第40話 諦めきれない
ガッ、ビシッと、家のあちらこちらで銃弾が撃ち込まれる音がして、そのたびに男が駆け戻って来る。
「裏口も出られません!」
「トイレの窓も撃たれました!」
どこかに退避経路はないかと男達は模索するが、どうやら代表の指示は完璧に遂行されているらしい。
はて? と、ミン・ジウは男達を見回して考える。
今、スレイポウ以外の全員がこのリビングに集合したことになる。代表はなにをもって、そうしたのか。
(まさか、皆殺し⁈ 掃除がしやすいように1ヶ所に集めたとか⁈ )
しかし、それでは “殺すな” と言った自分の指示を無視することになる。
(息子を手に入れたい代表が、私を怒らせるわけがない……指揮系統が変わった?)
その少し前。
「配置は完了したか? よし、指示を徹底させろ。殺すな。偶発的な事故も認めないからな。いいな」
国際電話を終わらせた代表は、皮肉な目を向けるアイドルを
「なんだ、セス」
「ふっ。あいつのお守りは思いのほか大変そうだな」
「大変じゃあないさ。ただ……」
「ただ?」
「金がかかるんだっ」
苦々しく言い放つ代表に、セスはその整った顔を上に向けて笑い声を上げた。
そして、そういえばと思い出す。
「国家予算を使ってアヘン街から救い出したくらいだったな」
「笑えないだろ⁈ 今回は請求書を送ってやろうと思ってるぞ」
「クソ女も、そのくらい想定しているだろう」
「そうか……では、払えなければ息子をよこせと言ってみるか」
「バーカ」
「なに⁈」
「代表が勝手にやったことで頼んでいないと言い返されるだけだ」
「あー……理論武装してそうだな」
抜かりないというか、ちゃっかりしているというか……と、代表が天を仰ぐと、セスは再び皮肉な視線に憐みを乗せて向けた。
「惚れた弱みだな」
その言葉に代表は、ひと回り以上、年下のクセにタメ口のアイドルを
「惚れてない」
「ベタ惚れだろ」
「大人の事情と言え」
「便利な言葉だな」
「ふん。ガキがなんとでも言ってろ」
「ネコ科の動物はメスに選ばれるまでオスは他のオスを排除して待ち続けるしかないが……」
「それでも選ばれないこともあると言いたいんだろ。しかし、俺はネコじゃないし、なる気もない。俺が選んで俺が決める」
代表はアイランドキッチンに肘をついて、ワインのコルクをポンと抜く。
にぎやかなリビングの声を聞きながら、そろそろ帰れと
「見届ける」
「ハッ。お前になにができる」
「完全な戦意喪失」
「なに⁈」
「あいつと関わったことを心の底から後悔させ、2度と会わない方が良いと体に教え込む」
「そんな方法は……言ってみろ」
セスは、ミン・ジウが中途半端に自分の情報を握られ、そのため、逃走に手をこまねいていると持論を展開した。
「中途半端⁈」
「ああ。もし、完全に名前や職場などを把握されていたら “殺すな”とは、言って来ないはずだ。あいつは息子と自分の過去が絶対にバレてはいけないと充分に認識している。スナイパーの存在に気が付いた時点で、皆殺しを指示したはずだ」
「職業がら、殺しを
「それも、ある。しかし、それならば自分の個人情報が完全にバレた時点で、自死を選んだはずだ」
「自分が死ねばベビーシッターが速やかに息子を保護すると……」
「そうだ。しかし、どちらもしていない。ということは、完全な情報は握られていない。皆殺しも自死も、今はする必要がないってことだ」
「だから、相手が完全に戦意喪失すれば、はれて元の生活に戻れると踏んだわけだ……で? 具体的にどうするんだ?」
代表の問いに、セスは片方の口角を上げて目を細める。
その妖艶な微笑みに、いつも、その顔をカメラに向けろよと言いたくなるが、ヘソを曲げられても困るので言わないでおく。
(いい天気だなぁ)
解放的な窓から、キラキラと太陽を反射させるプールの水面を見ながら、ミン・ジウは押しよせる睡魔とたたかっていた。
成金趣味満載のリビングの真ん中で、男達の視線を一身に集めていると自覚はしているが、いかんせん、この先の展開が読めない。
襲撃の原因である本人がそうなのだから、男達を率いるアッシュもトーイも、身動きひとつ取れずにいた。
電話線は切られ、スマートフォンは、なぜか、つながらないと確認されていたので、外部に助けを求めることもできない。
いや、できたとしても複数のギャングが女ひとりのために自分達のアジトに監禁状態にされていると誰が信じるだろうか。
ミン・ジウは、うーんと、伸びをする。
願いはただひとつ。
(帰りたい……)
トーイを振り返り言葉を探すが、寝不足の脳は気の利いたセリフを差し出してくれない。
考えるのが面倒になり「帰ってもいいですか?」と、ストレートに聞いた。
トーイは、もちろんと
「追わないで下さいね。外にはスナイパーがいますから」
「ああ」
「あと、探さないで下さいね」
「あ、ああ」
「それと、どこかで見かけても知らんふりして下さいよ」
「約束する」
「ありがとう。アッシュも約束してくれますか?」
アッシュはトーイと違い、即答しなかった。
ジッと、一度は手に入れたいと思った女を見つめる。あきらめきれないと、その視線は語っていた。
その隣で、側近の男は唇を噛んでいた。
男尊女卑が根強く残るカンボジアで、女に主導権を握られるなど、腹立たしいの極みだ。
ミン・ジウは「もー、面倒臭い」と、顔だけでなく声に出して伝えた。
「面倒臭いだと⁈」
「はい。約束して帰らせて下さい。それだけで良いんです。分かります? 私が帰ったら、窓ガラスを取り替えるように業者に電話して、ジジィ……
「電話は通じない」
「だから。私が安全な場所にたどり着けば、使えるようになるんですっ」
妨害電波って知ってます? と、
側近の男は気分を害したようだった。なんとしても女にひとこと言わなくては気が済まないらしい。
「ガラスの入れ替えが、すぐにやれるわけがないだろう。何枚、割れていると思ってんだ」
「
「なに⁈ どういう意味だ⁈」
「全員の尿検査が終わるには2、3日か、それ以上、掛かるかと……」
尿検査⁈ と、その場の誰もが眉をひそめる。
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