第35話 決断の時(後編)
「夕方、魔術師数名とダグラスを店に向かわせる。それまでに別れの挨拶を済ませておくといいだろう」
「……はい、わかりました」
ビビアンのように、この世界にこのまま留まるという選択肢は雫にはない。
日本に戻れるのであれば、そうするのが当然のことだと考えているからだ。
(寂しいけど仕方ないよな。だって僕は本来、この世界に居るべき存在ではないんだから)
「……シズクよ。そなたには本当に感謝しておる。国王としても、一人の客としてもな」
「あなたのお陰で、国全体が以前よりも活気づきました。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ今まで本当にありがとうございました! 王都でバーをやらせてもらって、僕は沢山の幸せを分け与えてもらえました。このご恩は一生忘れません!」
「そうか、そう言ってもらえて良かったぞ。我らもそなたのことは後生忘れん。というより、これからも店に通うから忘れようがないのだがな!」
「はい! ぜひそうしてくだ……えっ?」
ガハハと笑いながら話す王に、笑顔で言葉を返そうとしたところ、雫は彼が勘違いしていることに気付いた。
ノザンチ王はどうやら<バー ドロップ>をこのまま残していってくれると思っているらしい。
「ん? どうかしたか?」
「あ、あの、本当に申し訳ないんですが、店を残していく訳には……」
雫にとって、ドロップは自身の全てだ。
それにそもそも自宅も兼ねているんだから、残していけるはずがない。
「……えっと、雫ちゃん? もしかしてお店ごと日本に戻るつもりなの?」
「えっ? もちろんそうですけど」
当たり前のことを尋ねてきたビビアンに雫は堂々と答える。
すると、その場に居た雫を除いた全員がぽかーんと口を開けて硬直した。
「……シ、シズクよ。先ほども言ったが、今回時空の歪みが発生したのは南の森だ。そこまでどうやって店を運ぶつもりなのだ?」
「あっ!」
王の言葉に、一足遅れて雫も固まる。
やがて勘違いしていたのは自分だということに気付いた。
(ってことは……今回は帰れない……よな!)
そう結論が出た時、不思議と雫はどこか嬉しさを覚えていた。
それもそのはず、この世界に残る大義名分ができたからだ。
「あの……すみません。僕もビビアンさんと同じく、今回はパスさせてください」
雫が言うと、その場に居た全員が目を丸くした。
「……本当にいいのか? 次はいつになるかわからないのだぞ?」
「はい! お店ごと転移されるのを待ちたいと思います!」
「そう、か。では改めて確認するが、今回は二人ともこのまま留まるということで良いのだな?」
「もちのろんの助よんっ!」
「はいっ! これからもお世話になります!」
「ふぅ……。それはこちらの台詞だ。二人には本当に感謝している。今後とも宜しく頼むぞ!」
雫とビビアンは気持ちの良い返事をし、しばしの談笑をした後、城から出た。
「それにしても意外だったわ。まさか雫ちゃんがこっちに残るなんて。でも嬉しいわ!」
「……僕もどこかほっとしている自分がいます」
「うんうん、気持ちはわかるわよ。じゃ、これからもよろしくね、雫ちゃん」
「はい、こちらこそ!」
ビビアンが差し出した右手を、雫は笑顔で握った。
それから二人はそれぞれ自分の店に戻るべく解散。
(よし、今日も仕事頑張るぞ!)
決意を新たにした雫は、軽い足取りで<バードロップ>へ向かった。
☆
「ごめん、遅くな――えっ?」
アーリアに任せっきりだったことを謝りつつ店の扉を開けた雫の目に、信じられない光景が映った。
それは溢れんばかりの客。
全部で20ある席は全て埋まっており、さらに立ったまま飲んでいる客がパッと見でも10人はいる。
今はまだ昼下がり、こんなにも大勢の客がいることは全く予想だにしていなかった。
「おっ、マスターが帰ってきたぞ!」
「お帰りー!」
「待ってたぞ!」
入口で硬直している雫に店中から声が飛ぶ。
一体何がどうなっているのか。
雫は困惑しながら店内を見渡すと、ゴンズにタンポポの花の面々、メルヘイムにヨンチョの一家など見知った顔が揃っていた。
「あ、あの……これは一体……?」
「お帰りなさい、マスター! 皆さん、マスターのために集まってくれたんですよ!」
雫の問いに、アーリアがシェーカーを振りながら答える。
「……僕のため?」
「はい、マスターは今日元の世界に帰ってしまうんですよね? だから皆さん、お別れを言いに来てくれたんです」
客にグラスを手渡しつつ、アーリアが言う。
その言葉を聞いてすぐに、雫はこの状況を理解した。
みんなは自分が日本に帰ると思い込んでおり、その見送りに来てくれたのだと。
「マスター、今までありがとな!」
「私達に新しい道を与えてくれてありがとうございました! 任してもらったお酒の普及、しっかりと頑張ります! だから……」
「ったく、リーダー泣くなよ! マスターが心配するじゃねーか!」
「……そういう、エリベールだって……」
「シズクよ。そなたのおかげで実に楽しませてもらった。感謝しておるぞ」
「私達一家はあなたのことを一生忘れません。これまで大変お世話になりました」
「おにーちゃん、ありがとー!」
次々と温かい言葉が雫に掛けられる。
しかし、その度に雫の焦りは増していった。
……それもそのはず、雫は帰らないのだから。
「……マスター。今まで本当に、本当にあり……」
そのことをどう切り出すべきか考えていたところ、カウンターから出てきたアーリアが口を開いた。
そして途中で言葉が途切れ、すすり泣く音が静かになった店内に響き渡った。
これは非常にまずい。
雫はこれ以上ややこしくならないようにと、一度思いっきり深呼吸をした後、勇気を出して口を開いた。
「あの……実は、今回は元の世界に帰らないことにしたんです……」
雫の言葉に誰しもが言葉を失った。
ただ一人を除いて。
「――えっ? 今なんて……?」
「えっと……このまま残ることにしたんだ」
目に涙を浮かべながら聞き返してくるアーリアに、雫は何ともきまずそうに答える。
「ってことは、これからもマスターと一緒に居られるってこと……ですか?」
「そ、そういうことになるね」
それを聞いたアーリアはぱぁっと顔が明るくなり、満面の笑みを浮かべた。
同時に、店のあちこちから一斉に野次が飛んでくる。
「なんだよ、そうならそうと早く言えよ!」
「そうですよ!」
「ったく! 焦らせやがって!」
「いやはや、それを聞いてほっとしました!」
「本当にすみません! 勘違いさせてしまって! ……皆さん、これからもよろしくお願いします!」
雫は頭を大きく下げ、明るい声で言った。
すると、今度は「こちらこそです!」「あたぼーよ!」といった温かい言葉が返ってくる。
今、ここに集まっているのは、雫から幸せを与えられた者達。
しかし、それ以上に雫は客達から幸せをもらっていた。
(僕は本当に幸せ者だな)
改めてそのことを実感した雫は、日頃の感謝の気持ちを込め、皆に些細な贈り物をすることにした。
「お騒がせしたお詫びとして、今から閉店まで銅貨二枚で飲み放題にさせて頂きます! 遠慮せず、どんどん飲んでください!」
「マジかよ! そういうことならとことん飲むぜ!」
「私も!」
「なら、あーしはファジーネーブルで!」
「俺はいつも通り、グレンフィディックだ!」
客達から次々に注文が飛んでくる。
「――マスター、頑張りましょう!」
「うん、アーリアちゃん、今日もよろしくね!」
「はいっ!」
☆
「「ふぅ……」」
最後の客を見送った二人から、大きな溜め息がこぼれる。
「い、忙しかったですね」
「だね、流石に疲れた……。アーリアちゃん、今日もお疲れ様!」
「はい、お疲れ様でした! ……あの、マスター」
「ん?」
「また、これからよろしくお願いします!」
「うん、こちらこそ!」
雫は顔を綻ばせながら、アーリアに右手を差し出した。
それを両手で握ったアーリアは、幸せに満ち溢れた笑みを浮かべた。
そんなアーリアを見て、雫はより表情を輝かせる。
(よし、明日からも頑張るぞ!)
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