第9話 最高の時間

「オカン!」


 お好み焼き屋が終わると同時に、ウチはオカンに話し掛けた。

 もう夜も遅い。


 真夜中に差し掛かるか、いう時間や。


 お好み焼き屋は飲み屋でもあるからな。

 酒飲みのお客さんがいっぱい、いっぱい来るんや。


 ウチのオトンのお好み焼きは、米酒に合うんやて。

 まったりとしたオトンのお好み焼きの味が、米酒の甘みと酸味に合うんやと。


 知らんけど。

 ウチ、酒飲んだこと無いからな。


 全部お客さんからの受け売りや。


「何テスカ? オカン忙しいんやけど」


 店の暖簾を外しながら、オカンは応えてくれた。

 正直、申し訳ないっておもてる。


 でも、相談しないと困るからなぁ……。


「ゴメン、オカン。実はヒカリ様に演劇に誘われたんや」


「え? それは良かったやん!」


 ウチが友達おれへんのオカンも薄々勘付いてるから、エライ喜んでくれたわ。


 嬉しかったけど……ほんの少しだけ、悲しかった。


 ゴメンなオカン。心配ばかり掛けて。

 今になって、自分の生き方が他人に迷惑掛けてたんやなぁ、と思えて来た。


 負けたような気がするからって、狂犬みたいに威嚇して生きててもしょうがないんちゃうかなと。

 なんかそんな気がしてきたんや。


 ヒカリ様にさそてもろたからかもしれへん。


「で、何なん?」


 オカンがその先を求めて来た。


 ヒカリ様に誘われたのは嬉しい。そこまでは分かった。

 では、何故閉店作業と、明日の仕込みで忙しい自分を呼び止めてまで話し掛けたんや?

 そこを説明せい。


 まさかただの報告やなんて言わんよな?


 オカンは言外にそう言ってる。


 いくら嬉しくても、ただの報告だけなら今やない。

 明日の朝御飯どきでもええやろが。


 そう、言うてるんや。


 無論、ウチかてそれぐらい分かっとる。

 今話し掛けたのは、今日中やないと困るからや。


 その用件は……


「……実は、着ていく服が無いねん」


「……あー……だから言うたんや。服、作ろか? って。それなのにアンタときたら、イラン、ばっかり……」


 ウチの相談内容告白に、オカンは閉口したような表情を浮かべた。

 前から言うてたのに、予想通りのドツボに嵌り腐って。

 そう、目で言うてたわ。


 スマン。オカン。


「……ウチが間違ってました」


「まぁ、ええ。……服は今更どうしようもあらへんなー……作ってる時間ないし。古着を見に行くのもなー」


 どことも知れへん他人の着た服を、一張羅で着ていくのはさすがに憚られるわな。

 常識的に考えて。


 なら、どないしたらいい?


 ウチが縋るみたいな目をオカンに向けたら


「……帯で変化つけるか」


 オカンが、知恵をくれたんや。



「アンタ、紺の着物にこれを合わせてみ?」


 言って、オカンが渡してくれた帯……豹柄の……ジャガー柄の帯やった。


「これ、オカンの大事な帯やん」


「そうやね。カンサイ人のソウル柄の、ジャガー柄の帯や。オカンが料理人として独り立ち出来たなと感じたときに、記念で作った帯やさかい。汚したらアカンで?」


 オカンは、ニコニコ顔でそんな大事な帯を貸してくれた。


「……エエの?」


「娘の大事な晴れ舞台やからなぁ。恥を掻くような事はなるべく避けなアカン。エエに決まってるやろ」


 ……ウチはジーンとしてもた。

 ウチ、オカンにここまで愛されてるんや。


 なら、オカンの望み通りに、友達を作って、幸せにならなアカンよね。


「ありがとう……ありがとうオカン……」


 気が付いたら、感極まって泣いてたわ。

 ウチ、簡単に泣く女の子やってんね。


 ポタポタ雫が目から零れて来てたわ。


 するとオカン。


「何泣いてんの。オーバーな子やね」


 って、嬉しそうに、そう、言うてくれたんや……。




 で、当日。


 待ち合わせ場所の「ルゲンガ討伐記念碑」の前で待っていると、ヒカリ様が来た。


 ……ルゲンガっていうのは、この街を襲ったアークデーモンの名前で。

 なんでも、変身能力を持ったアークデーモンで、ドラゴンの姿をしてたらしい。


 ……デーモン言うんは、知らん人もおるかもしれへんけど、混沌神サイファーが作った知的生命体で。

 こことは違う「魔界」いう異世界に住んどる存在や。


 それが混沌神官の魔法による召喚に応じて。こっちの世界に来るんやね。


 恐ろしく強力な魔物らしい。

 一番低級なレッサー種でも、人間だと数人がかりで無いと倒せへんくらい強い。

 ましてやルゲンガはアーク種。

 最強の一歩手前の実力を持ってる奴やねん。


 そんなんを、この街の英雄たちがここで討伐した。


 記念碑のひとつも建つってもんやわ。


 ここには、記念碑と一緒に、コンビプレイの弓での一撃でルゲンガを撃ち落としたいう「セイリア」「セイレス」っていう双子のメイドさんが銅像になって称えられてた。

 この街の名士「黒衣の魔女オータム」っていう冒険者のお屋敷でメイドしてる人たちらしい。

 今もまだ、メイドさんやってはるんやろうか?


 ……まぁ、銅像の話はこのくらいにして。


「ゴメン、待った?」


「いいえ、全然待ってません」


 ヒカリ様は緑色のお着物を着て来てくれはった。

 よぉお似合いや。


「お着物、よぉ似合ってはります」


 すかさず、正直な感想を言う。

 ヒカリ様は嬉しそうに


「ありがとう。これ、母に作ってもらった大切な着物なの」


 ……ヒカリ様も……


 まるで、自分とお揃いのような気がして、ウチの胸は熱くなった。




 劇場に来た。


 うちらは、一番安い苔席を買った。

 立ち見席や。


 なんでも、ヒカリ様のお母上は、お父上との夫婦仲が今も良好で。

 たまにヒカリ様に弟の世話を頼んで、ふたりで演劇を見に行くこともあるんやて。

 嬉しそうに話されてた。


 両親が仲良くて、愛し合ってるの、ヒカリ様も嬉しいんやね。当たり前か。


 で、ヒカリ様のご両親がよく選択する席は


 梅席。


 松、竹、梅、茸、苔5段階での、3番目の席やね。


 梅くらいまでなら、役者の表情がまだハッキリと見れるので、演劇を楽しむのに最適の席らしいんや。

 エエこと聞いたわ。自分で観に行くときの参考にさせてもらいます。


 で、うちら苔席は……


 劇場の最後尾。椅子すらあれへん。

 所謂立ち見席や。


 でも安い。

 1000円で見られる。


 役者さんの細かい表情を味わうのは無理で、お話の流れしか楽しまれへんけどな。


「トリポカさんは、神話戦争の原作は……?」


「読みまくってます。知ってます」


 ウチ、即答。


 ヒカリ様も読んでるようで。


「ウチに漢字かな交じり文の写本あるから、それを読んで私も知ってる。面白いよね」


 ヒカリ様は本当に楽しそうで。ウチも、楽しかった。


「私はメシア様がサイファーと相討ちになり、人間の行く末を語り合うシーンが好き。トリポカさんはどこがいい?」


「ウチはオモイカネとマーラの戦いで、愛に関する哲学問答をするシーンが好きですね」


「ああ、あそこイイよねぇ」


 そうしてふたりで原作小説の良いところを語り合っていると。

 幕が上がった。


 ……いやはや。凄かったわ。


 演劇なんて観に行ったの、寺子屋入学前やから。

 久しぶりやったわ。


 やっぱ、演劇は凄いわ。


 頭の中でシーンを想像するのと、実際に人に演じてもらうのは迫力が違うわな。


 で、ウチの大好きな「オモイカネとマーラの愛に関する哲学問答」のシーンが来たとき。


 隣で観劇してたヒカリ様が、ちょんちょん、とウチの肩を指先で叩いて。

 ウチがそっちを見やると、そっと、筒みたいなものを差し出してくれた。


 一瞬後、それが何なのかを理解して……ウチは感激した。


 それ、遠眼鏡やったんや。


 ウチのために、ヒカリ様はこれを貸してくれる言うんか!?


 ヒカリ様を見ると、ヒカリ様はニッコリ笑って頷いてくれはった。


 ウチは遠眼鏡を借りて……


 オモイカネ役をやってる女優さんと、マーラ役をやってる女優さんの哲学問答を、アップで堪能させてもろたんや。


 嬉しい! ありがとう! ありがとうヒカリ様!


 最高のシーンを最高のクオリティで見せてもろて、ウチは遠眼鏡をヒカリ様に返した。


「最高でした。ありがとうございますヒカリ様」


 今は観劇中やからな。声は抑えたけど。

 本当はウチ、感激で泣きたかったんや。大喜びしたかったんや。


「トリポカさんが喜んでくれて私も嬉しい」


 ヒカリ様は終始笑顔やった。


 ヒカリ様は女神様みたいな方や!



 演劇が終わった。


 劇場を出て、伸びをする。


「最高の劇でした。ありがとうございます」


「女優さんの演技も、キレキレで良かったよね。特にマーラ役の女優さん」


「悪役の演技は難しい言いますもんね。邪悪さをメチャメチャ出してましたしね。良かった思います」


 劇場から出たすぐの場所で、熱心に演劇の感想を言い合う。

 楽しかったわ。


 そうして、楽しく言い合っていると。


 そのときが、来たんや。


「あれ? そこに居るのヒカリちゃん?」


 ……別の誰かの声が聞こえてきたんや。

 ウチは視線を向けた。


 ……知らん女の子が2人、ウチらに視線を向けて……いや、ヒカリ様に視線を向けていた……。


 ヒカリ様の……友達……?

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