第14話 バー ドロップ初の従業員
「……えっ?」
アーリアからの思いもよらない申し出に、雫は目を白黒させた。
「――私をここで働かせてください!」
そんな雫にアーリアは繰り返す。
「え、えっと、あの。ビビアンさんのところで雇ってもらえることになったんじゃ……?」
あのビビアンのことだ。
誘っておいて、やっぱり無理だったなんて無責任なことはまず言わないだろう。
それがどうして、ドロップで働きたいということになるのか。
雫には見当もつかなかった。
「はい。ビビアンさんはそう言ってくれました。でも! 私はここで働きたいんです!!」
このままでは
そう判断した雫は詳しく話を聞くため、アーリアを店の中に入れた。
そうしてテーブル席に座ってもらったところで、話を続ける。
「えーっと、それではアーリアさん。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はいっ!」
「ど、どうしてうちで働きたいと……?」
「昨日マスターを見てて思ったんです。その……素敵だなって!」
思わぬ言葉に雫の胸がドキンと跳ねる。
人並みに恋愛経験はあるものの、女性からここまでストレートに好意を伝えられたのは初めてだ。
それも人形のような美少女からときた。
突如として訪れた春にドキドキするあまり、雫は二の句を継げないでいた。
すると、アーリアが続けて口を開く。
「マスターは迷い人だから魔法を使えないですよね。それなのに、あんなに美味しいお酒を作って、みんなを笑顔にしているのを見て本当に素敵だなって! 私もマスターみたいになりたいなって! だから、私はここで働きたいと思ったんです!」
「……そ、そういうことでしたか」
雫の春は去った。
アーリアはただバーテンダーという職業に憧れているだけ。
勘違いしていたことに気付いた雫は途端に恥ずかしくなるものの、一度大きく咳払いをすることで無理やり気持ちを切り替えた。
(それでどうしよう。誰かを雇うなんて考えたこともなかった。……あ、でも最近忙しくなってきたし、人を雇うのもアリかもな)
<バー ドロップ>は、カウンター8席・4人掛けテーブルが2脚・2人掛けテーブルが2脚の計20席。
両親が遺した店が広かったため、スペースを最大限有効活用した結果、このような席数となった。
本来、到底一人で捌けるキャパシティーではないが、雫とて満席になるなんてことは夢にも思っていなかった。
あくまでも客が好きな席を選べるようにと、配慮しただけに過ぎない。
ところが最近は来てくれる客が日に日に増えており、昨日は一瞬ではあるが満席にもなった。
これ以上なくありがたいことだが、その状態が連日続くようなら正直一人では身体が持たない。
幸い、金銭的に余裕が出てきたこともあって、アーリアの申し出を断る理由はどこにもなかった。
(よし、アーリアさんを雇おう! あ、でもその前に)
「あの、もう一つ聞きたいんですが、ビビアンさんにはこのこと――」
「話してます! それで応援してくれました!」
ビビアンはドロップの常連かつ、雫が異世界に来てから最もお世話になっている人物。
そのビビアンの厚意を
「わかりました! それでは、アーリアさん。これからよろしくお願いします!」
「……えっ? あ、あの、本当に私を雇ってくれるんですか?」
「はい! すぐにお酒を作らせるという訳にはいかないので、まずは接客からになりますが」
「あ、ありがとうございます!! 私、一生懸命頑張ります!」
アーリアはそう言って、頭をペコリと下げた。
彼女ならその言葉通り、本当に頑張ってくれそうだ。
「はい、一緒に頑張りましょう! それで、いつから働けそうですかね?」
「私はいつからでも大丈夫です! あ、もちろん今からでも!」
「そうですか! じゃあせっかく来てもらったことだし、今日からお願いします! あ、そうだ。ちょっとここで待っててください」
雫は店を出て、急いで二階の自宅へと戻った。
そして、そのまま残していた親の部屋のタンスを漁ると、
「あ、あった! やっぱり取っといてくれたんだ」
予想していた通り、子供の頃に買ってもらったワイシャツを二着見つける。
母のもったいない精神がこんなところで役に立った。
(ありがとう、母さん)
それを持った雫は一階のバーに戻り、バックヤードの中へ。
そこでベストとネクタイを手に取ると、アーリアに手渡した。
ネクタイは結ばなくていいよう、フック式のものだ。
「あの、これ制服です。ちょっとベストが大きいかもしれないけど」
「わあ! ありがとうございます!」
「いえいえ! それで狭くて申し訳ないんですけど、よかったらそこの物置き部屋で着替えてきてください!」
「はい、わかりましたっ!」
アーリアは満面の笑みを浮かべながら、バックヤードの中へと入っていった。
それを確認した雫は、着替えを待つ間に彼女に支払う給料を考えることに。
(うーん、日給で銀貨5枚ってところかな)
営業前後の準備・片付けを含めた約11時間で、およそ10食分の賃金。
まだ、この国での金銭感覚をよく理解できていないが、まあ妥当な金額だろう。
安すぎるようであれば反応を見ればわかるため、まずは銀貨5枚を提示してみることにした。
その数分後。
「あの、お待たせしました……。ど、どうでしょうか」
バックヤードから制服姿になったアーリアがモジモジとしながら出てきた。
肩下まで伸びた淡い青色の髪。
同じく青色のぱっちりと開かれた大きな目に、真っ白でキメが整った美肌。
まだあどけなさが残る容姿に、白と黒で構成されたシックな衣装がギャップを生み出している。
その風貌が何とも愛らしい。
「おお! 凄く似合ってますよ!」
「ほんとですかっ! それならよかったです! それとマスター、一つお願いがあるんですけど……」
「はい、何でしょう?」
「よければ敬語は辞めてください! その、何だかお客さんみたいな感じがしてしまって……。あ、無理でしたら、全然今のままでもいいんですけど」
アーリアにそう言われて、雫は確かに他人行儀だなと自認。
距離を縮めるためにも、もう少しフランクに接することにした。
「……わかった、それじゃあこれからはアーリアちゃんで! それと僕からも話があるんだけどいいかな?」
「ありがとうございます! はい、何でも言ってください!」
「お給料のことなんだけど――」
雫は勤務時間と賃金、それと自由に出勤してくれていいという旨をアーリアに伝えた。
本音を言えば毎日でも来てほしいところだが、今までの冒険者とはまるで仕事の内容が違う以上、ひとまずは無理のない範囲で出勤してもらうことにしたのだ。
すると、アーリアは提示した銀貨5枚という金額に大層満足そうな表情を見せた。
これで取り敢えず、条件面は纏まった。
そうこうしている内に時刻はもう12時半。
もうそろそろ開店の時間だ。
雫は最初の仕事として、アーリアにカウンターやテーブルの拭き掃除を任せる。
自身は氷をカットしようと冷凍庫を開けたところ――
「あっ!!」
残り僅かな氷を見て、大切なことを忘れていたのを思い出した。
(そうだった……。どうしよう、もう間に合わないしなぁ……)
「あの、どうしたんですか?」
声に反応したアーリアが首を
「いや、氷の在庫が少なくてね。今日一日で、ギリギリ足りるか足りないかくらいだと思うんだけど」
「氷……ああ、お酒に入っていた氷ですね! それなら私に任せてください!」
アーリアの言葉を聞いて雫はハッとする。
そうだ、今はもう一人ではない。彼女にお願いして、調達してきてもらえばいい。
そう考えた雫は金庫から金を取り出し、アーリアに手渡そうとしたその時――
「――えいっ!」
いつの間にか、カウンターの中に入ってきていたアーリアから可愛らしい掛け声が飛び出る。
それと同時にまな板の上に、サッカーボール大の巨大な丸い氷が出現した。
「……えっ?」
「ど、どうでしょう? これで大丈夫そうですか?」
虚空から突如として現れた氷に言葉を失っていた雫は、アーリアからの問いかけにハッと我に返る。
「え、あ、うん。あの、これってまさか魔法……?」
「はい、そうですよ! 私でも、さすがにこの程度の魔法なら使えるので」
(す、凄いんだな、異世界って……)
アーリアは自覚していないようだが、雫にとってはまさに奇跡の所業。
特に無から氷を生み出すなんて能力は、バーテンダーである雫からしてみれば喉から手が出るほど欲しい代物だ。
「……アーリアちゃん、もしかしてこれって小さくできたりする? えっと、このグラスに入るくらいに」
「やってみます! ――えいっ!」
物は試しにと、二種類のグラスを手にした雫が言ってみると、ゴルフボール大とテニスボール大の氷がまな板の上に出現した。
「アーリアちゃん! 凄い、凄いよ! おかげで氷はなんとかなる。本当にありがとう!」
「え、えっと、どういたしまして。氷魔法に適性があれば誰でもできる簡単なことですけど……」
見事なまでの完璧な球体。
バーで提供される丸氷よりも断然綺麗で、その美しさはもはや芸術の域である。
手間をかけずにこの氷を使えるのは、雫にとっては大助かりだ。
その後、雫はアーリアにいくつか氷を作ってもらい、冷凍庫に保管。
問題が解消されたこともあって、13時を迎えたと同時に本日の営業を開始した。
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