第5話 バーテンダーにとって必要不可欠なもの

 翌日。


「夢じゃなかったんだ……」


 雫は窓の外を見ながら、ポツリと呟いた。

 目に映ったのは、色とりどりの家が立ち並ぶオシャレな街並み。

 遠くには絵本から飛び出してきたかのような、メルヘンチックな城も見える。


 客が来なすぎるあまり、現実逃避の夢でも見ていたのかと考えていたものの、昨日の出来事は紛れもない現実だった。


「あっ、準備しないと!」


 時計に目をやると、時刻は既に11時半。

 もう少しでビビアンとの約束の時間だ。


 雫は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターで寝癖を直したり、歯を磨いたりして身支度を整える。

 少ししてから家を出ると、一階の店の前にビビアンが立っていた。


「おっ! おはよっ、雫ちゃん!」

「あ、おはようございます! すみません、お待たせしてしまって」


 挨拶をしながら、慌てた様子で階段を下りる。


「ちょうど今来たところだから、大丈夫よん! じゃ、行きましょうか」

「はい!」



 それから数分後。

 見慣れない街並みと日本人離れした人々の姿をキョロキョロ見つつ歩いていると、露店が集まるエリアに辿り着いた。

 並べられている商品に何気なく目を向けると、そこで雫は自身にとって欠かせないものを見つける。


「び、ビビアンさん! あれってレモンですよね? それにライムやオレンジ、グレープフルーツらしきものまで!」

「あ、そうそう、言ってなかったわね。日本にある野菜や果物といった農産物はこの国にも大抵あるわよ。お米だってあるんだから!」

「え? 異世界なのに……ですか?」

「ええ。何でも大昔に、雫ちゃんのように八百屋がお店ごとこっちに来たんですって。その時に店主が持ち込んだ農産物を研究した結果、こっちでも栽培が出来るようになったそうよ」

「へえ、そうなんですか! フルーツがあって本当によかったです!」


 ここは異世界。日本と同じ材料が手に入るとは限らない。

 その事実に気付いたのと同時、不安が解消された。

 普通に果物が手に入るのなら、仕入れの心配はなさそうだ。


「ああ、その辺は心配いらないわ。フルーツのほか、炭酸水やトニックウォーターなんかもあるし。バーは問題なくやっていけると思うわよ」

「本当ですかっ!? それなら安心です!」


 ソーダやジンジャーエールなどの割り材はいくらかストックがあるものの、いつかは尽きてしまう。

 しかし、それらも容易に入手できるのであれば、何不自由なくバーを営業していける。

 雫は安堵あんどの溜め息を吐いた。


 その直後――


「おっ、ビビアンじゃねーか!」


 後ろから男性の声が聞こえてきた。

 足を止め、振り返るビビアンに釣られて雫も同じように振り返ると、その瞬間に身体を硬直させた。


「やっほー! ダグラスちゃんじゃない! 今から仕事?」

「おう――って、そいつは?」


 そこに立っていたのは、銀色の鎧を身にまとった二足歩行のトラだった。

 170cmほどある雫よりも一回り大きく、迫力を感じさせる。


「この子は雫ちゃん。アタシと同じ迷い人よん。昨日こっちに来たんですって」

「ほお、そうか。よろしくな、俺はダグラスだ」


 そのトラは雫に向かって右手を差し出した。

 その手を雫は恐る恐る左手で握り、口を開く。


「ど、どうも……。し、雫です。よろしくお願いします」

「あ、そうだ。この子、元の世界でバーをやってて、店ごとこっちに来たの。よかったら顔出してあげてねん!」

「バー……ってことは、異世界の酒を飲めるってことか! そいつは楽しみだぜ。早速今晩にでも顔を出すわ。っと、いけねえ。ちんたらしてたら遅刻しちまう。じゃあな!」


 そう言って、ダグラスと名乗るトラは走って去っていった。


「じゃねー」

「あ、あの、ビビアンさん。さっきのは一体……?」

「ん? さっきのって?」

「いや、トラが喋ってましたけど……」

「あっ、そうだった! 日本には獣人じゅうじんって居ないんだったわね。いやー、慣れって本当に怖いわぁ」


 ビビアンは思い出したかのように、両手を合わせた。

 日本どころか海外にも存在しないが、雫はそこには突っ込まなかった。


「ジュウジン……?」

「そっ。けものの人と書いて獣人よ。この世界にはダグラスちゃんみたいに、人と動物の特徴を併せ持つ種族も存在するの。まあ、中身は人間と変わりないから、怯える必要はないわ」

「そ、そうですか。わかりました」

「よし、それじゃあ行きましょ!」



 それから二人は話をしながら、城を目指して足を進めた。

 その道中で雫は、日本からこちらの世界に来た人のことを迷い人と呼ぶこと。

 八百屋の主人のおかげで食料問題が解決されたこともあって、基本的に迷い人は好意的に扱われることの二点を教えてもらった。



 やがて城の前まで辿り着くと、門番をしている二人の兵士の内、一人がこちらに駆け寄ってきた。


「よう、ビビアン。どうした、陛下に謁見か?」

「ええ。この子の紹介をね。アタシと同じ迷い人で、昨日こっちに来たんですって」

「そうか。そういうことなら、ここで少し待っていてくれ」


 兵士はそう言って、城の中へと入っていく。

 その様子を眺めていると、もう一人の兵士が話し掛けてきた。


「いきなり知らない世界に迷い込んで、さぞかし不安であろう。何か困ったことがあれば、いつでも俺達を頼ってくれ。可能な限り力添えするのでな」

「は、はい! ありがとうございます!」


 ビビアンが言っていた通り、迷い人は好意的に思われているようだ。

 雫は優しい言葉に礼を述べ、その後簡単に自己紹介を行った。


 そうしてしばらく立ち話をしていると、先ほど城の中へと入っていった兵士が戻ってきた。


「待たせたな。謁見の許可が下りたぞ。さあ、ついてきてくれ」


 兵士とビビアンの後を追い、雫は城の中へと足を踏み入れたのだった。

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