第10話 体育祭
その後も、沙希は検査と治療のために入退院を繰り返すことになる。次第に、家にいるよりも病院にいるほうが長くなっていく。相変わらず、癌の部位は特定できなかったが、ゆっくりと体力が低下していることがわかったからだ。
それでも、病院から学校へ通う時があったし、体調がよければ体育の授業を受ける日さえあった。だから、沙希が十月十日の体育祭に参加できたのは、かなり運が良かった方だと思う。
俺達の中学では、体育祭は学年ごとのクラス対抗で行われる。面白いのは、競技種目の総合得点だけでなく、応援合戦の得点も競われるという点だ。俺はキヨさんの陰謀で、応援団長にされてしまった。キヨさんのお古の空手着を着込んで、空手の型を元にした振り付けで、三三七拍子とかをやるわけだ。そんなの、恥ずかしくてたまらないのだが、沙希がすっかり面白がってるので、気合を入れてかかるしかない。
沙希の方はというと、あまり体力を使わない種目に出ることになった。一人二種目が決まりなので、一つは男女混合ムカデ競争になった。もう一つは、これまたキヨさんが強引に、借り物競争に決めてしまった。このあたり、なんらかの意図を感じる……。
体育祭当日。まずは全員が体育着に着替えて校庭に集合し、お決まりの校長の訓辞を受ける。曇りだが雨の心配はなさそうで、肌が弱い沙希にとってはありがたい天気だ。
その沙希はといえば、鉢巻をして長い髪をリボンで縛っていた。相変わらず細すぎる手足は誰よりも白く、抱きしめたら折れてしまいそうな危うさがあった。にもかかわらず……ついつい目が行ってしまうのだが……部分的に発育が良すぎるくらいのところもある。
背中を小突かれた。バカ吉田が後ろから囁く。
「うんうん、見とれちゃうよなぁ、沙希ちゃんぐっと女っぽくなっちゃって」
だから、「沙希ちゃん」はよせってーの。きっと睨みつける。
「こえぇー」
吉田は目をそらした。こいつ、夏の間にひょろひょろと背が伸びて、今ではクラスで二番目だった。俺も負けずに伸びたので三番目。だが、体力をつけるためスイミングスクールも欠かさなかったので、バランスは取れていると自分では思ってる。そのあたりで、キヨさんに目をつけられてしまった。今ではキヨさんとそう変わらない背丈なので、空手着が似合うというわけだ。
やがて、放送部員による実況中継の響く中、競技が始まる。応援団も活動開始だ。俺は空手着の帯をぐっと締めると高下駄を履き(全部キヨさんの所持品)、腹の底から大声を張り上げる。応援団は五人で、俺以外に男女が二名ずつ。男子は学生服に白鉢巻と白手袋、女子はテニスの衣装にボンボンだった。ちなみに、男子のうちの一人はバカ吉田だ。
やってみると、応援団は相当体力を使うことがわかった。もう秋風が吹いているのに、たちまち汗びっしょりになる。俺は百メートル走と八百メートルリレーに出ることになっているので、それまでに消耗してしまうわけには行かない。競技の入れ替えの間に一休みすることにした。
「お疲れ様」
そう言って、スポーツドリンクの入ったコップを渡してくれたのは、女子応援団員の安堂由香だった。いつぞやのテニス部室事件の関係者。一応、俺は知らないことになっているし、彼女には恨みも何もない。だが、俺が団長にされた後、真っ先に立候補してきたのは、彼女の側に未練があるからだろうか。
とにかく、人の好意を無にするのもなんだ。俺はコップの中身を飲み干して礼を言った。
「サンキュー、うまかったよ」
安堂はにっこり微笑んだ。いいやつなんだけど、沙希とはやっぱり違う。どこが、とは言えないのだが……。
その沙希は、次がいよいよムカデ競争だった。後ろの方で最後の練習中。このところ休みがちだったから大丈夫だろうか? と思って目を向けると、まさに将棋倒しになる瞬間だった。
あー、やっぱり足引っ張ってら。しかも、男女男女の順で列になっており、沙希は男子二人に挟まれる格好。しかもしかも、沙希の後ろは極悪人の吉田ではないか。ニヤケてやがる。許せん!
……が、応援団長の身ではクレームをつけるわけには行かない。やがて本番。俺の応援もむなしく、三度も転倒した挙句、沙希のチームはビリだった。
戻ってくると、沙希は可哀想なくらいしょげていた。こういう時に励ましてやるのは、応援団長の任務だな、うん。
「お疲れ様。惜しかったな」
そう言って差し出したコップを手にとる気力もないようだ。
「大丈夫だって。大体、転ばないムカデ競争なんてマスタードのないホットドッグみたいなもんだよ」
「……」
うーん、我ながら慰めになってないか。作戦変更。
「午後の借り物競争で頑張ればいいじゃないか、な?」
「……うん。頑張るね」
ようやく微笑んでくれた。よし、任務完了。
やがて、俺が出る百メートル走の時間になった。後は任せて、と張り切る安堂と、静かに見送る沙希の眼差しを受けながら、俺はスタートラインに立った。
ピストルの音と共に、俺は猛然とダッシュする。伊達に沙希を抱えて走り回ってたわけじゃない。結果は堂々の一位だった。
午前の部が終わり、昼飯時となった。今日はさすがに給食はないので、屋外で弁当となる。俺も自分で持ってきているが、作りたがりの沙希がバスケットにいっぱい持ってきているので、クラスのみんなに散々冷やかされながら、二人分を食うはめになった。さすがにきついので、他のみんなにもおすそ分けする。沙希の料理はいたって好評だった。
この時、俺は意外な人物を見かけた。
「あれ……浜田さん?」
沙希の父親が、ビデオカメラを構えて立っていた。この人、そんな趣味があったのか。そう考えてからふと気づく。これは、この人なりの準備なのだと。いつか必ず来る、別れの日のための……。
沙希を見る。父親に気づいた彼女は、恥ずかしそうにカメラに向けて手を振る。割り込んでこようとする吉田を押しやりながら、俺は精一杯の笑顔を記録に残そうと努力した。
午後の部が始まった。
八百メートルリレーは最終競技なので、思う存分応援に力を入れることができた。身長ばっかりで体力のない吉田がへばってくるので、何度か怒鳴りつける。
やがて、午後のメインイベントである借り物競争が始まった。今度こそと張り切る沙希。応援にも自然と熱が入るのだが……キヨさんがさっきからニヤケてるのが、やたら気になる。
ピストルの音。男女混合の選手一同がいっせいに駆け出す。コースの途中に台があり、その上に借りてくるものの名前が書かれた札があるのだ。思ったとおり、沙希は最後にたどり着いて、札を取った。そのまま凍りつく。どうした? 沙希。
その時、放送部による実況中継が耳に入った。
『今年のお題は「わたしの一番ナントカな人」です。楽しみですねー』
なんてこった。そのナントカってのがナニかは、容易に想像がついた。俺はキヨさんをにらんだ。涼しい顔でとぼけてやがる。やられた。これでは全校生徒の前で、沙希が俺に愛を告白するようなもんじゃないか……。
『おおーっと、三組の伊藤さんは田中君を連れてきました。意中の人でしょうか』
次々と引っ張り出されるカップル。恥ずかしいからか、同性の友達を連れてくる選手もいたが、大抵はクラスの連中がそうさせないようだ。
沙希は……う、やばい、こっちへ向かってる。トマトみたいに真っ赤な顔で。クラスメートはやんやと喝采するが、俺の耳には入らない。ただ、自分の心臓の音だけだ。
やがて沙希は俺の前で立ち止まる。そしておずおずと手を差し出し……。
「ごめんなさい!」
俺の手は空を掴んだ。唖然とする俺を残し、沙希は隣にいた吉田の手を引いて走り去ったのだ。
……何が起こったんだ、今?
グラウンドの真中では、にわかカップルがお題の札をマイクに向かって読み上げさせられている。
「わたしの一番すきな人です」
「わたしの一番大事な人です」
次々に起こる拍手。
最後が沙希の番だった。俺は、悪い夢でも見ているような、死刑の判決を待つ囚人みたいな気分だった。
沙希はマイクに向かって読み上げた。
「わたしの……一番苦手な人です」
……え?
一瞬の沈黙の後、全校が爆笑に包まれた。世界一不幸な男、吉田拓郎十三歳は、首の付け根まで真っ赤になっていた。まあ、同情の余地はないな。
沙希も真っ赤だ。でも、いい。生きてるって証拠だもの。
やがて、体育祭は終わった。最後のリレーで盛り返したおかげで、俺達一年一組は総合二位、応援合戦では一位となった。
後日、浜田氏のビデオを見せてもらった。沙希の借り物競争もしっかり撮られていた。俺は、あの瞬間に自分がどんなにアホ面をしていたかを見せ付けられた。
……これも楽しい思い出か。
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