第41話 試練

 聡美の手術は一週間後に決まった。セラミック製の人工骨がオーダーメイドになるためだ。


 本来はホルモン療法などで時間を稼ぎ、クリスマスが終ってからの予定だったが、聡美に悟られてしまったため急遽早めたのだ。やるならば早いに越したことはない。

 その間に、俺にはやらねばならぬことがあった。インフォームドコンセント。患者に治療の内容と目的を伝え、同意を得る作業だ。

 これが不充分だと、患者は余計な不安を抱え、病状を悪化させてしまう。しかし、充分に説明すれば、患者は積極的にリハビリなどに取り組んでくれるので、回復が早くなるのだ。医療の中で最も重要な役割だといえる。同時に、欧米に比べて格段に遅れている分野だ。


 俺は、この部分だけは、赤の他人に任せるわけに行かなかった。


『聡美、おまえは今度、手術を受ける』

 ベッドの上で、聡美はこくりとうなづいた。俺の表情から、ただならぬものを感じ取ったのだろう、緊張に顔をこわばらせている

『おまえの肘の骨にできた癌を取り除くためだ』

 怖れが浮かぶ。当然だ、身体の一部を切り取られてしまうのだから。しかし、納得させ、安心させなければ治療にならない。

『切り取った肘の骨の代わりに、人工の骨を埋め込む。そうすれば、肘を動かすことはできるようになる』

 聡美は聞いてきた。

『今までどおりに動かせる?』

 聡美は、それが一番知りたいことだろう。

 俺には、それが一番知られたくなかったことだった。

「聡美……」

 俺は聡美の左手を取った。暖かい手。そう、この手を切り落とすことに比べたら、ずっとましなはずだ。


『約束はできない。後遺症が出るかもしれない。曲げ伸ばしできる範囲が限られるかもしれない。我慢してくれ』

 青ざめた顔だった。それでも聡美はうなづいた。俺は抱きしめてやることしかできなかった。

 我慢してくれ、聡美。おまえまで失ったら、俺は……。


 もう一つ、やっておかなければならないことがあった。

 聡美の二人の親友に、事情を話すことだ。聡美がそれを強く願ったからだ。この二人にはすべてを知っていて欲しい、そう聡美は言ったのだ。

 通常、インフォームドコンセントは患者の家族までが対象となる。しかし、聡美の家族といえば俺一人だし、田原も少年も家族のようなものだった。二人の精神的は支えがなければ、聡美は癌と闘えないだろう。


 俺は悩んだ。知ることには責任が伴う。聡美が癌であることを知っても、この年若い二人は以前と同様に聡美に接することができるだろうか。苦しみに耐えられるだろうか。知らせることは、悩み苦しむことを押し付けることになる。

 また、知らせることにも責任が伴う。俺は、二人がショックを受けないように配慮しなければならない。

 ……だが、結局俺は、聡美の願いを聞かずにはおれないのだ。その結果、誰がどう傷つこうとも。


 その日の夕方、飯島少年と田原涼子は、前日に頼んだとおり一緒に病院にやってきた。俺は、二人を面談室に連れて行った。この部屋の目的は知らないだろうが、なんとなく雰囲気でわかってしまったらしい。

 二人とも青ざめていた。

「霧島先生、聡美ちゃんは……」

 田原の声は震えている。

 俺は、うなづいて答えた。ゆっくり、わかりやすくなるように。

「二人とも、文化祭の直前の晩に、聡美が茶碗を落としたことを覚えているかい?」

 どちらもうなづいた。

「あれは、骨の病気の初期症状だったんだ。放っておくと悪化してしまうので、手術が必要なんだ」

 飯島少年が、震える声で言った。

「それって……骨肉腫ですか?」

 くそっ。その名前はもっとあとで出すつもりだったのに。だが、俺は嘘をつくわけにはいかない。

「そのとおりだ」

「じゃあ……じゃあ、霧島は癌なんですか?」

 田原がヒッと息を飲み、両手で口元を押さえた。ガタガタ震えだす。顔色は土気色になっていた。見開かれた目は、何も見ていないようだった。

「田原! おい、田原!」

 俺は田原の両肩を掴んで揺さぶった。だめだ、ショックが強すぎたらしい。少年に声をかける。

「おい、田原を押さえつけるんだ」

「え……」

 呆然としている。

「ばか! 死んでもいいのか?」

「は……はい!」

 田原は、自分を力いっぱい抱きしめているのが誰かもわからない様子だった。俺は戸棚の鍵を開けて、注射器を取り出した。ここでは患者や家族がパニックを起こすことがあるので、あらかじめ用意してある。

「しっかり押さえろ! 針が折れたらどうする」

「はい! はい!」

 ようやく鎮静剤を注射できた。田原の呼吸は落ち着き、少年の腕の中で眠った。こんなときでなければ、田原は幸せに感じただろうに……。

 二人で田原をソファの上に寝かす。

「飯島君」

「……はい」

「田原は女の子なんだ。もう少し、気遣ってやれ」

「すみません」

「田原が傷ついたら、聡美も悲しむんだからな」

「……すみません!」

 少年はうなだれて涙を流した。

 うまくいかないものだ。結果的には、最悪の伝え方になってしまった。


 聡美の手術自体は成功した。癌に冒された肘関節は切除され、代わりにセラミック製の人工関節が埋め込まれた。しかし、骨の成長によって接合部がずれてくるため、数ヵ月後には再度の手術が必要となる。これが、成長が止まるまで何度も繰り返されるのだ。

 しかし、腫瘍で膨れた関節に圧迫されていた靭帯も損傷を受けていた。その部分を切除したため、聡美の左腕は以前のようには曲がらなくなることがわかった。ふつう、肘を曲げると指先が肩に届くのだが、これが届かなくなる。

 文化祭で合唱した「翼をください」では、翼を両手で肩に触れることで表していた。手話ではなくゼスチャーの部分だが、非常に綺麗な振り付けになっていた。だが、聡美はもう二度とこの曲を、同じ振り付けで奏でることはできない。


 聡美は激しく泣いた。泣いて、泣いて、泣きつづけたあとで、静かに現実を受け入れた。


 病気は、あまりにも無造作に、大切なものを奪い去っていく。

 沙希の歌を。

 沙希の声を。

 沙希の命を。

 そして聡美からも、手話の合唱を奪った。

 そうやって失われたものを取り戻す力は、今の医学にはない。


 それでも俺は、聡美のたった一度の晴れ姿をビデオに収めることができたのだ。俺たち父娘は満足すべきなのだろう……きっと。

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