ch.2 ハナハイ島へ

 ◆


 三時間ほど波に揺られていくと、大きな島影が見えた。

「東の浜につけてくれ」

 とトゥトゥはアムに注文を出す。

「頑張るわ」

 アムはそう言うと舵を握った。

 カヌーがよたよたと針路を変える。

 どうやら帆に上手く風が入ってこないようだった。

 索具を外して、別の角度に付け替えなければならない。

 このカヌーの帆は可変式である。

 二等辺三角形になった帆の一辺を帆柱に固定し、残りの頂点ひとつは自由に動かせた。

 風に応じて調整するのだ。

 アムが結びなおすと、ようやく帆は本来の張りを取り戻す。

 トゥトゥが、よくできました、というようにひゅうと口笛を吹いた。


 島を回り込んでいくと、またアムは感嘆の声を上げることになった。

 東の浜は祝祭の日のよう。

 浅瀬で水遊びをするセムタムたちがいる。

 浜からは木製の桟橋が突き出しており、その上にもセムタムの釣り人が陣取っている。

 目先を変えれば、浜辺の道には色とりどりの屋台が並んでいる……。

 セムタム族の、これほどまでに大規模なコミュニティを見たのは初めてだった。

 基本的に彼らは海上で一生のほぼすべてを過ごす。

 島に年単位の定住をするのは子供が小さい時、つまり海の上で生活するのが危険な時のみだ。

 ほとんどのセムタムは寝るときもカヌーの上で波に揺られているし、食事だって海の上。

 唯一の例外が、職人集団であった。

 例えばこの島は棟梁ハクツイラの取り仕切る舟大工達が集団生活をする場である。

 この島の賑やかさは、棟梁ハクツイラがセムタム族の中でも尊敬される存在であることを示していた。

 釣り人たちがアムとトゥトゥに手を振る。

 それから、帆柱に括りつけられた鮫を見て、軒並み目を丸くした。

 トゥトゥが叫ぶ。

「ドクがやったんだよ、ドクが。浜に回すからみんな連れてきてくれよ」

 わっと沸いた釣り人たちが、こぞって走っていく。

「尾びれつけないの、トゥトゥ」

 トゥトゥは、いつものように片方の眉をちょいと吊り上げて、おどけた顔をした。

 赤い髪が彼を縁取るように風になびいている。

 そのたくましい胸をこつんと拳で叩く。

 セムタム式の親愛の情を表すジェスチャー。

 アムはトゥトゥの指示通りに桟橋の先端を大きく回って、浜へと舵を切る。

 桟橋の端には、セムタム族のトーテムポールと言うべきラシ柱が立っていた。

 一本の丸太を彫って作られたラシ柱は、その島に定住者が居るか否かをあらかじめ示し、無駄な争いを回避しようとするものである。

 本来ならば浜に打ち込むのだが、この島の場合は桟橋が玄関であるので、そこに立っていた。

 この島のラシ柱の先端には、龍の頭部が掘り出されている。

 <島々の主>と呼ばれるアラチョファルのつるんとした丸い頭。

 定住型の職能集団にとっては、知恵と大地を司るアラチョファルは重要な信仰対象だ。

 カヌーを浜に固定する。

 その間に島のセムタムたちが浜にどんどんと下りてきた。

 彼らは商人である。

 定住者がいる島には、それを目当てに商人がやって来る。

 植物性の食料や繊維は島でしか取れないし、島に住む住人は大型の肉を得る機会がない。

 この仲立ちをするのが商人なのである。

 セムタム族の売買は、物々交換で成り立つ。

 正確に言えば、物と労働力の等価交換が原則である。

 アムとトゥトゥは、仕留めた鮫について、上半身はトゥトゥのもの(頭に銛を打ち込んだから)、下半身はアムのもの(腹を剣で断ち割ったから)という取り分を決めていた。

 トゥトゥの取り分は速やかに売り切れたので、あとは残りのアムの分をどう売りさばくか。

 ここが気合の入れどころ、とアムは袖もないのに腕まくりをした。

「何してんだドク」

「ええとその、気合の証よ。他所の星でのやり方よ」

 トゥトゥが大きな体を折り曲げて顔を覗き込んでくる。

「そうかい」

 恥ずかしくなったアムはそっぽを向き、言う。

「私は公平な取引をすると証立てます」

 だが、その意気込みは空振りに終わってしまった。

 <黄金の王>の触れたものはよくない、というのである。

 アムがどのように鮫を仕留めたのか説明すると、セムタムたちの心が冷えていくのがありありとわかった。

「良くないってどういうこと」

「その……」

 いつでも逃げ出せるように、重心を後ろにずらしながらも料理人は続けた。

 たぶん、きっと、セムタム族のなかでは勇気のいることなのだろう。

 トゥトゥみたいに軽々しい口を叩く方が常識外れなのだ。

「<黄金の王>の心が、セムタムまで怒りっぽくて傲慢にするから」

 その時、雲もないのに、どこかで遠雷が鳴った。

 低いうなり声のように。

 浜辺に集っていたセムタムたちは泡を食って逃げ出し、アムとトゥトゥだけが残された。

「あーあ」

 と、トゥトゥ。

「我らが王様の人気のないことったら。しょうがねえから残りは干すか」

「ねえトゥトゥ。今のはきっとくしゃみよ」

「あん?」

「古い地球時代の言葉にあるの。くしゃみが出るのは噂された時だって」

 アムが言うと、太い稲光が天の端から端まで照らして行った。

「すげえくしゃみなんだなあ。流石に王様だ」

 そんなことを言ったからか、その日、ハナハイ島を塗りこめたスコールは、嵐のように激しかった。


 スコールのせいもあり、鮫の処理を終えるともう日が傾いていて、新造カヌーを見に行くのは明日になった。

 トゥトゥは本当はとてつもなく残念だと思っているに違いないが、アムの前では絶対にそんな気配を見せない。

 むしろ海岸市場を端から端まで案内しようという。

 アムはありがたく、無駄口を挟まず、その提案に乗ることにした。

 売れ残ったアムの取り分のうち、可食部は日干しにして航海時の保存食にする。

 それ以外の部分は市場での取引に使う。

 内臓や背骨は、乾燥して砕けば薬になる。

 立派なあばら骨は、釣り針や矢じりに加工できる。

 尾びれは装飾品として人気があるから専門家に回せばいい。

 鮮やかな緑色の皮は高級品で、時間をかけて綺麗にはがしたから高く売れそうだ。

 料理人に嫌われた<黄金の王>が触れたからうんぬんの理由は、きちんと龍拝みの祈祷をしてもらえば解消するだろう。

 ただその労力がかかるぶん通常の取引価値よりは下がるが、まあ仕方ない。

 他の島で黙って売るよりは一億倍ましだ。

 セムタム族にとって人を騙すことほど嫌われる所業は無い。

 カヌーに積んであった背負い籠を取り出して、中に清潔なホピの葉を敷き、売り物に傷がつかないように慎重に重ねた。

 ぐらついたり、はみだしたりしないのを確認して、気合を入れて背負う。

 こういうときトゥトゥは手を出さない。

 アムにとっては嬉しいことだ。

 成人の儀に合格したセムタムのことをアカトと言う。

 儀式の内容は男性も女性も変わりなく、その辺りからもわかるように、男だから女だからという区別をセムタムはあまり付けない。

 もちろん体力的に女性に不利な部分があるのは確かなのであるが、だからこそ真っ向から成人の儀を突破した者を敬おうという意識がある。

 アムは他星から来た余所者として史上はじめて、成人の儀に合格した。

 だからトゥトゥは軽々しく、持とうか、などとは言わないのだ。

 そのぶん、助けて欲しい時にはごく自然に、助けて欲しいとセムタムは言う。

 セムタム族のそういう考え方が、アムは大好きである。

 さて、ふたりはまず航海の必需品を整えていった。

 トゥトゥは新造カヌーに備えるためのあれこれ―――好みの食器や釣り道具などを品定めする。

 これらは簡単に自作することできるが、質を求めるならば専門の職人から買った方が良い。

 アムは、鮫との格闘の最中に落ちてしまった真水用の壺を買い加え、これから訪れる乾季の朝晩の冷えへの備えとして寝具布を買い替える。

 特に寝具布は気に入ったデザインが見つかったので、三枚買っておいた。

 青い布に夜空の星が縫い込まれている。

 差し渡しは二メートル四方というところ。

 商人たちもカヌーに乗って気ままに移動する。

 次にハナハイ島に来たとしても、また同じ布屋に会えるとは限らない。

 何よりも久方ぶりのショッピングに血が騒いだのだった。

 お代は鮫の皮。

 初めて聞いたので必死にメモを取ったが、この種類の鮫は、皮の煮汁が布の染料になるのだという。

「まーた、そんなに買い込んで。カヌーが沈んじまわあ」

 と、両手に布を抱えたアムを見て、トゥトゥが笑う。

「あなたの体重よりは確実に軽いでしょ。沈まないわよ」

 トゥトゥの方はというと、背負い籠いっぱいの壺、竿、両手に抱えた布、エトセトラ。

「あなただって、ひとのこと言えない量じゃない」

 へへへ、と笑ったトゥトゥの荷物のどこかから、鈴の音が聞こえた。

「鈴なんて買ったの?」

「いや。勝手に入ってた」

「いつから」

「海の上」

「龍に会ってからってこと? 大丈夫なの、それ」

「さあなあ」

 と肩をすくめたトゥトゥは、アムを安心させるように言った。

「この島にゃあそういうのに詳しいのがいるから、明日にでも聞くさ」

 それから夕食に案内してくれた店は広く、軒先で食べられるように草で編んだ円座が敷かれていた。

 名乗るまでもなく、ふたりの顔を見た料理人が湯気の立つうつわをサーブしてくれる。

 ひとつのうつわには、主食である蒸しイモ。

 もうひとつの蓋つきのうつわを開けて

「カークタパツ」

 と、料理人が言った。

 よく見れば、アムが鮫を売るとき、真っ先に<うちはいらない>と表明した料理人である。

 気まずそうな顔をしてアムを見る。

 別にいいのに、とアムは思ったが、咄嗟にセムタム語で何と言えばいいのかでてこなかった。

 ネイティブスピーカーでないと、こういう時につまってしまう。

 困ったものだ。

 料理人はそそくさと石組みのかまどのある調理台に戻り、戻ったと思ったら両手にもうひとつ別の料理を持ってきて、アムとトゥトゥに押し付けるように手渡す。

「おいおい頼んでねえぜ。勝手に渡して払えってクチか? ああ?」

「違うよ。悪いと思ったんだ。お代はいらないから」

 アムとトゥトゥは顔を見合わせた。

 何かを言う前に料理人はまたそそくさと、目の前からいなくなっていまう。

 どうしようもないので、遠慮なく、押し付けられた葉っぱの包みを開いた。

 香ばしい油の匂いがふんわりと鼻に入ってくる。

 アムは

「わお」

 と、思わず喜びの声を出してしまった。

 横でトゥトゥがぷっと噴き出す。

「食いしんぼ」

「食に対しては素直なの」

 中に入っていたのはポテポテと呼ばれるセムタム式コロッケだった。

 春巻きのような薄い皮に、タネを包んでカリッと揚げる。

 これはセムタムたちの大好きなスナックであり、同時に残り物処理にも使えるお役立ちレシピといったところ。

 料理人がくれたポテポテを頬張ると、しっかりとした赤身の肉が入っていたので驚いた。

 セムタム族が摂取する魚肉以外の動物性たんぱく質としては、海鳥、亀に似たパンパナス、小型海獣などが主な供給源になるが、赤身のものは特に高価なのである。

 島には数少ない哺乳類型の動物が住むというので、もしかしたらその肉かもしれない。

 いずれにせよ謝罪の印としては、かなりの高級料理をおごってもらったことになる。

 さりげない料理に仕立てたあたりが料理人の気づかいだろう。

「うっめ」

 と言いながら、トゥトゥはあっという間にポテポテを平らげた。

 それから辺りにいたお茶売りを呼び止める。

 アムの分とふたつ買ってくれた。

 ハーブティーのような香り高い飲み物。

 よく冷えていて、こってりしたポテポテの後口にぴったりだ。

 それから、本命のカークタパツに取り掛かる。

 カークは鮫、タパツはスパイス煮込みの意味。

 なじみ深い共通語で言うならば、鮫のカレーといったところ。

 セムタム族においてのカレーの地位を占めるタパツは、汁気の少ないドライタイプのものが主流だ。

 彼らは手で食べるから(揺れるカヌーの上でナイフとフォークを持つのは面倒くさいとアムも思う)、スープ状のものをメインディッシュにすることは少ないのである。

 スパイスの調合は、それぞれの料理人が独自のレシピを持っている。

 そのレシピこそが料理人たちの真の売り物と言えるだろう。

 どこの島にどの季節に行けば自分好みの材料が手に入るのか、という情報を、彼らは命よりも大事にしている。

 アムはしっかりとした鮫の身を心ゆくまで噛み味わって、それから言う。

「トゥトゥって本当に美味しいものを良く知ってる。私、あなたに案内してもらえて本当に幸せよ」

 トゥトゥは顔をくしゃくしゃにして笑った。

「あーあ、俺が役に立つのは食い物のことばっかりみてえじゃねえか」

 いかつい顔だけど、そうするとえくぼが出来て可愛いのを、アムは知っている。


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