第6話 矢野君の少しの過去

「ヨイショっと」


と掛け声をかけてバスケットをカウンターに下ろすと、

ドアから吹き抜ける風を感じた。


乾燥機の熱で暑くなる洗濯室とは反して、

海から吹き抜けていく風は涼しくて気持ちがいい。


熱がこもる事もあり、洗濯室にはエアコンが通って無い。


でも海に続く方の壁に大きなドアがあり、

そこは何時も明け広げた状態になっている。


僕は海の水面に視線を向けると、

キラキラと光る水面を眺めた。


僕たちがここにきて大体1週間が過ぎた。


あの夜から高い頻度で矢野君はうなされている。

熱を出す日もあれば、出さない日もある。


そのたびに僕は矢野君の抱き枕と化している。


でも次の比には必ずと言っていいほど、

何事もなかったようにケロッとしている。


日常茶飯事と言うのは本当らしい。


何故そんなにうなされているのか訳を知りたくて、

何度尋ねても、彼は黙りを貫いた。


出会って間もない僕を信用しろと言うのも

無理な相談なのかもしれない。


少なくとも僕はすでに矢野君のことを友達と認識している。

そんな友達の助けになれない自分が少し歯痒かった。


「長谷川君、休憩しても良いわよ」


班長の伊藤さんが回ってくると、

休憩の時間を知らしてくれた。


此処では有給休憩というものがあり、

午前と午後に30分ある。


お昼ご飯の時間は無給休憩なので、

タイムカードを押す必要があるけど、

この休憩はタイムカードを押す必要がないのだ。


畳み掛けたシーツをバスケットに戻すと、

乾燥機の入れ替えをしていた矢野君に目がいった。


「矢野く~ん! 僕、海に行くけど、矢野君も来る?」


そう声をかけたけど、

彼は首を横に振ると、

海とは反対の方へと歩いて行った。


“今日もダメか……”


仲良くなったかと思えば、

また壁を作ってしまう。


彼の去っていく背中を眺めながら

一つ大きなため息を落とすと、

僕は目の前に広がる海に繰り出した。


洗濯室の前にある海は岩場なので、

海水浴客がほとんど来ない。


泳ぐまでとはいかないけど、

岩場に腰掛けるとズボンの裾を捲って水に足をつけた。


「は〜 生き返る〜」


海の水は冷たくて、火照った肌に気持ち良かった。


膝に肘をついて顎を支えると、

遠くに見える地平線に目をやった。


すぐそこにある海水浴場からは、

沢山の笑い声などが聞こえてくる。


僕は空を見上げ目を閉じると、

矢野君について考えた。


別に彼の事を考えたいわけじゃないけど、

自然と頭の中に浮かんでくるのだ。


ワシャワシャと頭を掻いてブ~っと前髪に息を吹きかけると、

前髪が少し乱れて髪の先が目に入った。


「此処良い?」


その声に背後を振り向くと、

伊藤さんが


「はい! 水分補給」


と水のボトルを僕に渡した。


目に入ってしまった前髪を直しながら、


「どうぞ、どうぞ。


お水有難うございます」


とお礼を言うと、伊藤さんは僕の横に座り込み、


「前髪、凄い方向に向いちゃったわね」


と、ニコリとほほ笑んだ。


恥ずかしそうにまたワシャワシャとすると、


「どう? 仕事はもう慣れた?」


と伊藤さんが訪ねてきた。


キャップを開けてこくりと一口水を飲むと、

僕はシャツを胸のとこでパタパタと叩きながら、


「何とか……


でも暑さには慣れませんね」


と二カッと微笑んだ。


「矢野君はどう?

同室なんでしょう?」


「矢野君? 矢野君か〜」


「彼、気難しいでしょう?」


と彼の事を知ったような口ぶりだったので、


「え? 矢野君の事知ってたんですか?」


とびっくりして伊藤さんの方を見た。


「ん? まあ、知ってると言うか、

彼ね、此処に来るのは此れが初めてでは無いなのよ」


「初めでじゃない?」


と、目を見開いてびっくりして尋ねると、

伊藤さんは


「フフ…… 長谷川君、変な顔」


と笑った後、


「そうなのよ。


去年の秋ごろ支配人にいきなりお願いしますって連れてこられて、

普通だったらバイト生を取らない時期だったから……


それから新年を迎えるまでいたんだけど、

その後東京に戻ってまた今年の夏にやって来たって感じかな?」


「支配人に連れらて来たんですか?」


「そうなのよね~


私は事情をはっきりとは知らないんだけど、

いきなりやって来て雇ってくれって粘ったみたいよ。


紹介状も持ってたらしいし……


初めて来た時は凄く…… 何て言うんだろう?

こう、ティーンの危うさって言うか、

気難しさって言うのか、最初は続くのかな?

って感じの子だったんだけど……


割と真面目に働いて……


それよりも、今年の矢野君は少し角が取れた?っていうのかな?

去年と比べると、少しリラックスしたような感じだから

矢野君とは馬が合ってるなかな?って……」


「馬が合ってるって……

僕達、仲良さそうに見えますか?」


「う~ん、仲が良いって言うのとは少し違うけど、

矢野君、長谷川君にはちょっと心を開いてるのかな?って……」


「そう言う風に見えますか?」


「うん、うん、見える、見える!

去年は一度も笑わなかった矢野君だけど、

長谷川君が話しかけるとちょっと口の端が上がるのよ!」


伊藤さんのセリフに、僕は凄く興奮した。


“まだ彼の態度には振り回されているけど、

もし彼が僕に気を許してくれてるんだったら嬉しい!”


本気でそう思った。

でもやっぱり否定的になる想いもある。


「だったら良いんですけど……


僕が頑張って話しかけてもウンともスンとも言わないんですよ?


初めて会った日なんて最初から舌打ちですからね。


今もここに誘ったけど、何も言わずに反対方向へ行っちゃうし……

僕、本当にもう、どうしたらいいかって……」


「でも長谷川君は矢野君の事好きでしょう?」


「そりゃ、友達になりたいっては思うけど、

僕の一方通行じゃ職場の同僚にでさえも怪しいですよ……」


僕が肩をすくめてそう言うと、伊藤さんは僕の肩をポンポンと叩いて、


「長谷川君の明るさだったら大丈夫よ。

矢野君も全然知らないって仲じゃないから少し心配してたのよね。


でも長谷川君と持ちつ持たれつやってるようだから

この調子で彼を持ち上げてあげて。


きっと彼も長谷川君のこと好きだと思うよ。


じゃあ、私は午後の打ち合わせを

ハウスキーパーの班長さんとやらなきゃだからもう行くわね。


長谷川君と話せてよかったわ」


そう言って伊藤さんは颯爽と軽やかに岩場の上を歩いて行った。

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