第75話 小瓶

「じゃあ、陽向君、

光の事よろしくね~」


元気よく茉莉花さんにお願いされ、

僕は茉莉花さんに笑顔で手を振りながら家を出た。


今日から矢野君が大学に戻る。


数日前に矢野君が家に帰って来たけど、

今の所、咲耶さんと接触した気配はない。


まあ、自宅療養でずっと家にいたから、

咲耶さんと会える機会は無かったのかもだけど、

携帯はちゃっかりと自分の横に据え置き、

1分毎の様にやってくるラインをニヤニヤといして読んでいる姿は

確かに頂けなかった。


きっと咲耶さんとのやり取りに違いない。


僕はドキドキとしながら矢野君に聞いてみた。


「あのさ~」


「……」


何の返事も無いので、

チラッと矢野君の方を見てみたけど、

携帯に夢中になっていて、

僕の掛け声は聞いてないようだった。


「矢野君!」


思い切って大声で呼ぶと、


「ワッ! 何だよ急に大声で、

びっくりするだろ!」


とやっと僕の存在に目を向けてくれた。


矢野君の視線に僕も少し弱気になってしまって、


「いや……


あのさ~


ほら、あれ……」


と遠慮がちになってしまった。


「何だよ、あれって?」


「いや……


ほら、茉莉花さんがさ~」


「お袋が何だよ?」


「ほら、病院で小瓶を渡したじゃない?」


「あ~ あれか」


「うん、そう、そう!」


「で? あれがどうしたのか?」


「あれ、本当に咲耶さんに飲ませるのかな~?なんて……」


「あ、そう言えば、あれを咲耶に飲ませるのが条件だったよな。

すっかり忘れてたわ!


あの小瓶、何処にやったっけ?」


と、矢野君は小瓶の事はすっかり忘れていたようだ。


「お前、あれが何なのか知ってるのか?」


そう聞かれ僕は目を泳がせた。


「え~? 何だろうね?


ハハハ~」


「臭い!」


「へ? 臭い?」


矢野君のその言葉に僕は自分の腕をクンクンと嗅いでみた。


“お風呂にはちゃんと入ってるよね?


え? 僕の発情期にはまだ早いけど、

僕のフェロモンが矢野君に臭いって事は無いと思うけど……”


そう思って反対の腕の匂いを嗅いでいると、


「違うよ。

お前の反応が臭いって言ってるんだ。


お前、あの小瓶が何だか知ってるな」


そう矢野君に詰め寄られ、


「あ、僕、明日の学校の準備があるんだった!」


そう言って、そそくさと自分の部屋に戻る準備を始めると、


「あ、そう言えば俺も明後日から復学するんだ。

お前、俺と一緒に家を出てくれるか?」


そう尋ねられた。


「え? 矢野君と一緒に?」


「ああ、駅までは一緒だろ?

駅まで行けば咲耶が来てくれるから、

2,3日お前と一緒に家を出れば、

お袋も安心するだろう」


そう言われ、


「そうか、そうだよね……


咲耶さんがついていてくれたら安心だよね……」


そう言いながらも、

心の中は平常心ではいられなかった。


でも、ここから頑張ると決めたから、

少しの事でグダグダと落ち込んでる訳にはいかない。


「分かった。


じゃあ、何時に迎えに来ればいい?」


と平常心を装って尋ねた。


「俺は2限目からだけど、

学生課に立ち寄らないといけないからお前と一緒に朝一で出るよ」


「了解。


じゃあ、朝の7時に迎えに来るね」


そう言うと、ソファーの上に置いておいた荷物を取った。


顔を上げたときに、

もう一度あの絵が僕の目に映った。


「これ、いい絵だね。


フレームの額もすごく綺麗な彫刻だし……


僕、絵心は無いけど、

誰の作品なの?


まあ、聞いても分からないとは思うけど……」


そう尋ねると、

矢野君が僕の横につかつかと歩いてきた。


そしてその絵に手を当てると、


「この絵を良いって言ってくれたのはお前が初めてだよ……」


そう言って愛おしそうにその絵を眺めた。


僕が矢野君の顔を見上げると、


「俺は凄くこの絵が好きなんだ。


咲耶は微塵も興味を示さなかったけどな」


そう言って悲しそうな顔をした。


「この絵って、何だか凄く暖かいよね。

僕、初めて見たとき、

何だかこの女の子が僕に語り掛けてくれてるようで、

その愛しさに涙が出ちゃったよ……」


恥ずかしそうにそう言うと、


「これな、俺の高祖父が描いたものなんだ……


そして高祖母にプレゼントした時に、

この彫刻を自分で刻んだんだ……」


と言われたときは凄くびっくりした。


「え? これ、矢野君のひいひいお祖父さんが描いたの?


それにこの彫刻も?!」


僕がびっくりして更に顔を絵に近づけて

ジーっと見ていると、

矢野君が後ろで静止した。


「……」


「これって彼の家族?


じゃあ、この女の子って一花叔母さん?」


「……」


「矢野君? 矢の……」


そう言って後ろを振り向くと、

彼が頭を抱えて座り込んでいた。


「矢野君! 大丈夫?!


頭痛いの? お医者さん呼ぼうか?」


そう良いって矢野君に飛びつくと、


「いや……

大丈夫だ……


お前のひいひいお祖父さんって言いまわし方が引っかかって……


何かを思い出しそうなのに思い出せない……


俺、前にも高祖父母の話、お前としたことがあるのか?」


少し血の気が引いた矢野君がそう尋ねた。


僕がコクンと小さくうなずくと、


「じゃあ、お前、ここに来たことも……」


そうきたので、


「いや、ここに来たのは初めて……


この絵を見るのも初めて……」


そう言いながら矢野君を肩に抱きかかえると、

そこにあったソファーに腰を下ろした。


矢野君は両手で顔を覆うと、

少し考えたように静かになった。


そして、


「俺が倒れていた時に助けたのはお前だよな?」


と尋ね始めた。


「うん、そうだよ」


「それは偶然だったのか?」


「え? 偶然だったのかって?どういう意味?」


そう尋ねると、矢野君は僕をまっすぐに見た。


「あの場所は地元民でもあまり行かないような場所なんだ……


俺だって、誰にも教えたことは無かった……


何故お前があの場所を知っていたんだ?」


あまりにも真剣に尋ねる矢野君に、

僕はすべてを隠しておくのはもう無理だと悟った。

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