第38話 聡美、いろいろ

 北海道から戻ってじきに、聡美は熱を出した。


 自宅でしばらく様子を見たが、回復する様子がないため再入院となった。そのため、聡美の中二の夏休みは、残りを病室で過ごすことになってしまった。

 単調な入院生活に花を添えてくれたのは、北海道から届いた葉書だった。健康そうな男の赤ちゃん。清永先生一家の四男が生まれたのだ。聡美は、自分の弟が生まれたみたいに喜んでいた。

 俺はちょっと複雑。四男の名前は、俺の名前を取って「聡」にしたのだそうだ。

「おまえみたいに、女運が良くなるようにな」

 葉書にはそう書いてあった。あんまりだと思う。


 飯島少年は、あの北海道での玉砕にもめげずに毎日見舞いに来た。田原も負けずにくるのだが、意識して時間帯をずらしているようだ。とはいえ、毎日通えばそのうち出会ってしまうもの。田原は自分の気持ちを隠すのがうまくないらしく、はたから見ているとバレバレなのだが、少年の方はまったく眼中にないらしい。……まあ、俺も安堂由香のことがあるので、何も言えないが。

 問題は聡美だった。二人が帰ると、一人で隠れて泣いているのだ。

『聡美が泣く必要はないよ』

 俺は言うのだが、聡美は聞かない。

『だって、涼子ちゃん、かわいそう。飯島くんもかわいそう』

 聡美は、本当にやさしい娘だ。親友二人の幸せを願っている。


 だが。

 もし、俺が沙希に片想いしていて、その沙希から安堂の気持ちを聞かされたとしよう。俺は、はいそうですかと乗り換えられるだろうか? ……無理だ。人間の気持ちは、そんなに簡単じゃない。

 確かに、もしあの二人が相思相愛になれば、めでたいことに違いない。しかし、こればっかりは本人同士の問題だ。田原涼子が決心すれば自分の気持ちを伝えるだろうし、伝えずに待ちつづけるのも本人の自由だ。他人が勝手に手を出しても、いい結果が出ることはない。

 しかし……親として、聡美が苦しんでいるのは見るに忍びない。ここは一つ、おせっかいにならない範囲で手を貸してみることにしよう。


 その日、病室から出てきた田原を呼び止めた。

「田原さん、ちょっといいかな?」

「はい……?」

 そのまま、談話室へ歩む。ふと、沙希の病室の前で浜田氏に呼び止められた時のことを思い出す。ま、今回はあんなにシリアスにならないはずだ。


「何か飲むかい?」

 自販機の前で聞くが、田原は首を振った。……そういえば、これも同じだ。

 ソファに座り、隣の席を勧める。

 ところが、いざ話そうとすると、なかなか難しい。俺は煙草は吸わない。妻を肺癌で無くしているんだから当然だが。しかし、煙草を吸いたくなるのもわかるような気がする。浜田氏への共感。要するに、間が持たないのだ。

 沈黙が続くと田原が居心地悪いだろうし、要らぬ心配をかけるかもしれない。と、思ったら先を越されてしまった。

「あの……聡美ちゃんの病気、悪いんですか?」

「いや……身体の方は、夏の疲れが出ただけさ。何しろ、飛行機に乗ったのは生まれて初めてだったからね」

 事実をそのまま伝えるのは簡単だ。……事実の種類にもよるが。

「よかった……」

 心底安堵したようだ。ほんとにいい子だ。

「でも、一つ心配なことがあってね」

「え?」

 たちまち顔が曇る。

「聡美は……君たち二人のことでずっと悩んでいるんだ」

「二人って……わたしと飯島くんのことですか?」

「ああ」

 田原は両手を頬に当てた。真っ赤だ。

「……わかっちゃってたんですね、わたしが飯島くんのことを好きだって」

「気がつかないのは、彼くらいかなぁ」

 ますます赤くなる。


「どうしよう……聡美ちゃんにもう会えない……」

「そりゃ、困るな」

 心底困る。

「聡美にとって、君は一番の親友だ。初めての、と言ってもいい。君が来てくれないと、聡美が悲しむ」

 もう、必死だった。

「……でも、わたし一体どうしたら……」

「聡美は気にしてないさ。でも、彼に告白する気はないの?」

「無理です!」

 顔を覆って泣き出す。

「だって、だって、飯島くんは聡美ちゃんのことしか見てないから……絶対、断られちゃいます。そしたら、わたし……もう、会う勇気がありません」

 うーむ、確かにそうなるなぁ。

 しかし、このまま泣かせておくわけにもいかんし。困った。


「聡美がいつまでも子供なのがいけないんだよね。そろそろ恋の一つもしていい年頃なんだが……」

 すると、田原はびっくりしたように言った。

「子供……ですか? 聡美ちゃんが?」

「……子供じゃない?」

 俺が唖然としていると、田原は急に怒り出した。

「とんでもない! 聡美ちゃんは、わたしよりずっと大人です!」

 ……あの、聡美が? 父親の俺にべったり甘えている聡美が?

「わたし、聡美ちゃんにいつも励まされているんです。飯島くんのことは言えなかったけど、クラスの友達と喧嘩しちゃったときなんか、何度も相談して、助けてもらってるんです」

 聡美が、相談に乗るなんて。


「それから……クラスでも、聡美ちゃんはいじめられてる子を助けようとして、男子をひっぱたいたこともあるんです」

 信じられない。……だが、俺は小六の春の出来事を思い出した。母親を侮辱されて、男の子相手に取っ組み合いをしたことを。あのときの、怒りに燃えた聡美の顔を。


「俺は……聡美の弱い面しか見えてなかったんだな」

 頭を抱える。恥ずかしくてたまらない。そうだ。聡美が俺を必要とするのは、慰めが必要なときなんだ。誰でもそんなときはある。聡美が頑張っているときは、俺なんか不要なのだ。

 か弱い聡美。かわいそうな聡美。守るべき聡美。どれも、大事な聡美だ。しかし、強い聡美、負けない聡美、一人でどこへでも行ける聡美もいるのだ。


「それに……たぶん、聡美ちゃん、恋、してます」

 田原の言葉に、俺は再び唖然とした。

「恋を? 誰に?」

「教えてくれないんです。……片想いみたい」

 聡美が、恋をしている。

 誰に?

「学校の先輩かな?」

「かも知れません……わからないんですけど」

「手話サークルの子かな?」

「……違うと思います。たぶん」

 聡美が学校にいる間のことは、俺にはわからない。それに、こればっかりは親であっても聞き出すわけには行かない。聡美が自分から相談にくるまでは。

「とにかく……ありがとう、いろいろ教えてくれて」

 うなだれたまま言った。

「俺は……親として失格だな。聡美のことを、ちっともわかってなかった……」

 すると、田原は初めてにっこりしていった。

「そんなことありません! いつだって聡美ちゃん、お父さんのことを自慢してますから」

 ……嬉しいことを言ってくれる。

「どんなにつらくても、どんなに悲しくても、お父さんがついているから絶対負けないって」

 ……泣かせてくれるじゃないか。

「なんか、逆に励まされちゃったな」

 俺と田原は一緒に笑った。


 田原を玄関まで送った後、考えた。

 俺は、今まで聡美の一面しか見て来なかった。聡美のために何かしてやるには、もっといろいろな面を見る必要がある。よし、証人その二に話を聞こう。


 翌日、今度は帰ろうとする飯島少年を病室の前で捕まえた。談話室に誘う。もちろん、自販機のお約束も忘れない。彼も、お約束通り断った。

 ふと気づいた。背が伸びて、声も太くなっている。なるほど、彼も成長期に入ったか。

 さて、吸ったことも無い煙草を吸いたくなっても困るので、単刀直入に聞こう。

「一つ、聞いていいかな?」

「はい?」

 怪訝な顔の飯島少年。俺はずばり聞いた。

「君は、聡美のどのへんが好きなんだ?」

 ……ずばり聞きすぎた。返答に詰まっている。質問を変えないと。

「うーん、つまりだ、父親として、友人から見た聡美がどんな娘に映るかを知りたくてね」

「ああ、そういうことですか」

 ほっとしたように少年は息をついた。……息が詰まってたらしい。

「霧島は……おれ、最初はおとなしくてかわいい娘だなって思ってたんです」

 うんうん。それはよくわかる。

「だから、まあ、最初は一目惚れでした」

 それはいいから。

「で、しょっちゅう倒れたり、なんかこう、放っておけなくて」

 それもわかる。

「でも、ある日、すごいって感心したんです。尊敬、って言ってもいいかも」

 ……この辺から、わからなくなる。

「霧島は、いじめっ子をひっぱたいたんです」

 それだ。

「その話、もう少し詳しくたのむよ」

 少年はうなづいた。

「うちのクラスに、緊張するとどもる女子がいて。男子が何人か、そのことでひどくからかってたんです。で、その子、泣き出しちゃったんです。そしたら、霧島が飛び出してきて」

 少年の目が輝いてる。

「その男子たちをひっぱたいたんです。自分も、目に一杯涙をためてたんですけど。で、そいつら手話がわからないんで、黒板のところまで行って、こう書いたんです」

 少年の目が潤んできた。

「自分は耳が聞こえないけど、苦しんでる子の声は聞こえる。君たちには聞こえないの? って」


 俺は……心底驚いた。だが、当然なんだ。聡美は、やっぱり沙希の娘なんだ。


「みんな、しーんとしちゃって。女子なんか、何人か泣き出しちゃって。なんで、おれは『何で助けようとしなかったんだろう』って、自分が恥ずかしくなりました」

 少年は、鼻をすすり上げ、続けた。

「それからは、目に見えていじめは減りました。おれも、そうゆうの見て見ぬふりができなくなって。だって、霧島に申し訳ないから」

 俺は飯島少年を見た。彼は……そう、今までより大人びて見えた。

 これがつまり、田原が言っていた、聡美の「大人びた面」なのだろう。聡美から、彼は学んだんだ。

「それは……たしかにすごいな。そんな娘がいたら、俺だって惚れちまいそうだ」

 頭を掻く。いやはや、あの聡美がねぇ。


「それに……そうだ、こっちの方が先でした」

「え、なに? まだあるの?」

「ええ。あの……うちの学校、服装とかに厳しいんです」

 俺の母校もそうだった。キヨさんに坊主刈りにされた男子は数知れない。

「で、入学してすぐ、服装検査があったんですが、特に厳しい教師が霧島に目をつけたんです」

「そんなばかな。服装はいつもきちんとしてたぞ」

「髪の毛なんです。パーマかけて、染めてるって言いがかりつけられて」

「生まれつきの髪なのにかい?」

「霧島もそう言ったんです。手話のわかる先生を通して。そうしたら、校則で決まってるんだから、黒く染めてストレートパーマにしろって」

「無茶な話だ」

 俺は腹が立ってきた。しかし……聡美は俺には何も言わなかったな。


「無茶ですよね。それで、霧島は言ったんです。親を大事にしないでいいのかって。親から受け継いだ髪の毛なのに、そんなことをしたら、お父さんもお母さんも悲しむって」

 聡美が、そんなことを。

「あの時も、すごいこというなぁ、って感心したんです。だって、その教師って、男の俺でもおっかないと感じるタイプだったんです。それが、黙り込んじゃって。結局、そのままでした」

 やっぱり俺は、聡美のほとんどを知らなかったんだなぁ……。

 ひょっとして、聡美のことを一番知らないのは、俺じゃないのか?


 ……なんだか、親として自信なくなってきた。


「はぁー、なんか、俺の知らない聡美ばかり出てくるな」

「知らなかったんですか?」

「あいつは、そうゆうことを家では話さないから」

「……じゃあ、どんなことを?」

「どんなことって……」

 俺は返答に詰まった。そういえば、聡美とどんな話をしたろう? あいつが話し掛けてくるのは、寂しいときとか、悲しいときとか、つらいときだ。そうゆうときに話すことといったら……。

「……母親のことだな」

「亡くなったお母さん?」

「ああ。今思うと、聡美は悲しいときや、つらいときに、俺のところへ来て一緒に母親の思い出を話してたんだ。俺や、思い出の中の母親に甘えることで、元気を取り戻していたんだ」

「なんか、うらやましいです」

「そうか?」

「おれ、そんな風に親と話したことないから」

 そういえば、俺もなかった。思春期って言ったら、普通は親が疎ましく感じる時期だ……おかしなもんだ。一番、親の助けが要る時期なのに。

「俺たち親子が変わってるのかな」

 立ち上がって、窓の外を眺める。

「それとも、世の中の方が変なのかな」


 夕暮れの街並みには、答えはなさそうだった。

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