第23話 とある家族(後編)

「ふう……。すみません、お会計をお願いします」


 一家が二杯目のドリンクを飲み終えたところで、主人がカウンターに近づいてきた。


「えっ、もうですか? ……あ! いえ、すみません!」


 それに対し、アーリアは思わず言葉を漏らすも、すぐに駄目なことだと気付いたのか謝罪の言葉を述べた。


 とはいえ、アーリアが驚いたのも無理はない。

 何せこの国の住人は大酒飲みなのか、一人当たり4~5杯は平気で飲んでいく。

 そんな中、2杯で帰ろうとしているのだ。確かに珍しくはある。


「あはは、恥ずかしながら余裕がなくてね。それでいくらになるのかな?」


 アーリアの失礼な言葉を気にすることなく、主人は明るくそう言った。


「あの、本当にすみません! えっと、最初の三杯はサービスなので、残り三杯分で銅貨9枚ですね」


 アーリアはしっかりと頭を下げてから金額を伝えると、主人は驚いたような顔を浮かべる。

 その直後、何かを察したかのように微笑みながら口を開いた。


「気を遣わせてしまったね。でもいくら貧乏でも、私達だけ特別扱いしてもらう訳にはいかないよ。それに既にサービスしてもらっているしね! それで本当はいくらになるのかな?」


 主人の言葉を聞いて、彼が勘違いしていることに気付いた雫はアーリアに代わって告げた。


「銅貨9枚です! 基本的にうちは一杯につき銅貨3枚なので。特別扱いしている訳ではなく、これが正しい金額なんです」

「こんなに美味い酒が銅貨3枚だなんて……。本当によろしいのですか? 儲けがでないのでは?」

「いえ、おかげさまで多くのお客様が来てくださっているので、問題なくやれています!」


 雫がそう説明すると、主人は納得がいったように一度大きく頷いた。


「実は一杯あたり、銀貨一枚くらいかなと思っていたんです。ですから一杯だけと考えていたのですが……。よければもう少しお酒を頂いていってもいいですか?」

「はい、もちろんです! ありがとうございます! では次はどうしましょう、先ほどと同じお酒にされますか?」

「うーん、そうですねえ……」


 顎に手を当てて考える主人。

 そんな様子を見ていると、店の扉が開かれた。


「「いらっしゃいませっ!」」

「おう! おっ、おやっさんじゃねーか。それに奥さんと嬢ちゃんも。来てたんだな」


 店に入ってきたゴンズがその一家に声を掛ける。どうやら知り合いのようだ。


「ゴンズさんじゃありませんか! 良い店を教えて頂いてありがとうございます!」


 言いながら主人は頭を下げ、それに妻と娘が続く。


「いいってことよ! おっ、そうだ。おやっさん、いつものあるかい?」

「はい、もちろんありますよ! 少し待っててくださいね!」


 主人はテーブルに戻り、床に置いてある大きなバックを漁り出した。


 その間にゴンズはカウンター席に座り、アーリアから紙おしぼりを受け取りつつ、馴染みの酒の名前を口にする。

 注文を受けた雫がグレンフィディックのロックを作っていると、


「お待たせしました、ゴンズさん! いつもありがとうございます!」

「おう、こちらこそな」


 主人がゴンズに巾着袋を手渡した。

 それを受け取ったゴンズは代わりに何枚かの銅貨を渡している。


「お待たせしました!」


 同時に雫もゴンズにウイスキーを提供した。


「おう! かぁー、染みるぜえ」


 そんなゴンズの言葉を聞きながら、雫は主人に注文を尋ねる。


「それでお客様、次のお酒はどうされますか?」

「おっと、忘れてました! それでは、また同じ物でお願いします!」

「かしこまりました!」


 そう答えると、主人はテーブル席へと戻っていった。



 三度みたび、ドリンクを作っていると、


「マスター、ここで食ってもいいかい?」


 ゴンズが巾着袋から茶色く、親指の爪ほどの大きさをした何かを指でつまみながら聞いてくる。


「ええ、どうぞ! よかったらこれを使ってください」


 本来、バーで食べ物の持ち込みはマナー違反。


 だが、ここは異世界。それにゴンズはドロップの大常連。

 なので雫は快諾し、その食べ物らしきものを食べやすいように小皿を手渡した。


「おっ、すまねえな。それじゃあ」


 ゴンズは巾着袋の口を大きく開き、豪快に中身を小皿に移す。


(おっ、ドライフルーツだ! へえ、この世界にもあるんだな)


 雫はその見た目から果実を乾燥させた食品――ドライフルーツだと判断した。

 あいにくドロップでは扱っていないが、ショットバーでは定番のフードメニューだ。


 ゴンズはそれを一つつまんでは食し、ウイスキーを流し込む。


「思った通り、相性抜群だな! こりゃイケるぜ。どうだい、マスターも」

「ありがとうございます! ではお酒を作り終えたら頂きますね!」


 それから雫は三つのドリンクを仕上げ、アーリアに手渡す。



 そしてゴンズからドライフルーツを受け取り、口に運んだ。

 見たところイチジクのようだ。


(――う、美味い! 味がギュッと濃縮されていて濃い! 日本のよりも断然美味しいぞ!)


「ほら、アーリアちゃんも」

「あ、ありがとうございます」


 お代わりを提供して戻ってきたアーリアに、ゴンズは小皿を差し出した。

 彼女はつまんだオレンジを不安そうに眺めた後、恐る恐る口の中に放り込んだ。


 その瞬間、アーリアの目が大きく開かれる。


「お、美味しいです!」

「だろ? ドライフルーツ屋なんてものを開いちまうのも納得だ」

「ドライフルーツ屋……ですか?」

「ああ、おやっさんは元々果物屋でな。偶然作れたこのドライフルーツに可能性に見出して、これ一本で勝負することにしたんだと。まあ果物屋も繁盛しているとは言えなかったからな。ただ――」

「ただ?」

「果物屋の時以上に繁盛してねえらしくてな」


 それを聞いて、だから貧乏だと言っていたのかと雫は合点がいった。


「そうなんですか。こんなに美味しいのに」

「ああ。その、ほら、見た目がな」


 正直見た目はあまりよろしくない。

 日本でよく見かけるフリーズドライ製法で作られたものと異なり、全体的に茶色いのだ。


「……確かにその見た目から、あの美味しさは想像できませんでした」


 アーリアも同じ感想のようだ。


「そうなんだよなぁ。本当、見た目で損してるぜ。一度食えば美味いのがわかって、売れること間違いねえのに」


(ゴンズさんの言う通りだ。これだけ美味しいドライフルーツは僕も食べたことがない。正直、うちで出したいくらいだ。……よし!)


 ドロップは開店当初こそ様々なフードメニューを用意していたが、あまりの客の来なさに食材が無駄になってしまったため、ほとんどのメニューを削除した。

 今用意しているのは、ミックスナッツとピスタチオだけだ。


 こっちに来て客が増えてきたこともあって、そろそろフードメニューを増やそうかと考えていたところだったため、このドライフルーツは魅力的だった。


 雫はゴンズに一言断り、一家の元へ。


「あの、すみません。今少しよろしいでしょうか?」

「ん? はい、もちろんですとも! 何でしょう?」

「ゴンズさんから、お客様はドライフルーツを扱っているとお聞きしまして」

「え、ええ。その通りですが……」

「よければお店の場所を教えて頂けませんか? 実は先ほど少し頂いて本当に美味しかったので、うちで提供させてもらいたいなと思いまして。ぜひ購入させて頂ければと」

「「えっ……?」」


 雫が言うと、夫婦は驚きの声を上げ、そのまま硬直した。


「あ、あの、駄目だったら全然……」

「……マスター。もしも私らを助けようと考えてくださっているのなら、その気持ちは大変嬉しいですが……」


 もしかしたら失礼なことを言ったのかと一瞬不安がよぎるも、そうでなかったことがわかって雫は内心でほっとした。

 そして勘違いを解くべく、話を続けた。


「いえ、そうではありません! 本当に美味しかったので、純粋におつまみとして出させて頂きたいなと思ったので!」

「……本当ですか?」

「はい、間違いなく売れますから!」


 それを聞いた主人はグラスに手を伸ばし、ウイスキーをクイっとあおる。

 その後、足元のカバンから巾着袋を一つ取り出してテーブルの上に置くと、それを見つめながらゆっくりと口を開いた。


「……私はこのドライフルーツを初めて作った時に確信しました。これは売れると。しかし、実際は見た目の悪さに加え、『干した果物を使う必要性が感じられない』と菓子屋では扱ってもらえませんでした。それならばと、店先で販売しても足さえ止めてもらえない始末。妻ともそろそろ店を畳もうかと相談していたんです」


 主人は再びウイスキーを呷り、グラスをそっとテーブルに置いた。

 カランと氷の当たる音が静かな店内に響き渡る。


 重い空気を察してか、先ほどまでは元気いっぱいにお喋りしていた娘も黙ってシンデレラを飲んでいた。


 それからしばし沈黙が続いた後、主人は大きく頷き、雫の右手を両手でギュッと握った。


「ありがとうございます! あなたは私ら一家にとって恩人です! 一袋でも構いませんので、ぜひ扱って頂けると!」

「よかったです! それではまず20袋ほど頂きます!」

「に、20……」


 数を聞いた主人は目を大きく見開き、口を何度もパクパクとさせている。

 驚きのあまり、言葉が出ないようだ。


「うぅ……」


 直後、黙って聞いていた妻が突然両手で目を覆って、シクシクと泣き出した。


 この夫婦は扱ってもらえるといっても、せいぜい2~3袋程度だと思っていたのだろう。

 それでも初の得意先ができたのだ。微々たる売り上げであっても、十二分に嬉しい。


 それが予想を遥かに上回る20袋ときた。

 夫婦の反応がポジティブな意味合いであることは、誰の目にも一目瞭然だった。


「おとーしゃんとおかーしゃんをいじめるな!!」


 ――ただ一人を除いては。

 まだ小さく、話の内容が理解できない娘にとっては、雫が二人に意地悪をしたように映ったのだろう。


「違う、違うの……。お母さんはね、嬉しくて泣いちゃったの。このお兄さんが私達に幸せをくれたのよ」

「しあわせ?」

「ええ。だからお礼を言わないとね」

「そっかあ! おにーちゃん、ありがとー!」


 少女は満面の笑みを浮かべて、頭をペコリと下げた。


「お礼だなんて……」

「いえ、あなたは恩人です! 本当にありがとうございます! ――それでドライフルーツですが、今すぐにお渡しできますがいかがでしょうか?」


 主人は足元のカバンに視線を落としながら言った。

 その声色には先ほどまでは感じられなかった、覇気が感じられる。


「そうですか! それなら早速――」


 商談に入ると、主人は本来一袋あたり銅貨5枚で販売しているのを、3枚で卸してくれると言ってきた。

 雫は定価で買い取ろうと考えていたものの、「これ以上は甘えられない」とのことで素直にその提案を受け入れた。


 かくして交渉が成立したことで雫は20袋分の代金、銀貨6枚を主人に手渡す。

 代わりに大量の巾着袋を受け取り、それらはアーリアにバックヤードに運んでもらった。


「ありがとうございます! 早速メニューとして出させてもらいますね! これからもよろしくお願いします……えーっと」

「おっと、これは失礼。自己紹介がまだでしたな。私はヨンチョと申します。妻娘共々、どうぞこれからよろしくお願いします!」

「ヨンチョさんですね、こちらこそお世話になります!」


 二人は挨拶をした後、固く握手を交わした。


「よかったな、おやっさん! よし、今日はお祝いだ! 俺が奢るから、たらふく飲もうや!」

「ありがとうございます! しかし、そんな甘える訳には……」

「いいってことよ! それにアーリアちゃんから聞いたんだが、今日は結婚記念日と嬢ちゃんの誕生日なんだろ? こんなめでたい日くらい、気持ちよく奢らせてくれよ!」


 ヨンチョとその妻は顔を見合わせ、無言で互いを見つめ合う。

 ひと呼吸おいて二人とも同時に頷いた後、ゴンズに向かって頭を下げた。


「「ゴンズさん、ご馳走になります!」」

「おうよ! 嬢ちゃん、今日は好きなだけ飲んでいいからな! いつもいい子にしている嬢ちゃんに、兄ちゃんからのプレゼントだ」

「わーい、やったあ! おじしゃん、ありがとー!」

「お、おじさんって……」


 少女の言葉にその場の空気が一気に明るくなり、<バー ドロップ>には幸せに満ちた笑い声が響き渡るのだった。

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