第15話 バーテンダーとしての才能

 開店したといっても、そうすぐには客は来ない。

 なので雫は客が来るまで、アーリアに研修を行うことにした。


「えっと、まずお客さんが来たら『いらっしゃいませ』って挨拶して、2人までならこのカウンター席、3人以上ならあっちのテーブル席に案内してくれる?」

「はいっ!」

「それとグラスを洗うのと、お代わりを提供するくらいかな。後はカウンターに座っているお客さんとお話ししてくれていれば大丈夫!」

「え? そ、それだけでいいんですか?」

「うん! まずはそれでお願い! お酒のことを覚えてきたら、少しずつ他の仕事もお願いするね」


 住人達に酒の知識が全くない以上、どういう酒を飲みたいのかを会話から聞き出した上で、提供した酒の説明を逐一ちくいち行わなければならない。

 そのため、注文聞きやお代わり以外の提供を任せる訳にいかず、現時点でアーリアに任せられることはそのくらいしかないのだ。


「はい、わかりました! 頑張りますっ!!」

「うん、よろしくね! じゃあお客さんが来るまで特にやることもないし、早速お酒の勉強でもしよっか!」


 雫はそう言って、棚から二種類のウイスキーを手に取った。

 タリスカー10年とグレンフィディック12年だ。


 それらをチューリップのような形をした小柄で脚の付いたグラス――テイスティンググラスにそれぞれほんの少しだけ注ぎ入れる。


「これはウイスキーというお酒でね。えーっと、味わい深くてちびちび飲むお酒って言ったらいいのかな」


 麦芽や穀物を原料にした蒸留酒といっても、当然伝わりはしない。

 そもそも、客も異世界の酒としか認識しておらず、どういう原料でどうやって作られているのかなどは興味を持っていない。


 そのため、教えたところでその知識は無駄になってしまう。

 なので雫は敢えてこの程度の説明で留めた。


「この香り……あ、もしかして昨日ビビアンさんが飲んでたお酒ですか?」

「そうそう! よく気付いたね。ビビアンさんはこのタリスカーっていうウイスキーがお気に入りなんだ。よかったらこれ飲んでみて」


 雫はタリスカーが入ったほうのグラスをアーリアに手渡す。


「え、飲んでもいいんですか?」

「もちろん! これは勉強だから!」


 まだ先の話だが、いずれは酒の説明もできるようになってもらわなければならない。

 そのために最もタメになるのは、自分で飲むことでどういう味・香りなのかを知ってもらうことだ。

 だからこれは必要経費であり、気を遣う必要は全くない。


「じゃあ、頂きます!」


 アーリアは嬉しそうな声を上げ、グラスを口に運んだ。


 繰り返しになるが、これはあくまで酒の勉強。

 17歳の少女にウイスキー、それも癖が強いタリスカーとなれば少しキツいかもしれないが、今後のためにも慣れてもらうしかない。


 実際、雫も最初はウイスキーをあまり飲めなかった。

 が、繰り返し口にする内に普通に飲めるようになり、今では美味しいと感じられるようになった。


 アーリアにもそうなってもらえたら。という雫の考えであったが、


「あ、このお酒美味しいですねっ! ちょっとピリっとしますけど、それが何だか癖になりそうです!」


 その心配は杞憂だった。


 アーリアはウイスキーがイケる口らしい。

 やはり、この国の住人は酒にかなり強いようだ。


「そ、そっか! それはよかった! ビビアンさんはこのタリスカーっていうお酒をよく飲むから、よければ覚えておいてあげてね」


 タリスカーのボトルを指で差しながら伝える。


「ビビアンさんはタリスカーっていうウイスキーが好き……。はい、覚えました!」

「じゃあ、次はこっち。これはグレンフィディックというウイスキーでね。ゴンズっていうお客さんが好きなんだ」

「ゴンズって、あのBランク冒険者のゴンズさんですか!?」


 アーリアの口ぶりからするに、どうやら彼のことを知っているようだ。


「う、うん。知ってるの?」

「はい! 冒険者になりたての時に色々とアドバイスしてくれたんです!」

「そっか。ゴンズさんはうちの常連さんなんだ。多分今日も来てくれると思うよ」

「そうなんですね! あの時のお礼言わなきゃ!」


 ドロップきっての常連――ビビアンとゴンズの二人ともと知り合いなら、アーリアも働きやすいだろう。

 新米バーテンダーはまず常連に気に入ってもらえるかどうかが重要になるが、その点は心配なさそうだ。


「うんうん。それでよかったら、こっちも飲んでみて」


 雫はアーリアにグレンフィディックが入ったグラスをスッと差し出す。

 すると彼女は大きく頷き、琥珀色の液体を口に含んだ。


「これ、さっきの……えーっと、タリスカーと全然違います! なんて言うか、爽やかです!」

「へえ! アーリアちゃん、そこまで違いがわかるなんて凄いね!」


 これは逸材いつざいだ。

 普通、最初はウイスキーの味の違いなんかわからない。


 雫も最初に勤めたバーで色々飲ませてもらったが、見習いの頃は飲みやすいか飲みにくいか程度の違いしかわからなかった。


「そ、そうですか? ありがとうございます! それでこれ、なんていう名前でしたっけ……?」

「グレンフィディックだよ。覚えるのはおいおいで大丈夫だから、無理しないでね」

「はい! ゴンズさんはグレンフィディック! 覚えました!」


 一生懸命なのがひしひしと伝わってくる。

 まだ数時間も経っていないが、雫は雇ってよかったと心の底から感じていた。


 それからダグラスが愛飲しているウイスキー――ザ・ダグラスXOについての説明が終わったところで、扉が開かれた。


「やっほー、雫ちゃん! って、あら! アーリアちゃん!」

「あ、ビビアンさん! いらっしゃいませ!」

「い、いらっしゃいませ!!」


 雫が挨拶した後、ひと呼吸置いてアーリアが続く。


「アーリアちゃん、雫ちゃんに雇ってもらったのね! よかったじゃない!」

「はい、おかげさまで! 昨日はありがとうございました! あ、えっと、こちらへどうぞ!」


 アーリアはカウンターから出て、ビビアンをカウンターの一番奥の席へと案内する。

 すると、雫とビビアンは驚きの表情を浮かべた。


「はい、あんがと。それでアーリアちゃん、何でアタシをこの席に? 入り口から一番遠いというのに」

「え、その……。昨日もその席に座ってましたし、マスターの目の前のほうがいいかなって……。す、すみません」

「ん? アタシは怒ってなんかないわよ? それどころか感心しているの!」

「ふぇ?」


 怒られると思っていたのか、アーリアはビビアンの言葉に目を丸くする。

 ビビアンはその様子を見て微笑みながら、椅子に腰を下ろした。


「この席はビビアンさんの定位置でね。教えてないのに、よくわかったなって驚いたんだよ」

「そ、そうでしたか! よかったぁ」

「ふふ、じゃあアタシはいつものでお願いねん!」

「はい、タリスカーですね!」


 ビビアンの言葉に反応したのはアーリアだった。

 その様子にビビアンは、再び目を大きく見開いた。


「ちょ、ちょっと雫ちゃん! あなたとんでもない逸材を拾ったんじゃない?!」

「はい、僕も驚いてます」


 雫は苦笑いを浮かべながら、手際よくドリンクを仕上げる。

 そんな二人をアーリアは首を傾げて、不思議そうに見つめていた。


 初日からこの調子であれば、アーリアはすぐにでも戦力になってくれるだろう。


「あー、もったいないことしたわぁ。雫ちゃんのところなんか辞めとけって言っておけばよかったかしら」

「あはは……。お待たせしました、タリスカーのロックです!」

「はい、あんがと。――かぁ〜、やっぱりこれね!」


本当に美味そうに酒を味わうビビアンの顔を見て、雫とアーリアは顔を綻ばせる。



 それから三人は、


「あ、そういえば気になってたんですけど、ビビアンさんとアーリアちゃんってどんな関係なんですか?」

「ああ、アーリアちゃんはうちのお客さんなのよん。ねっ?」

「はい! ビビアンさんにいつも切ってもらってるんです! またお願いしますね!」

「任せて頂戴っ! それにしてもアーリアちゃん、その服装似合ってるわね。ほんと、かわいいわぁ。まるでお人形さんみたいっ!」

「え、そんな……。は、恥ずかしいですよぅ」


 他愛もない話に花を咲かせて、幸せなひと時を過ごすのだった。

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