第39話 コリアンマフィア


 ミン・ジウが勢いよくスレイポウの部屋を出ると、なんと目の前にアッシュが立っていた。


 慌てて足で急ブレーキを掛け、かろうじてぶつからずに済んだが、嫌な汗が止まらない。


 この場所はスナイパーから死角になっている可能性が高かった。


 ということは、自分を守れるのは自分しかいない。


 身構えるミン・ジウに、アッシュは口角を上げて見せた。


「お前をどう扱えば正解なのか分からん。お前の仲間は俺達を消そうとした。だが、お前は俺と坊ちゃんを助けた。リックもそうだ……お前の望みは、家に帰ることと探すなってことだけなのか?」


 そうだと答えたいが、組織の壊滅だのなんなのと、変な勘ぐりをされても困ってしまう。


 返答を間違えれば取り返しの付かないことになるかもと、息子の笑顔を頭によぎらせながら言葉を探していると、庭から見上げていた側近の男が階段を駆け上って来た。


 息を切らせてNo.2に報告をする。


「アッシュ。カーテンを開いて外に合図を送っていました。内容は分かりません」

「どういう合図だった?」

「指を動かして……こう、文字を作っていたようです」

「お前が読めない文字だったのか?」

「はい。クメール語でも英語でもありませんでした」


 ミン・ジウは、あなたは軍人崩れでしたかと思うが、顔に出さないように細心の注意を払う。


 どこの国の軍隊でも例外なく指文字を教えられる。しかし、それは突入の合図や敵の存在や人数を知らせるための最低限なもので、とてもじゃないが言語とは言い難い。


 過去に、心のトラウマから手話を言語としていた時期のあるミン・ジウにとって、軍で教えられる指文字は単なる記号の羅列で、赤ちゃん言葉のようだった。


 しかし、そんなことを知っているとアッシュにさとられてはいけない。


 国籍と年齢、職業がバレている今、これ以上の情報を与えれば身元が割り出され、息子の存在と自分の過去が暴かれてしまう。


 アッシュは、もうなにひとつ情報を与えることは絶対にしない! と、背中に冷たい汗を流し続けるミン・ジウに向き直る。


 視線は女をとらえたまま、しかし、側近に話し掛けた。


「それは……韓国語だな」

「韓国……では、相手はコリアンマフィアかなにかでしょうか」


 ポーカーフェイスを装うが、まあ、ある意味マフィアみたいなものだけどねーと、代表の顔が浮かぶ。


「コリアンマフィアか……韓国は芸能人のスポンサーにマフィアがつく時もあるのか?」


 アッシュは、ミン・ジウの胸元で場違いな笑顔を見せるプリントのテオを指差す。


(ああ、そうだった。テオ達との繋がりも、すでにバレてるんだった……いや、まだお持ち帰りされた程度にしか分かってない。とにかく、私に関わるとロクなことにならないと、思いしらさなくては……)


 その時、目の端に光の反射がチラチラと入って来た。


(え、どこから……?)


 廊下の突き当たりの、小さな明かりとりの窓から光がまたたいていた。


 今度はハッキリと読み取れる。


(シ・カ・ク・ゼ・ロ・ゼ・ン・ホ・ウ・コ・ウ……死角ゼロ、全方向! 本当に⁈ 全方向包囲しているの⁈ うわ、絶対、請求書が送られて来るわー)


 援軍を素直に喜べない自分が悲しい。それよりも喜んでもらえない、遠い国で指揮を取る代表に哀れみすら抱いてしまう。


「ヘリオグラフ(太陽光信号)です! アッシュ、伏せて下さい!」


 側近の男がアッシュの頭を押さえ付けた瞬間、明かりとりの窓が砕け散り、階段の洒落た手摺てすりにビシッと穴が開いた。


(あれ? 私に危害を加えようとしていないのに撃った?)


 ミン・ジウが床に寝そべるアッシュと側近を見下ろしながら首を傾げていると、砕けた明かりとりの窓に近い部屋の中で、ガラスが割れる音がした。


 金髪の男が数名、叫び声を上げながら廊下に飛び出して来る。


「じゅ、銃撃だ!」


 その隣の、ひとつ手前の部屋でも、同じ音が響く。そして、同じようにスーツの男が廊下に走り出て来た。


「アッシュ! 銃弾が撃ち込まれました!」


 あれれー、なんか変だぞ? と、ミン・ジウは両手を頬に当てる。


 2階の廊下に並ぶ、すべての部屋から順番にガラスの割れる音が聞こえ、トーイ派の若者やアッシュ派の男達が走り出て来る。


 最後、ミン・ジウの背後の部屋、スレイポウの部屋からも銃声が聞こえた。


 しかし、スレイポウは走り出て来ない。


 アッシュの顔色が変わる。


「ま、まさか……スレイポウ!」


 銃弾に倒れたのかとアッシュが駆け込むと、スレイポウはベッドホンから漏れるほどの大音量でアイドルの音楽をノリノリで聴いていた。


 その手は写真集を丁寧にめくっている。


 ホッとして部屋を出ようとしてギョッとする。


 壁に貼られた推しジョンのポスターに弾丸が見事に命中していた。


 アッシュは、スレイポウに気取られないように部屋を出る。


「スレイポウに当たるところだったぞ」


 非難の色を混ぜて言う。しかし、ミン・ジウは一蹴いっしゅうした。


「それは、あり得ません。なぜならば、私がカーテンを開けた時点でスレイポウの位置は把握していたはずです」

「“はず” だろ⁈ お気に入りのポスターに穴が開いてたぞ!」

「あ、それは申し訳ない」


 素直に頭をかく女に呆れるが、アッシュも側近の男も、部屋から飛び出て来た男達も、状況が把握できずに廊下で団子状になっていた。


「おーい、どうしたんだ?」


 2階が騒がしいと、リビングにいる男達から声が掛かる。


 とりあえず、一旦、集まろうと、団子状のまま全員で1階に降りた。


 ミン・ジウも腕を組み、頭を悩ませながら後に付いて降りて行く。


 2階の部屋から銃撃によって追い出された男達は、多少の状況を知る1階にいた男達から説明を受けた。


「この女に近寄ると撃たれるのか⁈」

「アジトが囲まれている⁈」

「俺達は部屋にいたんだぞ⁈ 女に近づいていない!」


 ミン・ジウは、そうなんですよねーと、男達の視線を浴びながら腕を組んだ肩をすくめてみせる。


「さっきのヘリオグラフの意味は……?」


 側近の男はダメもとで低く聞いた。


「ああ。“死角ゼロ 全方向” です。私の質問の返事ですね」


 あっさりと答える女に、不気味な物を見るような視線を向ける。


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