第39話 文化祭
聡美の、今まで知らなかった面を、俺はクラスメイトから聞くことができた。
だから、なんとかして学校に返してやりたかった。しかし、その願いが叶ったのは、十月も下旬になってからだった。
体育祭は終っていた。
しかし、文化祭の準備になら間に合う。手話サークルの部員達は、毎週やってきていっしょに練習をしてくれていた。聡美はソロを奏でることになっていた。大役だが、耳が聞こえないので、誰かがタイミングを取るための指揮をしてくれないとできない。
それを買って出たのが、田原だった。親友のために、わざわざ裏方に回ってくれたのだ。
田原涼子には、ほんとに頭が下がる。恋敵であるはずの聡美に、親身になって尽くしてくれる。病院の帰りに田原に会ったので、そのことで礼を言った。だが、本人に言わせれば、それ以上の助けを聡美から受けているというのだ。
近くの喫茶店に入って、詳しく聞いてみた。
「たとえば、どんな?」
友達との喧嘩で相談にのってもらった、というのは以前聞いた。
「飯島くんとのことです」
「……なんか、ややこしい感じだね」
「……そうですね。でも、聡美ちゃんは、どっちも大事な友達だから、って」
気になってしまった。
「余計なことかもしれないけど、いいかな?」
「はい?」
「君は、飯島君のどの辺が好きなのかな?」
たしかに、余計なことだ。田原は真っ赤になったままうつむいてる。
「あー、ごめん、気にしなくていいから」
「いいんです」
恥ずかしそうだが、話し始めた。
「はじめは……やっぱり聡美ちゃんでした」
「聡美?」
「ええ、講堂で先生の話を聞いてて倒れて。飯島くんが医務室まで運んでいったんです」
そういえば、彼とはじめて会ったのがその時だ。
「戻ってくると、さんざんみんなに冷やかされたんですけど、ほんとに毅然としてたんです」
うつむいて、また赤くなる。
「なんか、すごくかっこよくて」
なるほどなぁ。俺なんか、真っ赤になってたもんなぁ。
「その後もずっと冷やかされてたんですけど、ずっとそんな感じで。聡美ちゃんに対しても、紳士的っていうか、ほんとに大事にしてるんだって感じたんです」
……初日のキス事件は黙っておいてやろう。
「しかし……それじゃ、最初から見込みのない恋だってことじゃない?」
田原はうつむいたままうなづいた。
「それでも好きになっちまうもんなのかなぁ……。俺は経験が少ないからわからんけど」
言ってしまってから、視線を感じた。田原が、まじまじと見ている。
「霧島先生は……どうだったんですか?聡美ちゃんのお母さんと」
おずおずと聞いてくる。うーむ、俺から聞くより、聡美からのほうが……と思ったが、既に飯島少年には話してしまっていることに気づく。公平を期するには、仕方がないか。
俺は、沙希との出会いから死別までを話した。
多感な少女には刺激が強すぎるかと思ったが、案の定、田原は感極まって泣き出してしまった。
店内の視線が集まる。なんか、いたいけな女子中学生を泣かせる悪い大人、って感じの非難を感じる。
「ねえ、あの、そんなに泣かなくても……」
「だって、だって、……あんまり素敵な話なんで……」
素敵な話ねぇ……それなら普通、最後に沙希が助かるんじゃないのか?
そうは思ったが、ここで言っても始まらない。
「まあ、昔の話だよ。もう二年になる」
「そうなんですか……やっぱり」
「やっぱりって?」
「聡美ちゃん、生きるとか死ぬとかって言葉に、すごく敏感だから」
それはそうだろうな。
「わたし、片想いがつらくって、もう死にたいなんて言っちゃったことがあるんです。そしたら、聡美ちゃんにすごく怒られたんです。自殺なんかしたら、天国に行けない。周りの人に、幸せな気持ちで思い出してもらえないからって。天国は、心の中にあるんだからって」
何度目だろう、聡美が友人に語った言葉に驚かされるのは。
一度も話したことはないのに、あの娘は俺と同じことを考えていたのだ。
「すごい娘なんだな、聡美って」
親らしからぬ感想だが、田原は笑って言った。
「すごい親だからですよ、霧島先生も、沙希さんも」
「すごいのは沙希だよ。俺はただ、そばにいただけだ」
「それがすごいんですよ」
うーん、この誤解は解けそうにないな。
しかし。田原にしろ、飯島にしろ、俺たちの中一の頃に比べると、すごく大人びた考えを持っているように感じる。それは聡美の、そして沙希の影響なんだろうか。
少なくとも、いい影響なのは間違いない。沙希もきっと、喜んでいるはずだ。
そうだろ? 沙希。
文化祭を目前に控え、連日の練習で聡美の帰宅はかなり遅くなってきた。こうなると、香川の出張家政婦がありがたくもあり、迷惑でもある。
夕方、病院を一緒に出る。残りの看護婦どもに冷やかされながら。買い物があれば途中で分かれるが、ないときは一緒にアパートまで。最近では、香川はアパートの住人にもすっかり馴染みになってしまった。
よく言われる。
「先生も、ようやく再婚ですか、よかったですね」
ちっとも良くないんだが……。
とはいえ、すぐに夕食の準備ができて、聡美が帰ってくると一緒に食べられるのはありがたい。体力が充分戻っていないので、無理をさせたくないのだ。
聡美を送ってくるので、大抵は飯島少年も一緒だったし、このごろは田原涼子も一緒に帰ることが多い。恥ずかしがる田原を、聡美が無理やり誘ったのだという。この娘なりに気を使っているのだ。
それで、異変が起こったときは全員が揃っていた。
ご飯茶碗を取った聡美が、突然うめいて取り落としたのだ。茶碗が割れた。みんなの表情が凍りつく。
『どうした?』
俺が手話を送ると、顔をしかめて左の肘をさすっている。
『お茶碗を持ったら、肘が痛かったの』
手話でこれ以上細かいことを伝えるのは難しい。
『見せてごらん』
俺は聡美の左側に回って、袖をまくって触診した。小指の腱があるあたりを触ると、聡美は少し眉をしかめた。やや、張っているような感触がある。
『痛いか?』
『すこし。でも、さっきとは違う』
軽い腱鞘炎だろうか? 手話合唱のために、手を酷使したから。
『後で、湿布を当てておこう』
そう聡美に向かって紡ぎ、みんなに向かって言う。
「練習で疲れたのさ。箸より重いもの持ったことがないから」
一同、ほっとして笑いが漏れた。
香川が別な茶碗によそってくれて、その後は何もなく食事が続いた。食後、みんなが帰った後で、風呂から上がった聡美に湿布を貼ってやったが、翌朝には腱鞘炎も完治していた。
そんなわけで、俺はこの日のことをすっかり忘れしまっていた。
……あの時までは。
文化祭の当日。
俺は親馬鹿丸出しで、ビデオカメラを持って聡美の通う中学に向かった。もともとは手話合唱の練習用に買ったのだが、どうせなら聡美の晴れ姿も撮ってやろうと言うわけだ。
「やっぱり、愛娘の記録は父親の宝ですよー」
あっけらかんと言い放つのは、言うまでもなく香川だ。すっかり、聡美の母親だか姉を気取ってついてきてしまった。まあ、約束は律儀に守っていて、ベタベタしてこないのが救いだが。
……しかし、これでもう、俺に安堂の父親を笑う資格はないな。
校内は模擬店や展示でごった返していた。中学とはいえ、いろいろな趣向を凝らしている。そんな中で、聡美や飯島少年の所属する手話サークルは、展示の方も行っていた。手話の歴史や聾唖者の発声練習用音声グラフ化装置のデモ、手話の入門教室などをやっており、結構人が入っていた。
「あ、霧島先生、淳子ちゃん」
「はーい、涼子ちーゃん」
受付に座っていたのは田原涼子だった。香川は田原からも「ちゃん付け」で呼ばれている。本人は中学生から同世代扱いされてご満悦だが……年齢は倍近いんだよな。怖いから黙ってるけど。
「ご苦労さん。聡美はいるかな?」
「あ、今、衣装合わせで講堂のほうに行ってるはずですけど」
そうそう。衣装代も出させられてしまった。私立なので、子供のためには出費をいとわない親が多いのだろうが、うちの今月の家計はちょっと厳しそうだ。おまけに、まだどんなデザインなのか見せてもらっていないのだ。出資させておいて、それはないと思う。
俺は展示物をぐるりと見渡して、講堂に行ってみることにした。
「じゃあまたね、田原さん」
にこやかに手を振る田原を残して、俺と香川は講堂に向かった。
講堂につくと、まだ一つ前の出し物が上演中だった。田原はぎりぎりまで受付をやってから来るのだろうか。リハーサルはいらないのか? などと、余計な心配をしてしまう。俺たちは裏に回って控え室を探した。
「霧島さん、こっちですよ」
飯島少年が手を振った。俺は、その姿を見て笑いがこみ上げてきた。ルネッサンス風というか、古代ギリシャ風というか、これでは「真夏の夜の夢」の妖精パックの衣装だ。まだニキビが残る日本人顔で着ていると、なんともちぐはぐだ。……まあ、舞台に立つと変わるのだと信じてやろう。
香川は……気に入ってるらしい。例の乙女チック自作自演モードだ。これは、触らぬ何とかに祟りなしだな。放っておこう。
控え室に入ると、手話合唱のメンバーが勢ぞろいしていた。男子が二名、女子が三名。女子の方は森のニンフみたいな衣装だが、こちらはそれほどアンバランスに感じないのはなぜだろう? やはり、この手の衣装は女性の方が着慣れているのだろうか。
聡美は衣装をつけて、こちらに背を向けて座って女子メンバーと手話をかわしていた。だが、相手が俺に気がついて目配せすると、立ち上がって振り返った。
俺は……思わず見とれてしまった。
栗色の巻き毛が、白を基調にした衣装に映える。そう、この髪の毛なら、このルネッサンス風の衣装もぴったりだった。
「先生、ビデオビデオ」
香川が肩をつつきながらせかす。俺は、放心状態から戻るとビデオカメラを構えた。聡美は、結構その気になって、いろいろポーズをとってくれた。舞台の上では望遠でなければ写せないが、今なら自由にできる。……親馬鹿の真骨頂だ。
サービス精神を発揮して、他のメンバーもカメラにおさめていく。こうしてみると、日本女性の黒髪は、逆に異国情緒をかもし出してくれる。悪くない感じだ。……ただ、やはり男子の着こなしの悪さはどうしようもないな。
やがて時間になったので、俺は香川を引っ張って客席に向かった。途中で田原とすれちがった。
「ご苦労さん、聡美を頼むよ」
「はい!」
明るく返事をすると、舞台裏へ歩いていった。あの娘なら、さぞかし衣装が似合うだろうに。今日はライトのあたらぬ舞台の下で、普通の制服を着て聡美のために指揮をするのだ。
俺は、ビデオカメラを構えて、田原の後姿を撮った。なんとなく、拝みたいような気持ちになったのだ。
手話合唱は大成功だった。『翼をください』をはじめ、誰もが知っている数曲が手話で奏でられた。聡美は誰よりも綺麗だった。親の欲目だというやつは、俺が取ったビデオを見て欲しい。もちろん、他のメンバーもきまってたし、舞台の上では、飯島少年ら男子生徒も結構さまになっていた。
実際、文化祭の後になって、何人か新入部員が入ってきたという。これはかなり異例なことだったようだ。
手話の人口が増えるのは嬉しいことだ。もっとも俺は、聡美の友人が増えたことを、単純に喜んでいただけだが。
今年の秋は、いつになく実り多き秋になった。
……沙希、俺はそう思っていたんだ。愚かにも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます