第19話 三人の生活

 こうして、新居での生活が始まった。


 いや、新婚生活、と言ったほうがいいか。ほんとは、沙希のためにもきちんと式をあげてやりたかったのだが、沙希は違う意見をもっていた。

「わたし、形にはこだわらないから」

「そうかなぁ。思い出にはなると思うけど」

「それは、二人で作るものでしょ? 式場のって、なんか作られてるみたいで」

 そうかもしれない。俺も、何度か高校時代の同窓生の結婚式に呼ばれたことがあるが、流れ作業で式が進んでいくのは、「幸福の大量生産」という感じがした。それはいいとしても、一方では離婚も増えているのだから、「粗製濫造」と言われても仕方がないだろう。

「第一、わたしそんなに体力ないもの」

 言えてる。式と披露宴では、新郎新婦ってのはマネキン並に立ちんぼをさせられるのだ。俺は良くても、沙希には無理だ。

「でも、身内だけで地味婚ってのもアリだぜ」

「うん……でも、誰を呼ぼうか」

 答えに詰まってしまった。沙希も俺も、交友範囲が狭すぎる。

 真っ先に浮かんだのはキヨさんと天城先生だった。いや、天城は旧姓だが。


「懐かしい……」


 沙希は涙ぐんだ。俺たちを見守り、支えてくれた恩人だ。式を挙げるのなら、誰よりもまず呼ばないと。

「呼びたいけど……困ったな」

「どうしたの?」

「連絡先がわからない」

 キヨさんは三年間俺の担任だった。心を閉ざしてしまった俺を案じて、色々気を配ってくれたものだ。キヨさんと天城先生は、俺が卒業する年にめでたく結婚し、別な学校へと転出していった。そのあと、同窓会の誘いが何度か来たが、一度も行かないうちに途絶えてしまったのだ。

「同窓会って、普通、学級委員が幹事になるんじゃなくて?」

「そうなんだけど……」

「幹事なら、連絡先を知ってるんじゃ……」

「俺なんだ」

「え?」

「二年のときから、俺が学級委員だったんだ」

「へーえ」

 心を閉ざしていても、いや、だからこそ、俺は生真面目な優等生だった。……自分で言うのもなんだが。だから、二年になったとき学級委員に選ばれた。委員の仕事は熱心にやったが、幹事の仕事はまったくやっていない。

 そこで、しばらくして自主的に幹事を買って出たのが、あの吉田拓郎だ。あいつとも、卒業以来まったく会っていない……。


「探せば探せるんだが……時間がかかるなぁ」

「じゃあ、見つかってから式を挙げましょうよ」

 こうして式は延期になってしまった……のだが。

 それでも、夢のような毎日だった。

 朝起きると、隣に沙希が寝ているのだ。そして、俺たちの間には聡美が寝ている。一つのベッドに川の字になって寝る。それが霧島家の新しい習慣だった。一日の始まりが、愛するものたちの目覚める顔で始まり、一日の終わりが、その寝顔で終わる。これ以上に何を望むというのだろうか?


 ……望んだりもする。人間というやつは、やはりどうしようもなく欲が深いのだ。

 要するに、いわゆる夫婦の営みというやつだ。聡美がもっと幼ければ問題は小さかったかもしれない。だが、小学四年生ともなれば、そろそろ性を意識しだす頃だ。おまけに、聡美は人一倍繊細で傷つきやすい。


 例えば、こんなことがあった。

 このアパートは新築なので、設備はしっかりしているのだが、新しすぎてわかりにくいものがある。例えば、サッシのロックだ。二重ロックになっていて、片方だけでは開けられないようになっている。そんなわけで、あれは不可抗力だったのだ……そう自分に言い聞かせているのだが。


 新居での生活が始まってすぐのころ。寒い中を帰宅した俺はトイレに直行した。電気がついているので、何度もノックしたが、返事がない。

「消し忘れか。しょうがないな」

 そうつぶやいてドアを開けたら、聡美がいた。洋式だが、運悪く、ちょうど拭こうとしていたときだったらしい。脚を少し開いていたため、まともに目に入ってしまったのだ。

 聡美と目が合った。ショックで目を見開いている。あまりのことに、俺もしばらく固まってしまった。

「ご……ごめん」

 やっとのことでつぶやくと、そーっとドアを閉じた。そのまま、廊下の壁にもたれてずるずるとへたり込む。

 うかつだった。ノックしても、聡美に聞こえるわけがない。だが、聡美が鍵をちゃんとかけないから……。

 そこで思い出した。ここのトイレの鍵も変わっていて、横棒をスライドさせてロックするのだが、棒を九十度ひねらないと動かないのだ。ひねることでバネが働き、あけるときはボタンでパチンと開く仕掛けになっている。だが、小学生の女の子には難しすぎたらしい。

 やがて水を流す音が聞こえてきた。ドアが開いて聡美が出てくるが、俺の顔を見て真っ赤になり、自分の部屋に逃げ込んでしまった。

 その日は最悪だった。いつもはまとわりついてくる聡美が、ちっとも寄ってこないのだ。俺と目が合うと、赤面してそっぽを向いてしまう。聡美に嫌われるのが、こんなにつらいとは思わなかった。


 買い物から帰ってきた沙希は、すぐに異変に気がついた。俺は、正直に自分の罪を告白した。

「なんてこと」

 沙希はため息をついた。

「でもさ……よく一緒に風呂にも入ってるんだぜ」

「それとこれとは別よ。わたしだってそんなところを見られたらショックだもの」

 やっぱりそういうものか。

「……何か、工夫するよ。ボタンを押すとランプがつくとか、そんなの」

「お願いするわ。聡美の部屋にもね」

 聡美の部屋には鍵はない。寝るときも俺たちの寝室に来る。だが、これからは着替えなどにも気を配らなければいけないだろう。女の子の成長は早い。

 俺は、さっそく近くのホームセンターに行って、材料を買い込んできた。その間に、沙希は聡美に色々話したらしい。俺が帰ると、聡美が手話で話し掛けてきた。

『今度から鍵かける。ごめんなさい』

 紙袋を置いて答える。

『おれも、ごめん』

 こういうとき、手話は話し言葉以上に気持ちがこもる。仲直りが済むと、聡美は俺に抱きついてきた。やっぱり寂しかったんだな。

 当然かもしれないが、それから聡美は一緒に風呂に入ってくれなくなった。成長と共に、娘との距離が開いていく。父親なら誰でも感じる寂しさなのだろうが。


 ……そんなことがあって、なかなか俺と沙希は……結ばれる機会がなかった。

 とはいえ、実を言うと、俺は初体験は済ませてしまっていた。沙希には隠しても無駄なので、正直に言ってある。高校の時、相手は、あの安堂由香だ。

 一度だけ。ひどく惨めなものだった。

 俺は、由香の裸を見て、沙希を思い出してしまったのだ。泣きながら、沙希の名を呼びながら、俺は由香を抱いた。

 由香はやさしい娘だった。俺を受け入れてくれたが、ひどく傷ついたはずだ。それ以来、会っていない。

 今でも、思い出すと胸が痛む。自分が由香にどんなに残酷な仕打ちをしたか。あれから何年もたつ。素敵な相手を見つけてくれていればいいのだが……。

 由香は、俺と一緒に学級委員をやっていた。俺が清永先生の赴任先を探せないのは、あいつに連絡をしたくないから、というのもある……。


 沙希との初夜の話題に戻る。

 俺は、外に出て、というのも提案したが、沙希が嫌がった。

「だって……記念すべき最初だもの。自分の家でしたい」

 そういうものなのだろうか。

「でも……どうする? 聡美が寝てから?」

「無理よ。起きてしまうわ」

 当然だな。

 沙希は眉を寄せて考え込む。

「うーん。やっぱり、自分の部屋で寝させるしかないわね」

「それはそれで、寂しいな」

「いつまでも川の字で、とは行かないでしょ」

 確かにそうだ。トイレの一件もある。

 沙希は聡美を連れて聡美の部屋に行き、しばらく話し込んでいた。女同士でしかできない話題もある。こんな時、俺は疎外感を感じてしまう。仕方のないことだが。

「納得してくれたわ」

「よかった」

 俺は胸をなでおろした。

「でも、どうやって説得したんだ?」

 沙希が言葉に詰まる。

「どうした?」

 だんだん赤くなる。耐え切れなくなったのか、やがて白状した。

「実は、聡の……あれのことなの」

「あれ? あれって……まさか、これのこと?」

 俺は自分の大事なところを見下ろした。沙希は、両手の人差し指をつき合わせてもじもじしている。

「その……聡美が見られて恥ずかしいように、お父さんも恥ずかしがってるからって」

「お……おい」

 そんな、ばかな。

「俺は……寝ぼけて出しっぱなしにしてたか?」

「そうじゃなくて……その……」

 沙希はますます赤くなり、縮こまっていく。

「……朝、元気になると、聡美に見られないように気にしてたじゃない」

 ……納得した。なにしろ、お預けが長いものだから。

 しかし……父親の威厳が……ああ……。

 ともあれ、これで俺たちの……遅くなった新婚初夜が訪れることになる。


 だが……それからが大変だった。


 聡美は毎晩九時には寝る。その少し前から、俺は心臓が高鳴って仕方がないのだ。あの誕生日の夜のように。顔が火照ってくる。

 ソファに座って、ちらちらと時計を見ては、聡美が早く寝ないかと気にしてしまう。そんな俺の様子に、聡美が気づかないわけがない。

『お父さん、どうしたの?』

 無邪気に手話で聞いてくる。しかし……説明のしようがない。

『なんでもない。早く寝なさい』

 だが、手話は表情が大事だ。

『お父さん、変だよ』

 ……完全にばれてる。

『変じゃない』

 ……それが変なんだよな。うん、わかる。

『すごく、変』

 俺は頭を抱えてうずくまる。聡美は、ますます心配になったらしく、俺の横へ来て抱きしめる。父親想いの、やさしい娘だ。だが、こういう場合は、非常に困る。


「沙希……なんとかしてくれぇ」

 助けを求めた。歩み寄ってくる沙希が、女神に見える。

「お父さん、熱があるの。もう寝ないと」

 沙希は俺を病気に仕立てた。聡美の手が額に触れる。

『熱が、ある』

 そりゃ、あるさ。

「聡美に、うつるといけない。自分の部屋で寝なさい」

 ようやく、聡美は納得してくれた。だが、嘘をついた罰で、俺はおやすみのキスをしてやれない。あーあ。


 沙希が聡美を寝かしつけてから。ようやく……ようやく俺たちの初夜になった。

「どうぞよろしくお願いします」

 ベッドの上に正座し、沙希は丁寧に三つ指着いてお辞儀した。つくづく、こういうのが好きなんだな。

「こちらこそ、よろしく」

 あわせるしかない。

 頭を起こすと、沙希と目が合う。やさしく、穏やかな光が灯っている。

「変わったんだ……」

「え、なにが?」

「おまえの、雰囲気」

「そうかしら……」

 あの、誕生日の夜。俺を求めてきた沙希には、ぴん、と張り詰めた弦のような雰囲気があった。触れば手が切れてしまうとわかっていても、かき鳴らさずにおれない。しかも、いつプツンと切れてしまうかわからない。そんな危うい緊張感が。

 だが、今夜は違う。温かく柔らかい、羽毛のような雰囲気が、俺を包んでいる。安心して、全てを忘れて身をゆだねられるような。これが、十年かけて沙希が育んできたものなのか。

「素敵だよ」

 素直に、なんのてらいもなく言えてしまう。恥らう沙希。幸せな恥じらいだ。

「聡も、変わったわよ」

「俺が?」

「うん……どこがって言いにくいけど」

 少しは、成長したのだろうか……。

「昔は、がむしゃらだったでしょ」

「ガキだったからな」

「でも、素敵だった」

「……今は?」

「もっと素敵」

 そう言うと、沙希はそっとくちづけをしてきた。ゆっくりと味わう。そのまま横に倒れ込む。いつも眠るときの体勢。ただし、今夜は間に聡美がいない。その分、二人の距離が縮まった。聡美には悪いが、嬉しかった。


 やがて、沙希が囁く。

「おねがい……触って」

 少しだけ、怯えた声。俺は、テープでの告白を思い出した。沙希の中には、実の父親にレイプされたときの恐怖と嫌悪感が、まだ残っているのだろうか。それを、俺に洗い流して欲しいのだろうか。

 おれは、沙希のうなじにキスをする。ぴくん、と沙希の身体が震える。パジャマの上から乳房に触れる。沙希の呼吸がだんだん速くなる。俺は体を起こすと服を脱いだ。

「……脱がして……くれる?」

 息が上がってしまって、起きるのがつらそうだ。俺は沙希のパジャマのボタンをはずしてやった。相変わらず細いからだの上で、育ちきった乳房がゆれる。既に乳首は硬くなっていた。まったく黒ずんでいない。これを、聡美は吸って育ったのか。

 突然湧き上がった衝動に駆られ、俺は沙希の乳首を吸った。もう片方をもみしだく。手のひらから溢れるようだった。

「あああっ」

 沙希が小さく叫ぶ。

「覚えてる……身体が……聡を覚えてる……!」

 沙希は喜びのあまり涙を流している。細い両腕が俺を絡めとる。

 沙希の身体に走る、何本かのメスの痕。ほとんどわからないのが肺の手術痕。まだ生々しいのが、胃の手術痕。痛々しい。だが、俺と沙希の歴史が、ここに刻まれているのだ。俺は、その傷跡にそっとくちづけをした。

「触って……もっと触って……」

 俺は下を脱がしてやった。脱がしやすいよう、沙希は膝を立てる。そのまま、両膝を広げさせる。それだけで沙希の呼吸がどんどん荒くなる。

 秘所を囲む茂みは、あの時と比べれば濃さをましている。鮮やかなままのひだの色とは対照的だ。しかし既に、その奥からは熱い液体がとめどなく溢れていた。

 ここから、聡美は産まれたのか。激しい感動が俺を揺さぶる。そっと、ひだに沿って舌を這わす。

「はぅ!」

 沙希の全身に、痙攣が走る。さらに、包皮をむいて容赦なく敏感なところを舐る。

「だ、だめ……だめ……あああっ」

 もう、俺のほうも限界だった。はちきれんばかりのその部分を、沙希のひだの間にあてがう。

「沙希、行くよ……」

「来て……来て、聡!」

 吸い込まれるように入っていく。沙希の中に。熱く燃え盛る命の灯の中に。

「ああ、あああ、聡が……入ってくる……」

 沙希の涙が止まらない。ゆっくりと動かす。そのたびに、沙希の吐息が漏れる。片肺では苦しかろうに、その顔は苦痛ではなく、歓喜に溢れていた。

「沙希……沙希……」

 俺はもう、うわごとのようにつぶやくだけだった。狂ったように腰を動かしつづける。

 やがて、訪れる絶頂。俺のありったけが、沙希の中にほとばしる。

「熱い……熱いのが、広がってく……」

 俺の下で、沙希は何度も身体を震わせた。

 ……一つになったまま、俺たちは深い眠りに落ちた。

 そして……朝となった。


「沙希」

「なに?」

「まだつながってるね」

「そうね」

「困ったな」

「何が?」

「小さくならない」

 沙希はくすくす笑った。

「じゃ、小さくするために」

 ……その日は、あやうく遅刻するところだった。

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