第34話 決断の時(前編)
<バー ドロップ>が王都に転移してからおよそ半年。
(よし、今日もがんばるぞ!)
身支度を整えた雫は心の中で呟き、家から出た。
そうして階段を軽々と下り、一階部分にあるバードロップの重い扉を引き開ける。
「あ、マスター! おはようございます」
雫の目に映ったのは、淡い青色の髪と瞳が印象的な小柄な女の子――アーリア。
それと見慣れた顔の男性が一人。
「おはよう、アーリアちゃん。それにダグラスさんも! こんな早くにどうしたんですか?」
王に仕える兵士の一人にして、ドロップの常連の一人でもあるダグラスだ。
「開店前にすまない。シズク殿、陛下がお呼びだ。急ぎ、城へと同行してほしい」
いつもの荒っぽい口調とは正反対の口調に、雫は事の重大さを感じた。
何があったのかはわからないが、とにかく急いだほうがいいだろう。
「はい、わかりました。アーリアちゃんごめん、後は任せていいかな?」
「もちろんですっ! お店のことは心配しないでください!」
「うん、よろしく! じゃあ、行ってくるね」
雫はアーリアに店を任せ、ダグラスと共に城へ急いだ。
☆
玉座の間に辿り着くと、王と王妃、それにビビアンの姿があった。
「――急に呼び出してすまんな、二人とも。早急に伝えねばならないことがあってな」
「……何かあったの?」
真剣な表情で話すリバラルティア王に対し、ビビアンもいつにもなく真剣な顔で尋ねる。
「実は先ほど、魔術師から『南の森で時空の歪みを観測した』と知らせがあった」
「なぁんだ、そのことだったのね。あたしはいつも通りパスよんっ!」
「まあ、ビビアンはそう言うだろうと思っておった。今回も念のため呼んだが、気持ちに変わらないようで何よりだ。……が、シズクはそうではないだろう?」
王は雫の目を真っ直ぐに見て、そう尋ねてきた。
しかし、雫には何のことだかさっぱりとわからない。
「えっと、話の内容がよくわからないんですが……」
「帰れるのよ、日本にね」
「えっ?」
「今日の日没から夜明けにかけ、南の森に時空の歪みが生じるそうだ。そこに居ればシズクは元の世界に戻れるであろう」
「そう……ですか……」
それを聞いて、雫は何とも複雑な気分になった。
あっちにはもうすっかり疎遠になってしまってはいるものの、友人など大切な人が大勢いる。
ただ、こっちで知り合った人達も同じくらい大切に感じていた。
そう、雫はすっかりとこの異世界の国――ニーログーネ王国のことを好きになってしまっていたのだ。
帰りたいけど、帰りたくない。そんな相反する想いが頭の中を駆け巡った。
☆
「ふぅ。これでよしっと!」
布巾を片手に、ピカピカになった店内を見渡しながらアーリアは満足げに呟いた。
(ちょっと早いけど、もう準備も済ませたし、お店開けちゃおう。マスターもそうしてるし)
雫は開店準備が早く終わった時、いつも前倒しして営業を開始していた。
アーリアもそれに倣い、営業時間にはまだニ十分ほど早いものの店を開けることに。
早速営業中であることを知らせるべく、店の外に出て、扉に取り付けられたランプのスイッチをオンにする。
「よし、今日も頑張ろう!」
気合いを声に出し、店の中にさあ戻ろうとした瞬間、
「――い! おーい、アーリアちゃん!」
背後から男性の声が聞こえてきた。
反応して振り返ると、ゴンズが走って近づいてきている。
「あっ、ゴンズさん! おはようご――」
「アーリアちゃんっ! マスターは、マスターは居るか!?」
ゴンズは言葉を遮ると、両肩をガシっと掴んで慌てた様子で尋ねてきた。
「ま、マスターなら陛下に呼ばれてお城へ行きましたけど……?」
「そうか……。やっぱりあの噂は本当だったのか……」
「あっ、もう営業してるのでよかったら中にどうぞ!」
一体どうしたんだろうと疑問に思いつつも、ひとまず店の中にゴンズを引き入れた。
「――それでマスターに何か用事でもあったんですか?」
そうしてカウンター席に腰を降ろしたゴンズに、水を提供しつつ尋ねる。
ゴンズは水を一気に飲み干すと、いつにもなく真面目な顔で口を動かし始めた。
「噂で聞いたんだが、今日時空の歪みが観測されたそうだ」
「時空の歪み?」
「ああ。異世界……マスターが元居た世界に繋がる入口みたいなもんだ」
「えっ……? それってつまり……」
「そうだ。マスターは今日元の世界に帰っちまう……」
アーリアは言葉を失った。
いつかこんな日が来ることは覚悟していた。
しかし、いざその時を迎えてみると覚悟は全く意味をなさなかった。
「で、でも! それってただの噂なんですよね?」
必死に言葉を紡ぎ出し、ゴンズから「そうだ」と返ってくるのを待つ。
「……陛下に呼ばれたんだろ。わざわざ城に呼び出してマスターに伝えることなんざ、その話くらいしかない。ビビアンも何度か陛下に呼び出されているそうだが、その時は決まって時空の歪みの話だといっていた。つまり噂は本当なんだ」
だが、ゴンズから求めていた言葉は帰ってこなかった。
(そっか、今日でマスターとお別れなんだ)
その現実をようやく理解したアーリアに、一気に悲しみや寂しさが襲い掛かる。
やがて、彼女の目元から大粒の涙がとめどなく溢れた。
数分後、ようやく落ち着きを取り戻したアーリアに気持ちの変化が訪れた。
このままでは雫が安心して元の世界に帰れない。
別れは本当に辛いけれど、心配させないためにも笑顔で見送ろう、と。
そう考えた瞬間、突然ゴンズが席から立ち上がった。
「――よし。みんなを集めてくるから、アーリアちゃんは俺に任せてここで待っていてくれ」
「えっ?『集めてくる』ってゴンズさん、一体何を……?」
「決まってんだろ!マスターがこの世界に留まってもらえるようにみんなで説得するんだよ」
予想外の言葉にアーリアは唖然とした。
「だ、ダメですよ、そんなこと! マスターが帰りづらくなっちゃうじゃないですか!」
「あ゛あ゛っ!? だったらアーリアちゃんはマスターが帰っても平気だって言うのかよ!?」
ゴンズはカウンターに拳を打ち付け、声を荒げた。
「わ、私だって、マスターとさよならするのは嫌ですっ! でも……それでもっ! マスターの気持ちを一番に尊重するべきでしょう!?」
それに対し、アーリアは怯むことなく強い口調で言い返す。
そんな彼女の様子にゴンズは逆に圧倒され、思わず口を噤んだ。
アーリアは大きく息を吐き、話を続けた。
「私達がすべきなのはこれまでの感謝をしっかりと伝えて、笑顔で見送ってあげることじゃないんですか……?」
「……そう、だな。アーリアちゃんの言う通りだ。一番辛いのはアーリアちゃんなのに……怒鳴ってすまん、許してくれ」
「……いえ、私のほうこそ生意気なことを言ってしまってすみません」
「何、悪いのは俺のほうだ。さて、俺はもう行くわ。みんなを集めないとな」
「えっ、ちょっと――」
「心配すんな。引き留めるためじゃねえ、みんなで感謝を伝えるためだ」
そう言い残してゴンズは店から出ていった。
「ふぅ……」
(理解してくれたみたいでよかった。本当は私もマスターとずっと一緒に居たいけど――)
心の内でそこまで思ったところで、アーリアは思いっきり頭を左右に振った。
「よし、仕事仕事っと!」
そうして暗い気分を振り払うかのように、明るい声で一人呟いた。
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