第27話 善意の嘘、悪意の真実

 その年の瀬も迫ったある日。


 季節はずれの同窓会の案内が、俺のアパートに回送されてきた。差出人は吉田拓郎。何でも、北海道に赴任していた清永先生夫妻が上京するので、これを機会に同窓会を行うとのこと。


 そうだ。まだ、二人には報告してなかった。結婚のことも、死別のことも。今度こそ、行かなければならない。

 聡美の世話は、祖母である静江さんに頼んだ。かなり遠回りになったが、聡美を荒川のアパートに送り届けてから、同窓会の会場に向かう。場所は、新宿の居酒屋だった。念のため、静江さんには場所を教えておいた。


 暖簾をくぐると、飲み屋特有のざわめきが俺を取り巻いた。どうも、こうゆう場所は苦手だった。レジにいた従業員に吉田の名を告げると、二階へと通された。障子をあける。

「……霧島くん」

 一瞬、沙希に呼び止められたような気がしてギョッとする。だが、声は違う。部屋の隅で立ち上がる姿。

「安堂……」

 そうだ。安堂由香にも、全てをきちんと話すつもりだったのだ。だが、どんな顔をすればいいのか、まったく準備してなかった。


 その時。

「おう、来たか来たか、学級委員」

 懐かしい太い声が、障子の陰から響く。頑丈な首がぬっと突き出された。

「キヨさん」

「お久しぶりね」

「天城先生も」

 昔よりちょっと丸みを帯びた顔が、ころころと笑った。

「もう天城じゃないのよ」

 おれは、その時初めて、名前の方を知らなかったことに気づく。

「真知子って呼んでね」

「はぁ、真知子先生」

「なに、ボケッと突っ立ってるんだ、こっちに来て座れ」

 この、キヨさんの押しの強さは相変わらずだ。苦笑しながら正面に座る。

「なんだ、笑えるじゃないか」

「アイスマンは返上ね」

 中二から高校を通しての、俺の仇名だ。鉄面皮とか、その他にもあったが。

「ちったあ、浮いた話もあったのか? 朴念仁」

 キヨさん、かなり出来上がってる。

「はあ、まあ、色々と」

「言ったな、こいつ。白状しろ、誰だ」

 声を潜めて。

「安堂か?」

「いえ……」

 困った。もっときちんと話したいのに。でも、仕方がない。

「結婚しました。沙希と」

 キヨさんの顔が、殴られたように固まった。

 天城……真知子先生は、やっとのことで言葉を搾り出す。

「……浜田さんと?」

「はい」

 キヨさん、大声で確認する。

「は……浜田沙希と、結婚したのか? おまえ」

「はい、去年」

 一同、声を無くしていた。

 唖然としていたキヨさんが、突然叫ぶ。

「やったじゃないか! 初恋の成就だな?」

「はい」

 俺の肩をバンバン叩きながら、キヨさんは俺に酒を薦めた。三年のときの同級生の中には沙希の事を知らないものもいるはずだが、みんなで歓声を上げて、ついには胴上げまでしようと言い出すキヨさん。

 さすがにそれは店に迷惑だからと、必死に止めた。


 だが、俺が何倍めかの酒を真知子先生から注いでもらったとき。

「あら、だめよ霧島君。結婚指輪はちゃんとはめなきゃ」

 そこで思い当たったらしい。

「……今日、沙希ちゃんは?」

「来ません」

 キヨさんは、出来上がっててわからなかったらしい。

「なんだおめぇ、新妻を一人残して」

「死にました。九月の末に」

 我ながら、相手に迷惑な伝え方だと思う。だから、ちゃんと話したかったのに。

「死んだ!」

 またもや素っ頓狂な声をあげる。座は、またもや静まり返った。

 しゃくりあげる声。見ると、安堂だった。ありがとう。沙希のために泣いてくれて。酒が入ってるからか、みんな涙腺が緩んでいるらしい。たちまち伝染していく。

 キヨさんは男泣き状態だ。真知子先生も目頭を押さえていた。


「あの、まだあるんです」

 沙希のために泣いてくれるのは嬉しい。でも、それだけじゃないんだ。

「なんだ?」

 キヨさんが、目を真っ赤にしながら言った。俺は、精一杯の笑顔で告げた。

「子供がいるんです。女の子が。沙希は、俺の子供を産んだんです」

 まさに、一喜一憂のくり返しだ。泣き笑いの顔でキヨさんがまた叫ぶ。

「嘘だろ?」

「ほんとです」

 俺はポケットから財布を出そうとした。奥多摩で三人で撮った写真が入っているのだ。俺たちの、幸せの証拠写真を。

「あのー、霧島様はいらっしゃいますか?」

 座敷の上がり口から、従業員の声が響く。

「はい、ここですが」

「お連れ様が」

 連れって誰だ?

 その時、従業員の陰から、栗色の巻き毛がぱっと駆け寄って来て、ぎゅっと俺の身体にしがみついた。あまりの展開に、みんな固まってしまう。


「……聡美?」

 俺の言葉に、キヨさんは、何か言おうと口をパクパクさせている。なかなか声が出ない。やっと出た時は、野太いはずの声が裏返っていた。

「そ……その子は、ひょっとして……」

 俺は、聡美をきちんと座らせると紹介した。見ると、聡美は胸に何か抱えてる。

「霧島聡美。俺と沙希の娘です」

 真知子先生が聞いてくる。

「でも……でも歳が」

「俺たちが中一のときの子です」

「この……ませガキが!」

 そう叫ぶと、ものすごい力で俺の肩をバンバン叩き出した。寄ってきた全員から、祝福の言葉が投げられ、俺はもみくちゃにされた。聡美は、何があったかわけがわからず、俺の腕にしがみついた。

「ちょっと、ちょっと、やめてください、聡美が怯える」

 聡美の方を向いて、手話で聞く。

『大丈夫、みんな聡美を歓迎してる』

 ちょっと安心したのか、ようやく微笑む。

『なんでここへ来た?』

 聡美も手話を紡ぐ。

『お父さんとお母さんの友達に会ってみたかったから』


 真知子先生が、はっとして聞いてきた。

「その子、もしかして」

「ええ、耳が聞こえません」

 キヨさんも沈痛な顔になる。

 俺は、笑って言った。

「大丈夫、死にやしませんから」

「そ、そりゃそうだが、おまえ」

「俺も沙希も、この子のおかげで幸せでしたし」

 俺は証拠写真を出した。それをのぞき込んだ聡美が、胸に抱えていたものを誇らしげにぱっと広げる。二枚折の写真立て。片側には中一の時、もう片側にはこの春、それぞれ奥多摩で撮った写真が入っている。

「これは……」

 キヨさんと真知子先生の目から、涙がこぼれた。幼い俺と沙希。大人になった俺たちと聡美。それは、一つの恋が実を結び、幸せな家族となった証拠だった。


「霧島くん……」

 背後から声が。振り向くと、安堂由香がハンカチで目頭を押さえていた。

「よかったね。ほんとに、よかったね」

「安堂……」

 ニコッと笑って、安堂は言った。

「もう、安堂じゃないの」

 そうだったのか。俺は、長年のしこりが融けていくのを感じた。

「今はね……吉田っていうの」

 ……え?

 俺のクラスメイトでは、吉田といったら一人だ。


「そういや、拓郎のやつ遅えなぁ」

 キヨさんがつぶやくと。

「いやーははは、幹事が遅れちゃってヤな幹事、なーんちゃって」

 う。このしょーもない冗談は。

「相変わらず、でしょ?」

 真っ赤になった安堂……吉田由香が耳打ちした。俺と由香はクスクス笑った。

「一体、どうしてこいつと?」

「……毎年、幹事の仕事をいっしょにやっているうちに……」

 なるほど。あいつ、下品なくせにこの辺はマメだったんだな。

「あ、おまえ、霧島! このやろ、人の女房に手ぇ出して……」

 吉田が人を掻き分けやってきた。が、びっくりしている聡美を見て。

「ところで、この誰?」

 聡美は俺にしがみついた。さっそく、聡美にとっても「わたしの一番苦手な人」にされてしまったらしい。


 宴は続いた。沙希の思い出話が次から次に出た。俺は聡美に片っ端から手話通訳してやった。聡美は、両親の出会いや青春時代の話を、目を輝かせて聞き入った。

 そんな聡美を見ながら、俺は思った。

 今、みんなに「聡美は自分の子だ」と告げた。これは善意の嘘。

 もし、「聡美は、沙希と父親の間の子だ」と告げたら? それは悪意の真実。


 俺は、生涯この嘘をつきとおすつもりだった。

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