サクラコの事情 第二話

 翌朝、俺は腹部に衝撃を感じて起きることとなった。

 突然の衝撃に驚きながら目を覚ますと、俺の上にはサクラコが乗っている。このシチュエーションは、よくあるギャルゲーとかで幼馴染が主人公を朝起こしに来る光景に似ているな。あぁ、俺にも幼馴染がいればこんな光景を拝めたんだろうなぁ……

 夢だと思い再び目を閉じて二度寝をしようとしていると、元気な喚き声が囀りだした。


「孝文起きて!もう朝だよー!」


 ……あぁ、夢じゃなかったか。

 薄ら目を開けて枕元に置いてあったスマホから今の時刻を確認すると4時半。まだ日も昇っていないじゃないか。


「……サクラコ、もう少し寝かせて」

「ダメだよー!クロエ達にご飯あげないとー!」


 この時間だとそのクロエ達ですら寝てるんじゃないかな。


「大丈夫、クロエ達にはいつも7時前にご飯あげてるから、あと2時間は寝れるから……」

「ダメだよー!早寝早起きしないと!」


 サクラコさんや、君は昨日早く寝ただろうが俺は遅く寝たんだよ。それも気絶するように。その時点で早寝できてないんだよ。


「いいから起きて―!」


 サクラコは布団を引っ張って何が何でも俺を起こそうとしてくる。……流石に潮時か。起きるとしよう。こんなに暴れられたら嫌でも目が覚めるし二度寝もできなそうだしな。


「サクラコ、起きるから先にリビング行っといてくれ」

「ほんとに起きるのー?そう言ってまた寝ないー?」


 おやおや、俺の信用はゼロですか。


「起きる起きる。そもそもサクラコが乗ってたら起きれないだろ」

「そっか!じゃあ先にリビング行っとくねー!」


 そう言うとピョンと跳ねてそそくさと部屋を出ていった。

 朝っぱらからどうしてあんなに元気なんだろうか。朝が弱い俺からしてみれば、まったくもって未知の生物だ。

 ひとまず俺は布団から気だるげに起き上がると寝巻から着替え、リビングへと重い足取りで向かった。




 リビングに入ると、サクラコは子犬の入ったゲージの前でしゃがみ、まだすやすやと寝ている子犬を眺めていた。


「子犬を見てるのか?」

「うん、綺麗な色してるなー、って思って」


 確かに、この子犬の毛並みはとても綺麗な金色をしている。昨日保護してすぐに寝てしまったからまだ洗ってやれていないが、あまり泥もついてなくまるでつい最近まで家で飼われていたかのようだった。


「あぁ、そうだな。とても綺麗だな。起こしちゃうと可哀想だから今はそっとしといてやろうか」

「うん、そうだね」


 俺とサクラコはゲージの傍から音をたてないように静かに離れ、離れた位置にあったソファに腰かけた。

 さて、こんなに早く起きてしまった――もとい、起こされたわけだがどうしたものか。


「孝文、庭行かないのー?」

「言っただろ、まだクロエ達は起きてないって」

「えーっ、じゃあ何もやる事ないじゃんー!」


 そう言ったんだけどなぁ……


「じゃあなんだ、しりとりでもして遊ぶか」

「うーん……散歩行こっ!」


 サクラコさんや、まだ5時前だよ。外は日の出前で暗いんだよ。でもまぁ……いいか。


「それじゃ、朝日でも見に行くかぁ」

「やったー!」


 そんな訳で、サクラコと真っ暗な中散歩することになった。

 道すがらサクラコの両親についてでも聞くとするかな。



 俺の住んでいる地域は山が多く、少し歩けば見晴らしの良い高台になっている場所が多い。だが、田舎故に舗装はされているがあまり良いとは言えない道が多く、それでいて街頭も少ないのでほぼ真っ暗だ。

 そんな道を俺とサクラコはスマホのライトと懐中電灯の灯りを頼りに歩いていく。

 10月後半の日の出前の屋外は日中と比べると流石に寒いな。外気温は10度くらい、体感だと風も吹いてるからもっと低いだろう。俺はまだ冬着を引っ張り出してくればなんとかなるが、サクラコ用の防寒着なんて持っていない――そもそも持っている方が可笑しい――ので、俺の冬着のカーディガンやらセーターやらを重ね着させた。


「暗いねー」

「そうだなー。街頭の一つくらい増やしてくれないもんかね」


 流石に手元の明かりだけでは心許ないと思ってきたが、東の空が白んできていた。もうじき日の出だろう。


「サクラコ、この坂を登り切ったら高台の頂上だ。そこからなら朝日も見れるだろうから頑張ろうな」

「あと少しー!」


 俺は少し息が上がってきたが、サクラコは顔色一つ変えずスイスイと歩いているのを見ると、子供の体力の有り余りっぷりと俺の衰えを顕著に感じるな。もう少し運動とかしたほうがいいのかな。

 そんな事を思いつつも肩で息をしながらサクラコの後を追う形で登っていくと、高台の頂上にようやく到達した。


「ついたー!」

「おぉ……やっとついたか……」


 丁度ベンチがあったのでそこに座りながら息を整えていると、遠くに見える地平線から朝日が顔を出してきた。


「おぉー……」

「孝文っ!綺麗っ!」


 ゆっくりと登ってくる太陽を眺めてるだけとはいえ、どこか感慨深いものを感じるな。早起きは三文の徳とはよく言ったものだが、この光景には三文以上の価値があるだろうな。実際三文って今の値段にするとめっちゃ安いらしいけど。

 そのまま俺達は、何も言わず無言で日の出を眺めるのだった。




 どのくらい時間が経った頃だろうか。ただ登っていく朝日を眺めながら「すげー、綺麗だなー」とアホっぽく思っていた時、ぽつりぽつりとサクラコが自然と話し始めた。


「わたしのパパとママはね、昔っから家に帰ってこないで、仕事ばっかりだったの」


 突然話し出して驚いたが、俺は何も言わずただサクラコの言葉に耳を傾ける。サクラコも俺を見ることは無く、ただ登る朝日を視線に捉えながら言葉を続けた。


「今年は一度も帰って来てないし、去年も帰ってこなかったかな?もうずっと会ってないの。元気にしてるのかなぁ」

「……」

「……でもねっ、毎月決まった日にね、銀行にお金入れてくれてるからそれで食べ物買ったりしてるんだっ!ママ達、ちゃんとわたしの事考えてくれてるんだよっ!」


 それはきっと、給料から口座に勝手に分けて入れられているだけだろう。サクラコの両親は、親としての自覚があるんだろうか。


「……パパとママは帰ってこないけど、わたし寂しくなんてないよ。今は孝文が一緒に遊んでくれるし、色んな人が声かけてくれたりするし。だからねっ、寂しくないんだっ!」


 見るからに強がってるな。その寂しさは、本来であれば親が埋めて然るべき部分だ。


「……孝文、これっておかしいのかな……?」


 サクラコがぽろぽろと涙を流しながら聞いてくる。これまで朝日に向けていたサクラコの視線は、今度ばかりはしっかりと俺を見つめていた。


「……俺は別に他のご家庭の事情に首を突っ込みたくはないし子供がいるわけじゃ無いから親としての感覚は詳しくは分からないが……はっきり言って、おかしいと思うぞ」


 まだ暴力を受けているとかじゃないからマシなのかもしれない……いや、そんな事は無いか。親から愛情を受けないのもある種の暴力なのかもしれないな。


「親の片方が仕事で単身赴任してなかなか家に帰ってこない家庭なんかは普通にあるだろう。だけど、サクラコみたいな場合は滅多にないだろうな。あっても、祖父母に世話を任せるとかはするはずだ。そういう人はいないのか?」

「……おじいちゃんとおばあちゃんは、もういないよ」

「そうか……」


 なかなかハードな家庭環境だな。


「両親と、連絡は取ってるのか?」

「うぅん、今どこで仕事してるのか分からないの」


 なんじゃそりゃ……娘が心配になったりとか、そういう感情を持っていないのか……?いや、これはもう興味が無い、みたいな感じなんだろうな。仕事の方が大事なんだろう。金は入れるから勝手に生活しとけ、みたいな。


「……ふざけた話だな」

「えっ?」

「ふざけるな、って言ってるんだよ。自分の勝手で産んだ娘をないがしろにしていい訳が無いだろ。サクラコはペットじゃないんだぞ。サクラコが両親の事をどう思ってるかは知らない。だが、俺はサクラコの両親を軽蔑する」


 言葉では軽蔑と言ったが、実際俺が思っているのはもっと嫌悪、憎悪、怒りに加えて……端的に言うと、反吐が出るってやつだ。

 もちろんこの話はサクラコから聞いた話を俺の中で還元した内容だから、サクラコの両親がどう思ってそういった行動をしているのかは不明だ。だが、実際サクラコが抱いている寂しさや悲しさといった感情を否定することができない。それらの感情を抱かせた元凶である両親は、たとえどんな事を思っていようが、クソ野郎以上の言葉が見つからない程に醜い人間だろう。


「……それで、サクラコは今後どうするつもりなんだ?……って言っても、どうすることもできないよな。俺も無責任な事は言えないからなぁ、どうしたものか……」


 この手の問題は子供が背負うには荷が重すぎるので、大人が責任を持つべきだ。そしてサクラコにとって一番身近な大人は、多分だが俺しかいないだろう。だが俺はサクラコにとって家族でもなければ親戚でもない、ただの友達だ。そんな俺に何ができるというのだろうか。


「……わたし、このままじゃダメって分かってるんだけどね、どうすればいいのか分からないの」

「両親の連絡先とかって知ってるのか」

「……知らない」


 知らないのかぁ……もしサクラコが病気で倒れたりしたらどうするんだか。この事態を、他の人は知ってるんだろうか。この町は人が少なく狭い分、情報はすぐに回る。もし知っている人がいたら聞いてみるか。


「ねぇ、孝文」

「なんだ」

「……一緒に住んじゃ、ダメ?」


 サクラコは、俺の目をしっかりと見ながらそう言った。顔には懸念の色が見える。その選択はまだ小学校低学年の子供が選ぶには耐えがたいほどの重圧だっただろう。

 俺はその言葉に、サクラコの決断に一瞬躊躇ったが、これはサクラコからの救難信号だ。これをないがしろにしてはいけない。否定してはいけない。


「……わかった。一緒に住むか」


 俺の言葉を聞いてサクラコの顔色は先程とは違い、懸念の色など見えないそれはもう嬉しそうな、楽しそうな表情をしていた。


「本当にっ!?いいのっ!?」

「あぁ、いいぞ」

「やったぁぁぁっ!」


 大喜びのサクラコは感極まって俺に抱きついてくるほどだった。ちょうど鳩尾におでこがめり込んでめっちゃ痛かった。


「いいんだよねっ!?本当なんだよねっ!?」

「い、いいって言ってるだろっ、それより痛いから一旦離れようなっ?」

「嫌だーっ!」


 俺の提案を拒否したサクラコは、更におでこをグリグリと押し当てて数分間俺を悶絶させるのだった。

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