながらその魚龍の名前はあたしも知らないから、仮に<四ツ目真珠>としましょう。四ツ目真珠はかなり若い龍よ」
「どうしてわかるの」
「礼儀を知らないから。トゥトゥと同じ」
「龍に礼儀作法がある……?」
「当り前じゃない」
ヌーナは両手をいっぱいに広げた。
それから、バレリーナのようにくるっと一回転。
「神話は勉強したでしょ。あれは本当のことだもの。セムタムと龍たちは同じ父母から生まれた兄弟なのよ。セムタムに作法があるなら、龍にだってあるわ」
「四ツ目真珠はルール違反をしているのね。そこが隙になる」
まあ、とヌーナは感嘆の声を上げた。
「まあドクター、いい感じよ」
「
ヌーナの肉厚な唇から、真っ白な歯がちらりと見えた。
後から分かったことだけれど、これはヌーナの癖で、話が面白くなると唇が上がってきちゃうのだという。
「セムタムと龍が喧嘩しようってときは、まず挑みの儀をする必要がある」
挑みの儀は、例えばカヌーを新造しようとするときに執り行う儀式である。
カヌーの部材の多くは龍体から成るが、都合よく龍の死体が転がっているわけはない。
時に何千年も生きる龍の自然死を待っていてはセムタムのカヌーが先に絶滅するだろう。
そこで、挑みの儀だ。
これこれこういう理由で、どこそこの龍の命を奪わんと挑む、つきましては三柱の神に承諾をいただきたい、ということを祭司の付き添いの下で宣言する。
セムタム族に挑まれた龍は、真っ向勝負しなくてはならない。
結果として命を落とした場合、その龍の仲間がセムタムに報復することは許されない。
龍が勝った場合も、セムタムが報復を企てることは許されない。
セムタムと龍は同一の言語を解するから、こういう取り決めを持つことが出来る。
さて、龍の方から喧嘩を売った場合はどうなるのか。
これは古今東西を紐解いても、ほとんど例が無いのではと思われた。
ヌーナもその辺あいまいなんだけど、と言う。
「ただし四ツ目真珠の態度は礼儀知らずよ。カヌーを壊したり、セムタムを傷つけたり、大物の龍はそんなことしないもの」
ヌーナが深々と溜息を吐いて、アムを上から下まで眺めた。
「それで本題なんだけど、あなたが四ツ目真珠に対して挑みの儀を行えばいいんじゃないかなって」
わ、と言ってアムは口をぱくぱくする。
言葉にならなかったのである。
「わ、わた、私が」
「あなた以外に誰が助けに行くのよ」
「ええと、それはそうだけど」
「先に言っとくと、あたしカヌーに乗れないから」
禁忌なのよ、とヌーナは言ってウィンクした。
重い単語に対して態度が軽い。
それはそうかもしれないけど、とアムは頭の中で繰り返した。
「武器も何にもないわよ。<黄金の王>の剣はトゥトゥが持ってるし」
ヌーナがカヌーを指差す。
「カヌーがあればなんとかなるわ。だってセムタムでしょう」
口をあんぐりと開けたアムの頬をつつき、ヌーナはのけ反って豪快に笑った。
「……ならないと思うな……」
というアムのつぶやきは聞き流される。
「さあ、ここからが勝負よ、ドクター。龍はね、セムタムをさらった場合は三日間は生かしておかなきゃいけないことになってるの。圧倒的に強いものはハンデを背負う決まりなのよ。四ツ目真珠はそこんところ礼儀知らずだから不安だけど、あいつはしぶといから、何とかかんとか生きてるわよ」
どうしたらいいの、とアムは尋ねた。
暗中模索である。
何故ならば、
「挑みの儀をするにしても、龍の名前がわからないでしょ」
ヌーナは、ぱん、と鋭く手を叩いた。
これはセムタムのジェスチャーで示すところの、<ご名答!>という感じ。
「やっとそこまで話が来たわ。あたしの出番よ」
軽やかに浅瀬に向かって走り出したヌーナの腰から、すとんとスカートが落ちた。
次から次へと身にまとっていた衣服が振り落とされていく。
作業中の船大工たちは彼女の肢体に目が釘付けだ。
アムも(いろいろな意味で)釘付けであるから、彼らを責めることは出来ない。
今や一糸まとわぬ姿になったヌーナは、口に手を当てて叫んだ。
「ドクター! 私はね、龍と寝る女なのよお」
ヌーナはカヌーの横から海に飛び込みすいすいと泳いでいく。
幾人かの船大工が鼻血を噴いたか失神したかで、同僚に担がれて運ばれて行った。
アムもしばし呆気に取られてから、はっと我に返りハクツイラの元へと歩み寄る。
ハクツイラはグローブのような大きな手で(この原始的なヤキュウというスポーツは、北米型グループと日本語話者グループの中では未だ存続している。アムは前者だ)、自身の両目を固く覆っていた。
「ハクツイラさん?」
「あれは行ったかね?」
「ヌーナさんなら泳いでいきましたよ」
と言ってから、アムはヌーナが飛び込んだ後、海面に一度も顔を出していないことに気が付いた。
カヌーの影で見えなかったのかもしれないが。
ハクツイラはようやく手を緩め、ごしごしと顔をこすってから
「ああ」
と、冬眠明けの熊のような声を出した。
顔から塩が薄皮のようにぽろっと落ちたので、アムは目を丸くする。
棟梁ハクツイラはそれだけずっと、この作業場で寝食も忘れてカヌーと向き合っているということなのだろう。
「見ないようになさってたんですね」
「あれは目に毒だな」
「彼女は美しいですから。棟梁でも心を動かされると」
「セムタムには刺激が強すぎる」
アムは首を傾げた。
「セムタムには?」
「あれは龍だよ。セムタムの姿に化けているだけだ」
棟梁ハクツイラは、まあここに座んなさい、と言って、作業台のひとつと思われる丸太を示す。
アムは言われるままに腰を下ろしたが、恰幅の良いハクツイラが横に座るとはみ出しそうであった。
恐らくハクツイラは、カヌーのサイズは手に取るようにわかるが自分のサイズは自覚していない、というタイプに違いない。
半ば腰を浮かせるようにして、アムは丸太の端に落ち着く。
「ヌーナという龍は、創世の龍よりは若いが」
ここで言葉を切ってハクツイラは頭のてっぺん、左胸の心臓の辺り、足先を順に触った。
創世の三柱への敬意を込めたジェスチャーである。
「そこら辺の龍よりはずっと古株で、この島の主なのだな」
ハクツイラが語ってくれたことによれば、ヌーナの正体は黒い海龍だという。
本当の名前は誰も知らない。
彼女は龍の世界で浮名を流す絶世の美海龍であって、遥か昔は沢山の雄龍を引っかけては、彼らの龍生を気まぐれに豊かにしたり破滅させたりした。
あるときに至っては<海龍の長>アラコファルとの間に卵が生まれたこともあったらしい(この浮気の話は、アムが成人の儀に挑む時に叩きこまれた神話群のなかにあったので覚えていた。当然ながらアラコファルの正妻である女神は怒り狂った。妻の怒りを解くためにアラコファルは自分の腹を切って血を流し、謝罪したという)。
美海龍ヌーナがスターダムから転落したのは<島々の主>アラチョファルにコナをかけたからである。
アラチョファルは彼女の誘いに乗らず、その断り方に業を煮やした彼女の取り巻きの海龍がアラチョファルの住まいを齧って穴だらけにした。
海龍は調子よく地中のアラチョファルを追い回し、とうとうかの龍を穴倉から叩き出して図に乗っていたが、さあ海に突き落としてやるぞと体を伸ばそうとしてようやく、自分が罠にはまったことに気づいたのである。
アラチョファルが呪いをかけたせいで、海龍の掘った穴はちぐはぐにつながってしまい、その長い胴はぴくりとも動かなくなっていたのだった。
むなしくその尾びれを島の上に突き出してばたつかせながら、海龍はみるみる岩になっていき、そして、
「ハナハイ島が出来た。ヌーナはショックだったんだろうかな、ハナハイ島に引きこもって大人しく暮らすようになり、我々船大工は海龍の這いずった跡にこうして工房を開いておるというわけさ」
見てきたかのようにハクツイラは神話を語った。
いや事実、見てきたという状態に近いのかもしれない。
アルマナイマ星では神話と現実の溝を埋める必要はない。
なぜならそこに龍という生き証人がいるからだ。
アムとハクツイラは、それからしばらく四ツ目真珠について話し合った。
ハクツイラもここ最近、沖合に白い魚龍がいるという噂は聞いていたらしい。
海上で会った龍の詳細と、ハクツイラが代わる代わる弟子たちを呼んで聞きこんだ白い魚龍の噂を統合すると、断片的に四ツ目真珠の性質が見えてきた。
「隣人が龍というのは、恐ろしくは無いですか」
「いいや」
とハクツイラは首を横に振り、丸太が不穏な音を立てた。
「ヌーナはちゃんと心を持った龍だ。さもなくばあれを拾うこともなかったろうから」
「あれ、とは?」
「うん? ドクターに教えとらんかったのかね。トゥトゥは、ヌーナに拾われた子だよ。ずっと昔、赤子が乗ったカヌーがこの洞に流れ着いたことがあってね。どうしようかと船大工どもと悩んでおったらヌーナが来て、あたしが育てる、と言ったのさ。それでまあ、あれの考えはセムタムからちょっとズレておるんだわな」
それで、とアムは手を打った。
「トゥトゥの姉みたいなもの、と言ったのね」
「姉ちゅうよりは、まあ、歳からすると何百代か前の祖母だあなあ」
ハクツイラが言ったのに思わずアムは噴き出してしまい、ちょうど海から顔を出したヌーナに目を細めて睨まれた。
「ハクツイラ、今度それを言ったら齧るわよ。頭蓋骨からぽりぽりいただくことにするわ」
龍の姿のヌーナは海蛇のような頭をもたげて、鋭い牙の生えた口をくわっと開いた。
ハクツイラは慌てて丸太から下りて額づき、アムはその弾みで丸太と一緒にころんと地面に転がる。
その滑稽な姿にヌーナは幾分は機嫌を取り戻したようだった。
「さて、ドクター・アム。四ツ目真珠の名前は聞き出したし、周辺の海龍たちの了解も取り終えた。あとはあなたの覚悟があれば、まだ勝目はある。どうする?」
「やる。やります。それしかないわ」
ヌーナは頭から人の姿に変じて、アムの前に立った。
輝くような褐色の裸体である。
服をまとめてもってきてあげればよかった、とアムは思った。
ハクツイラはまた両手を目に当てているけれど、さっきよりちょっと押さえ方が緩いような気がする。
まあいいか。
「強い女の子は好きよ」
と、ヌーナが柔らかな両手でアムの頬を包んで微笑んだ。
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