第3話 驚愕の事実

「はぁはぁ……」


 扉の先に立っていたのは、紫髪のおかっぱ頭と濃いアイメイクが目を引く、長身痩躯ちょうしんそうくの中年男性。

 雫はその外見から、一目でオネエであると悟った。


 先ほどの客が言っていた人だろうか。


「タ、タリスカー、タリスカー10年はあるっ!?」


 オネエは雫の両肩をぎゅっと掴み、大きく前後に揺さぶりながら野太い声で問いかけてきた。


 タリスカー10年は独特な味わいをした通好みのウイスキーだ。

 バーでは定番の銘柄で、ドロップでももちろん扱っている。


「は、はいっ! ありますあります!」

「じゃあ、ロックでちょうだいっ!」

「わ、わかりました!」


 驚きながらもそう答えた雫は急いでカウンターの中へ入り、ドリンク作りを開始。

 その間にオネエは雫の目の前のカウンター席に腰を下ろす。


「お待たせいたしました! タリスカー10年のロックです!」


 コースターと紙おしぼりを差し出してから、雫は注文されたウイスキーを提供した。

 するとオネエはすぐさまグラスを手に取り、目を閉じながら口へと運んだ。


 舌で味を堪能していたのか、ひと呼吸置いてから喉を鳴らす。


「はぁ~。たまんないわぁ。まさかもう一度、こうしてタリスカーを飲める日が来るなんて」

「あの……」

「あら、ごめんなさい。アタシはビビアン、あなたと同じ日本人よん。それであなたは?」


 確かにどこからどう見ても日本人だ。名前は源氏名か何かだろう。


「ぼ、僕は坂月雫と申します」

「雫ちゃんね。あなたはいつこっちに来たの?」

「……こっち?」

「なるほど、ね。どうやらまだ何もわかっていないようね」


 ビビアンはもう一度ウイスキーを飲んでから、話を続けた。


「いい? ここは日本、いや地球とは別の世界なの。何でも次元の歪みだとかが原因で、こうしてこっちの世界に迷い込んでしまうことがあるそうよ。アタシも詳しくは知らないんだけど」


 その説明を受け、雫の脳裏に一つの言葉が浮かんだ。


「もしかして……異世界転移ってやつですか?」

「異世界? まあ、異世界だわね」


 雫もそこまで詳しい訳ではないが、ネットニュースなどで概要程度は知識として持っている。

 とはいえ、自身がそんな漫画やアニメのような事態になるとは思ってもおらず、その可能性は考えすらしなかった。


 ただ百歩譲ってそれが現実に起きたとして、一つ理解できないことがある。


「店ごと……なんてことあり得るんですか?」


 現実に起きているのだからあり得るのだろう。

 しかし、あまりの非現実さに思わず口にしてしまった。


「珍しいけど、たまにはそんなこともあるみたいね。アタシはこの身一つだけだったけど」

「そう、ですか……」


 驚きが一周して、逆に冷静になる。

 先程の揺れは転移した弾みによるもの。

 停電も断水も、物理的に電線や水道管が途切れたからだ。


 そう考えられるだけの余裕が生まれてきた。


「それで、あなたはバイト? マスターの姿が見えないけど」

「いえ、僕がマスターなんです……」

「へえ、若いのに凄いじゃないっ! あ、だからドロップなのね。納得納得」


 店名が書かれたコースターを手に取りながら、ビビアンはそう言った。


 雫だからドロップ。

 安直ではあるものの、本人は気に入っている。


「ありがとうございます! ただ、あまり繁盛はしてないんですけどね」

「まあ、そんな上手くはいかないわよね。あ、そうだ。この世界のことについて教えてあげないと。それでどこまで知ってるのかしら?」

「まだ何も……。こっち? に来たのもついさっきなので」

「了解。んー、そうね。まずは何から話せばいいのかしら……。とりあえず魔法が存在していて――」

「魔法があるんですかっ!?」


 グラスの氷を指で回しながら言うビビアンの言葉を雫が遮った。


 雫もファンタジーは好きだ。

 魔法と聞けばワクワクしてしまうのも無理はない。


「ええ、あるわよ。みんな手から火の玉を出したり、何もないところから水を出したりしてるわ。それにほら、あなたもさっき翻訳の魔法をゴンズちゃんに掛けてもらったでしょ?」

「……翻訳の魔法? ゴンズちゃん?」

「はあ。まったく、あの筋肉ダルマは。いーい? さっきあなたが会った男はゴンズって名前なの。それと意思疎通ができるのは、ゴンズちゃんがあなたに翻訳の魔法を掛けたからなのよ」

「魔法……」


 それを聞いて、雫は記憶を手繰り寄せる。

 やがて、先ほど男の手から光が発せられた直後、流暢に日本語を話し始めたのを思い出した。


(なるほど! あれはあの人が日本語を喋ったんじゃなくて、僕が理解できるようになったのか! ってことは、本当に魔法があるんだ!)


「理解できました! 本当に魔法が存在するんですね! それで……もしかして僕も魔法が使えたりするんでしょうか?」


 雫は目をキラキラと輝かせながらビビアンに尋ねた。


「うふふ。もちろん――」


 ビビアンは勿体ぶるかのように、そこまで言ってから一度ウイスキーを口にする。

 次に発せられる言葉を雫は今か今かと待ち侘びていた。


「使える訳ないでしょっ! 漫画の読みすぎよんっ!」

「そ、そうですよね! あはは……」


 流石にいきなり魔法を使えるなんてことはないようだ。

 少しでも期待したことに雫は恥ずかしさを覚える。


「それで他には……っと、その前にお代わりちょうだい。このままでいいから」

「はい、ありがとうございます!」


 雫はビビアンのグラスを手に取ると、取り替えることなく、そのままウイスキーを先ほどよりも少し多めに量り入れた。

 グラスを洗う手間が省けるかつ氷の節約になることに対してのお礼である。


「お待たせいたしました。タリスカー10年のお代わりです!」

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