第4話 三重苦の孤独

 二日後。浜田沙希は初めて登校してきた。


 結局、予定を変更し、昨日退院して、自宅でゆっくり休んで、今日から登校ということにしたらしい。

 HRの時、キヨさんはまるで転校生のように沙希を教室の前に立たせ、クラスのみんなに紹介した。沙希の闘病生活はちょっとした感動話だったし……俺は沙希のセーラー服姿に感動していた。今年は五月というのに七月なみに暑く、他の女生徒と同様、沙希も夏服だった。


 ……それにしても、スカートが短すぎないか?

 うん。入学時にあつらえたのに、一年間の闘病生活の間に、背丈が伸びたんだろう。


 全快を祝う拍手を浴びた後、沙希はたどたどしく自己紹介をした。次の休み時間には、沙希を何人かの女生徒が取り巻いて、楽しそうにおしゃべりをはじめていた。沙希はほとんど話さず、聞き役に回っているようだったが、なんとなくいいムードで始まったので、俺はちょっとほっとした。同時に、一抹の寂しさも。

 その日の俺は、ちょっとした探偵気分だった。決して気づかれぬように、距離を置いて沙希と彼女を取り巻く女生徒グループを尾行したのだ。……今で言うところのストーカー行為。

 異変が起きたのは、二限目が終わった休み時間だった。沙希を取り巻くグループは女子トイレに向けて移動中だった。男なら連れションと呼ぶ行為。まあ、それは置いといて……。

 廊下を歩いている時、グループの一人の女子が、突然「気をつけ」の姿勢になって叫んだのだ。

「吉岡先輩、おはようございます!」

 廊下の向こうから歩いてきた二年の女子が、うむ、という感じでうなづく。

 ……なるほど、こいつは運動部だったんだな。

 うちの中学では、部活のほとんどを運動部が占め、他校と比べても格段に先輩後輩の序列が厳しかった。とはいえ、中三は受験で引退するので、一番威張っているのが中二だ。なので、こんな光景は男女を問わず日常茶飯事だった。


 が……その吉岡先輩、沙希を見て表情が変わった。


「ちょっと……沙希ちゃん!」

「あ……順子ちゃん?」

 沙希の知り合いか?

「知らなかった……退院できたんだ」

「うん、今日から学校に」

 吉岡先輩、傍目も気にせず沙希を抱きしめる。……まあ、女同士だからいいが。

「ごめんね、ごめんね、お見舞いに行けなくて。塾とか部活とかあって」

 ……日曜祭日夏休み。一日くらいあったろ!

「いいのよ……みんな忙しいんだから」

 さすが、沙希は寛容だ。人格者!

 だがこの時、沙希を取り巻くグループの、沙希に向ける視線が変化したような気がした。

 次の休み時間。またもやグループは連れショ……いや、女生徒特有の友情を確認する儀式に旅立った。だが、そこには先ほど吉岡先輩に挨拶した女子が欠けていた。

 その次の休み、その次の休み……という具合でメンバーは減りつづけ、放課後になると沙希は一人ぼっちで教室に取り残されていた。


「浜田」

 たまらなくなって、俺は沙希に声をかけた。

「あ……霧島くん」

 返事をする直前に涙をぬぐっていたのは、見なかったことにしておこう。

「登校初日で疲れた?」

「うん、少し」

 少しじゃないだろうが……それも不問。

「どうする? どこか部活をのぞいてみる?」

 この学校で、俺みたいな帰宅部はごく少数だ。わざわざマイノリティーになる必要はない。どこか、穏やかな文化部に入った方が、気の合う友達を作るのには断然有利。

 しかし、沙希は首を横に振った。気がついているのだろう。自分が村八分にされつつあるのを。その理由が、進級が一年遅れているせいだということを。同級生にしてみれば、自分達の支配階級である二年生に友人がいる沙希は、いわば裏切り者のように思えるのだ。

 それでも、沙希が快活な少女だったら逃げ道がある。だが、母の死を看取り、自らも死に至る病を抱えている彼女は、そこまで精神的余裕がない。運動部なら、体力次第で信頼を勝ち得ることもできるが、土台無理な話だ。

 病弱、物静か、年上。この三重苦のせいで、彼女はクラスでも浮いた存在になりつつある。


 悲しい現実。なのに、どことなく満足している自分。

 偽善者。そこまでして沙希を独り占めしたいのか?


 ……自己嫌悪はいつでもできる。俺は沙希に目を向けた。

 沙希は考え込んでいた。

「難しいものね……思ったよりも」

 夕日がその白い顔を染め上げていた。

「運動部は論外よね。文化部なら色々できそうだけど」

(歌が好きなの……)

 初めて出会った時、沙希はそう言って泣いたのだった。沙希は肺が片方しかない。どんなに頑張っても、人の半分の肺活量しかないのだ。

「それでも先輩後輩の序列ってあるだろうし」

 沙希は……気づいていた。当然か、俺より一つ上なんだから。

「運動部のマネージャってのもあるぜ」

「無理よ」

 寂しげに笑う。

「休み時間に聞いたんだけど、炎天下でスコアボードつけたり、お洗濯したり、結構きつそうなの」

 うーん。知らなかった。

「じゃあ……帰る?」

 思い切って提案した。

「そうね、帰りましょ」

 あっさりそう言うと、教科書を鞄に詰め始めた。新品同然の革の学生鞄。失われた一年間の証。

 俺達は教室を出ると、校門まで歩いた。


「よう、お二人さん」

 キヨさんだ。空手着を着て、鉄棒に縛り付けた俵に拳や蹴りを入れている。空手部があれば絶対顧問になるだろうに、残念ながら我が校にはない。……ってことは、これは非公式な部員勧誘のデモンストレーションか。

「浜田、ごめんな、みんなにもうちょっと時間をやってくれ」

 ビシ! 鉄拳が決まった。

 ……わかってるじゃん、キヨさん。

「それから霧島! いつまでも女どもの尻おっかけてんなよ」

 バシ! 回し蹴りが決まった。

 ……余計なお世話だってーの。

 沙希はといえば、クスクス笑ってる。……バレてた?


 キヨさんに挨拶して校門をくぐり、二人並んでフェンス沿いの道を歩く。グラウンドではいくつもの運動部が練習をしていた。中にはクラスメイトも多数いるはず。多分、明日になれば俺達のことで噂が噂を呼んでいることだろう。

 ……でも、だからどうだというのだ。イジメが怖くて、癌と戦えるもんか。

 夕日を浴びてセーラー服を着て歩く沙希を見ながら、俺は一時の幸せを味わっていた。

 何があっても、沙希を守ってやる。ガキなりに、そう決意しながら。

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