第76話 尋問
そこには暫く沈黙が続いていた。
僕は掌をぎゅっと握りしめると、
ごくりと唾を飲み込んだ。
矢野君はきっと僕の答えを待っている……
でも、少し自分の頭の中で整理することが必要だった。
一体、どこまでを、
どの程度で話せばいいのか
全くその程度が図れなかった。
僕は矢野君を見ると、
少し震えがくるほどに緊張した。
「あのさ……」
「……?」
矢野君は、きっと早く僕の口から事情を聴きたいに違いない。
それでも辛抱強く、僕が話すのを待っていてくれた。
「矢野君はまだ記憶が混乱してるわけじゃない?
僕も……まだどうやって矢野君の
失くした記憶の部分を話せばいいかも分からないし……
だから、更なる混乱を避けるために、
少しだけ僕たちの事を話そうと思うんだけど、
それでもいいかな?」
僕が恐る恐るそう言うと、
矢野君は少し考えたようにして、
「頼む……」
そう答えた。
きっと、納得してはいないと思うけど、
僕の心情も読み取ってくれたのかもしれない。
それ程僕は緊張していた。
矢野君との過去を話すのに、
これほど僕が躊躇していることを、
矢野君も感じ取ったかもしれない。
矢野君としては、
僕がなぜこれほどまでに躊躇するのか謎だろうけど、
今はまだ僕たちの過去を完全に明かすのは早い。
だから僕は、事実をかいつまんで話すことにした。
「実はね、僕たちが初め出会ったのは沖縄でなんだ……」
「沖縄?! 合コンじゃないのか?」
矢野君にそう言われ、
体がビクッと硬直した。
「うん、ごめんね……」
矢野君はため息を付くと、
「何だってそんなウソを……
最初っからそう言ってくれればよかったのに……
まあ、きっと俺の態度にも問題あったんだろうけどな……
で? 沖縄で会ったって事は、
旅行にでも来てたのか?
どうやってそんな中、知り合ったんだ?
偶然か? その時咲耶もいたのか?」
と、矢野君も凄く突っ込んできた。
僕は緊張で手が汗でぐっしょりになった。
深呼吸をすると、
「沖縄へは期間限定のバイトに行ってたんだ……」
そう言うと、
「あ~ 家のホテルが夏限定で学生募集をするあのバイトだな」
と、矢野君は知っているようだった。
だから僕も、うん、うんと頷いた。
「じゃあ、そこで知り合ったのか?」
「そう、そこで……」
「咲耶もいたのか?
俺は、その時の記憶がないんだ……」
矢野君がそう言うと、
「うん、まあ、記憶がないのは分かるよ……
僕の事を思い出してないからそうなんだろうね……」
僕も一言多い……
言わなくていいことまで言ってしまって、
少し矢野君を自己嫌悪に追わせてしまった。
「スマン……」
矢野君が気の毒そうにそう答えると、
「違うんだよ!
矢野君を責めている訳じゃないんだ!
只……
本当に覚えてないんだなって……再確認……」
そこまで言って僕は泣き出してしまった。
今度は矢野君がオロオロとし始めた。
「陽向、泣くなよ……」
そう言って矢野君が僕の肩を抱きしめてくれた時、
「俺…… お前の事、陽向って呼んでたよな?
何だか今頭の中で……
ちょっと待て!
それは何時の事だ?
俺が倒れる前か?
……いや……違う……
待て…… あの灼熱の中の……
波の音が……
すまん…… 少し混乱してる……
そうだ…… あれは沖縄だ……
沖縄でなのか?
俺たちは観光先で偶然に会ったんじゃないのか?」
と少し何かを思い出したように矢野君が訪ね始めた。
僕の心臓は鋼の様にドクン、ドクンと脈打っている。
「ううん、僕達、観光先で偶然に会ったんじゃないんだ……」
震えた様にそう言うと、
彼は怪訝そうな目で僕を見た。
「僕がバイトで沖縄にいた時、
矢野君も同じバイト生として沖縄に来てたんだ……
咲耶さんは…… 居なかった……」
「咲耶が居ない?
それにバイト? 俺がか? 咲耶無しで?」
矢野君がびっくりした様にして僕を見た。
「うん、咲耶さんはいなかった……
それで……僕と、矢野君は同室で……
同じ高校生同士って言うのもあって、
それで仲良くなって……」
「お前、何故俺がそこでバイトしてたのか聞いてたか?」
矢野君のその問いに、僕は正直に答えられなかった。
「ううん、ただ、僕と同じ理由で来てるんだろうなって思ってて、
深く考えなかった……」
確かに最初は僕と同じように、
高校生のお小使い稼ぎだろうと思っていた。
「お前と同じ理由って……」
「え? いや…… 高校生のお小使い稼ぎ?」
僕がそう言うと、
矢野君は急に笑い出した。
「お前、高校生の小使い稼ぎって……」
「いや、だって、沖縄だよ?
僕、それまで福岡から出た事なかったんだよ?
初めての沖縄だよ?
夢の沖縄だよ?
新婚旅行で行こうって、ずっと思ってた沖縄だよ?」
「新婚旅行って……
お前は夢見る乙女か!」
「だってさ~ 交通費も出るし、
時給も良いし、皆勤賞も出るし、
泊る所もホテル負担だよ?
食事も社員食堂で、飯ドロボーってくらい安いし、
もう貯金ウホウホだよ?」
「ウホウホ? お前、どんだけがめついんだよ」
「え~ 人生はお金だよ!
矢野君はお金持ちだから分からないかもしれないけど、
ビンボー人の僕からしたら行くしかないでしょ?
それにずっと行きたかった大学も……」
そこまで言った時に僕はハッとして口を噤んだ。
“気付いた?
矢野君が大学で探していた人物が僕だって気付いた?”
僕の心臓は最高潮までドキドキと高鳴った。
その後矢野君が少し静かになった。
僕が横目で矢野君をチラッと見ると、
矢野君は目を閉じて、何かを考えているようだった。
そして彼がゆっくりと、
「もしかしてお前の行きたかった大学って……
城之内大学か?」
と尋ねた。
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